こんにちは、YuMIです。
お久しぶり、ですね。色々と思うところがあり、ブログの更新を控えていました。ずっと思い悩んでいる訳にはいかないし、何かを始めなくちゃと焦ってもがいて、まさに一歩進んで二歩退さがる。その繰り返し。
環境を変えるには、自分が変わる他ありません。ですが、思う様にならない病気の身体が私を裏切ります。
人の二倍も三倍も時間がかかるのです。そうではあるけれど、人の二倍も三倍も時間がかかるけれど、時間を費やしてでも変えていかないと一生苦しいままです。
苦しいままばかりか、現状のままで生きていけるはずもなく、後退していく一方でしょう。
それでは困ります。しかも、困るのは私自身に他ならない。
いくつも病気を併発する前の勝ち気で自信家で何に対しても強気だった私はどこへ行ったのでしょう? こんなにネガティブな今でも、ごくごく稀に現れはするそのもう一人の私。今はそのもう一人の私の肩を借りるより他ない様です。
私自身ではあるけれど、今の私とは違うもう一人の私の力を借りるのだから、不安でいっぱいです。半分以上、強がりです。ちょこちょこ弱気な私が顔を出しては、不平不満を強気な私へ訴えて「お前なんかもう知らない!」 と言われてしまうかもしれません。どうにも立ちゆかなくなるかもしれなません。
そんな時は、ここへ立ち寄ります。完全に帰っては来ない様に、居所へはしない様に。されど、居場所を失くさない為に。
このブログを開設するにあたってお世話になった方はインターネット上の顔も知らない間柄であれ、私にとっては、もう一人の母のようで。後ろ髪が引かれる思いというのはこういうことを言うのかと思ったくらいには気になっていて、心の引っ越しを前に挨拶もないのはどうかと思い、ここに決意表明めいたものを書き残すことへしました。
自死遺族の方からすれば、なんて勝手な思いか行動か。「やはり生きているだけ違うのよ」 と思われるかもしれません。帰っては来ない家族を思う心を踏みにじる最低な行為だったかもしれません。それについても思うことはありますが、言及致しません。
私自身、何かが起きたわけでも変わったわけでもない。ただただもがいているだけ。
新聞で見かけたのですが、失くした家族を思い涙を流す人を見る度に、時の経過がその悲しみを和らげてくれればいいと思う、だがその思いは間違っていたのかもしれないという一節から始まる記事がありました。
どうかこのままいつまでも悲しませ続けてほしい。そうすることでしか、子であるあなたに愛情を注ぐ術がないのだから。
戦争で子を失くした親の心を謳ったものです。
そして、この記事は「傷ついた心が早く癒やされて、悲しむに沈むことがなくなる様に」 と願うことは間違っていたのかもしれないと閉じています。
また別の日に見かけた記事です。
ネパールの子どもたちが輪になって手を叩き歌を歌っている。それも、日本の歌だ。聞けば、日本人に習った歌であると言う。
「幸せなら手を叩こう」
震災にあった子どもたちが歌っていたというのです。
そして、この記事はこう閉じています。
幸せとは「なる」ものでなく、「気づく」ものらしい、と。