参考:『職業としての学問』(マックス・ウェーバー)、『民俗学』(宮田登)
宮田登の『民俗学』の帯に、
~こうすれば、「日常」が学問になる。~
と書かれていて興味をもった。
でも、そもそも何となく大事だと思っている「学問」とは、どういう性質のものだろう。と思い、考えをまとめていくことにした。
1、学問と芸術の異なる点
学問領域と芸術の異なる点について重要なことが書かれている。
それは、
学問は、つねに進歩すべき運命にあるが、
芸術には、進歩というものがない。
というもの。
芸術は、
正しい材料を選び、正しい手法にしたがっているものであれば、新しい表現方法でなくても、芸術としての価値が劣るものではない。
真に「達成」している作品は、時代遅れにならない。
しかし、
学問の場合は、
10年、20年経てば時代遅れになる。この運命にこそ、学問的業績の意義が存在する。
学問上の「達成」は、常に新しい「問題提出」を意味する。
2、無限に続く学問の進歩
後代の人が受け継ぐことで、学問の進歩は無限に続く。
では、事実上終わりのないような事柄に人は何故従事するのか。
技術上の目的のため、という答えがある。
つまり、生活を快適にしていくため、ということである。しかし、これは、実務家に対しての意義にすぎない。
ここで終わらず、さらに深く、
学問の意義について考える。
そのために、
学問を進歩させてきた主知主義的合理化について考える必要がある…。
主知主義→
「知性・理性(理知)」
「意志・気概」
「感情・欲望」
に三分割したとき、
「知性・理性(理知)」を重要視する立場。
合理化→
不合理を除いて、能率的にすること。
3、主知主義的合理化が意味するもの①
ホッテントットやインディアンなどの未開人より、僕たちは自分の生活条件についてよく知っているといえるだろうか。
おそらく知らない。
例えば、電車が動く原理を正しく知るのは専門家だけで、多くの人は知らない。予測できればよく、詳しく知る必要はない。
しかし、未開人は、彼らの使用する道具について、我々と比較にならないほどよく知っている。
食糧に関しても、その日の食糧を得るにはどうすればいいか、その場合どういう施設が役立つかを知っている。しかし、我々はお金がつくる仕組みを知らないまま過ごしている。
この例から分かることは、
「主知化し、合理化していること」
=
「たくさん、自分の生活条件に関する一般的知識を持っていること」
では無いということ。
4、主知主義的合理化が意味するもの②
では、主知主義的合理化が意味するものは?
それは、
「それを欲しさえすれば、どんなことでもつねに学び知ることができるということ。」
よって、
「そこには神秘的な、予測しえない力が働く道理がないということ。」
むしろ、
「すべての事柄は原則上予測によって意のままになるということ。」
これらのことを知っている、信じているというのが、主知化し、合理化しているということの意味である。
5、アクションプラン
・生活条件に関する一般的知識を身につけ、そこから知識を広げるべきか。
・この本は、1919年の内容である。現代では変わった点、変わってない点があることに注意。
・引き続き、学問の性質について知り、僕が学ぶべきこと、そうでないことの判断に役立てる。
・現代の漫画の主流は「学問」と「芸術」が混ざってると思った。
