昨日は推定6/24に亡くなったと言われる叔父の葬儀があった。
いろいろあって亡くなったと思われる日から2週間以上の時間が経過しているので、
ふだん出席する葬儀とは違う雰囲気。
もうそれぞれが気持ちの整理をつけているからだろう。
叔父の遺体は数日前に火葬されていていたこともあるかな。
母方の兄弟姉妹は6人。それもとうとう2人なってしまった。
その中で一番若かった叔父。
亡くなった叔父は確かに変わり者だったが、年齢の距離感からか、
自分達いとこと叔父という関係では、一番気持ちが近い存在だった気がする。
よく遊んでもらった。
盆に集まると、いとこ(全員集まれば12人)を何人も引き連れてカブトムシやクワガタを採りに連れて行ってくれた。
よくプロレスごっこもしたな。
自分が高校生ぐらいまでは、他にだれもいない時に、たまたま会うとけっこうなお小遣いをくれることもあった。
1万円とか。 今の感覚だといくらぐらいだろう。
そのくせ、みんなお年玉をくれるのに、亡くなった叔父は全くくれないことが多かったようにも思う。
また、叔父が腕にしていたダイバーズウォッチを、それいいね、と褒めると、
すぐに腕から外して「やる」と言ってくれたこともあった。
もう使っていないダイバーズウォッチが今でも2つあるのだが、
それはどちらも叔父からもらったもの。
2つ目はいつどのタイミングでもらったのか覚えていないが、叔父からもらったのは間違いない。
ある日突然やって来て、寿司食べに行こう、と言って自分と弟を連れ出したこともあった。
叔父は何も食べず、酒だけ飲んでいたような。
遠慮せずに食べろ、もっと食べるか、と聞くので、本当に遠慮せずに食べた。
だいぶ経ってから、あの時は自分達2人の食べっぷりにびっくりしたと言っていた。
すし屋のおやじさんも驚いていたそうだ。 そんなに食べた覚えはないのだが。
一方で、冠婚葬祭にいつも出席はしてくれるのだが、
祝儀・不祝儀ももらった記憶がない。
気前がいいのか悪いのか。 ただそういうことにこだわらないだけなのか。
そんなところも変わっていると言えばそうかもしれない。
死を聞いてからしばらくは、近くを通っていながら叔父の死を気づいてあげられなかったことや、
しようとすればできたことをしなかったことへの悔いも感じていた。
その思いもそれなりに薄らいでいたことと、中心になって準備してくれていた従妹がとても明るかったこともあって、
葬儀の3時間前に到着していた自分は、時間とともに会場に増えて行くいとこ達の姿にうきうきした気分さえあった。
叔父や母親の両親。 つまり自分の祖父母。
70歳ぐらいかな。 もうちょっと若いのかも。
祖父母、叔父たち兄弟姉妹6人、叔父たちの従弟1人、自分達いとこ7人が写った写真。
いとこのうち5人はまだ生まれていない。
うしろで裸でいるのが亡くなった叔父。
被っている帽子はお気に入りだったようだ。
叔父は高校生ぐらいかな。
いい写真。
写真があんまりいいので今見て涙が出そうになるわ。
葬儀が終わってから、1時間ぐらいいとこと談話した。
「いとこ」というグルーブラインも繋がり、みんなに慕われた叔父のお陰で、
遠のきつつあったいとこ同士の距離も再び縮まった。
やろうと言いながらできなかった「いとこ会」の集まりも、近い将来実現しそうだ。
おしまい。