髙木さんのつぶやき

髙木さんのつぶやき

日々感じていることをありのままに・・・・・。

Amebaでブログを始めよう!

 皆様、こんにちは。ご無沙汰いたしております。

 早いもので、今年もあと1月になってしまいました。

お蔭さまで17日、横浜文化賞の贈呈式に参加させて頂きました。市の方々の暑いおもてなしの中、格調高い式が開催されました。

 このお話は長くなるので少しづつ、お楽しみに。この頃とみに忙しく、文字通り心をなくしております。

 なんと、  一番多忙な人が一番多くの時間を持つ  スイスの神学者ピネの言葉だそうですが、見つけてしまいました。

 少し、短い文章にはなりますが、なんとか発信します。

127日(水)は市民プラザの交流パーティーです。今回は豪華景品が出ますよ。

参加して下さい。

 では、またごきげんよう。 

皆さん、こんにちは。

お久しぶりです。お変わりありませんか。


 今日は、生麦事件参考館の浅海先生の奥様のお別れ会が、ニューグランドの『ぺリ-来航の間』で執り行われ、私も伺って奥様に感謝とお別れをさせて頂きました。


 以前、市民プラザでも浅海先生にご講演を頂きましたが、大好評で、事件は横浜が開港されて3年目の文久2年(1862年)8月21日、江戸から下る薩摩藩島津久光の行列に横浜から馬に乗ってやって来たイギリス人3人が遭遇、行列を回避しないイギリス人に、先頭を行く薩摩藩士が無礼者ばかり切りつけ、1名死亡、2名が負傷する。

 

  これは、外交問題となりイギリスは幕府と薩摩藩に多額の償金を要求する。幕府は要求された10万ポンドを支払うが、薩摩藩は一切耳を貸さない。それもその筈、島津斉彬の死後薩摩藩は攘夷一色に染まっていたのだ。

 

  翌年、イギリスは薩摩の錦江湾に黒船を廻航させ、撮影戦争が勃発する。その圧倒的な火力を思い知らさた薩摩は一気に、攘夷から開国へと向かい、イギリスとの関係を深めて行く。

 

  浅海先生は近代日本の歴史を大きく転換したのがこの生麦事件である。とおっしゃいます。まさしくそうだと思う。私達は今、大きな日本史の現場に生きているのです。

 

  浅海先生はこの事件を後代に広く知らせたいと家業を投げ打ち、私財を投入して歴史の資料を広く世界から集め、語り部となって国内はおろか請われれば海外まで出掛けて行きます。奥様のご理解と協力がなければ出来ることではなかったことでしよう。先生を支え続けた奥様に感謝し、心からご冥福をお祈りいたします。

 

  生麦参考館、是非尋ねてみて下さいね。

 皆さん、こんにちは。今日も秋晴れのよいお天気でしたね。

 

 昨日は、プロ野球のドラフト」会議の日でした。悲喜こもごも、菅野選手はさぞかし落胆のしたことだろう。さて、どういう結論を出すのか。

 

 我がベイスターズ、藤岡は残念だあったが、唐津商業の北方悠誠を1番指名。
皆さんご存じだろうか。8月8日(月)甲子園、第2試合、唐津商業と対戦したのは我が故郷の古川工業だったのだ。

 

 1回表、古川工業は甲子園の空気に飲み込まれてしまったのか、大量7点を入れられてしまう。続いて2回表また2点を入れられる。もうどう応援していいのかわからない。昨年は鹿実と戦う能代商業のぼろ負けの試合を見ていられなくて途中で消したけど、今回はそんな訳にはいかない。

 

 必死で祈る。声を出して応援する。2番只埜君と6番高橋君は中学の後輩でもあるのだ。やがてなんとか4点を返すが、残念ながら9対4で1回戦で敗退した。

 

 あの子たちは、近隣の中学を出た子供たちだ、でも被災地の子たちだからこその頑張りで宮城大会で東北を破り、決勝で気仙沼の私立を破り、悲願の甲子園初出場を達成したのだ。(古川高校と私の出身校の旧古川女子高は公立3校でとても仲が良い。)

 

 でも、あの日、唐津商業のアルプスはブルーのTシャツで埋め尽くされ、応援はとてもまとまっていた。そしてTシャツの胸には縦に凡事徹底 の文字が書かれていた。

 

 凡事徹底この言葉は、イエローハットの創業者、鍵山秀三郎先生の座右の銘である。きっと以前に鍵山先生は唐津商業に招かれて講演をしている。そこで感動した先生なり、生徒たちは凡事徹底を胸に日々精進していたのだ。これに我が古工は負けたと思った。

 

 後日、鍵山先生お便りが届いた。やはりご講演されたという。そして凡事徹底を忘れずにいる唐津商業を嬉しく思ったそうである。お知らせ下さりありがとうとお礼を頂いた。

 

 さて、26日山陽印刷の佃さんと元野球少年の吉澤君が来た時、明日のドラフト唐津商業の北方君がベイスターズに来たらいいね、私は応援するよなんて言ってたら、現実になってしまった。もしかしたら私の想いが引き寄せてしまったかも・・・・・?
 
 凡事徹底とは、日々あたり前のことをあたり前にやることだと思う。これだけを続ければ人生は自分の願った通りに生きれるのだ。けれどこれもまた中々難しい。


それでは、みなさん良き週末をお過ごしくださいね 。



10/28  記載

  皆さん、こんにちは。寒くなりましたね。今朝は小さな電気ストーブをつけてしまいました。

 

  さて、私はいわゆる歴女である。歴史が大好きだ。歴史上の人物で一番誰が好きかと聞かれたら米沢の9代藩主上杉鷹山公、その次が幕末の越前(福井)藩主松平春嶽公かなと思う。

 

  でも、柳生宗矩さんも大好きだ。公は徳川家康公に見出され、3代将軍家光公に仕え、育てた。柳生新陰流の創始者、石舟斎の息子と言えばおわかりだろううか。晩年は禄を返上して江戸城から柳生に帰る。

 

  柳生の庄は奈良市の北にあって、奈良から柳生街道を下ると空気が変わってくる。どこか締まっているのだ。大柳生を越えると柳生の庄に入る。柳生の館跡は小高い丘にあるのだが決して大きくはない。今は桜の名所になっていてここで4月のはじめには柳生祭りが開催される。

 

  凛として、それでいて暖かい空気が流れる館跡で人々は何を感じているのだろう。私はこの空気がとても気に入っている。
 誰もいない館の後に立って、風に吹かれながら古(いにしえ)を思う。
こんな小さい館にかつては、沢庵お尚や宮本武蔵やら、大名たちまでもが訪ね、ある者は長く逗留したりしていたのだ。

 

  宗矩公の潔さとこの言葉が大好きだ。こうありたいものだと日々感じている。中々難しいけれど。


『我ひとに勝つ道を知らず、己に勝つ道を知る』


それではまた、ごきげんよう。


10/26  記載

 出来るだけ毎日、ブログを書こうと思ったのに先週は2回で終わってしまった。講座の忙しさにまぎれて忘れてしまった。

  昨日は、事務局はお休み、今日は頑張るぞ!  でもまた故郷の話題になってしまう。

 

  故郷の友人が、『あんだ、おもちゃの博物館の北原さんて知ってっか? ほれ、なんでも鑑定団さ出でる人。あの人本当にいい言葉かだってるな。すごくよがったがらあんださもFAXしておいだがら、ひまなどきに読んでね。元気?』という言葉を私の携帯に残してくれた。

 

  北原さんは「僕の体験から人は出会いによって運命が決まるという。では良い人と出会うにはどうすればよいのか・? 自分の波動を高めると良い出会いが出来るという。そのためには、自分を信じること、自分に自信を持つことだ」と書いてあった。


  自信を持つためには人は誰かに褒めてもらうことが一番なのだそうだ。今回の大震災で絆が深くなり、ふつうの生活がどんなに大切だったかわかった人々は、困難な生活の中で人を大切にすること、いるだけでありがたいと思えるようになったのだろう。そしてみんなで褒めあっているんだろうなと思う。


  『お父さん今日も1日ありがとう。あんだ頑張ったね、運動会で2番になったの去年より足早ぐなったね。』なんて・・・。


  そんな日々を送っているから、夢を持つこと、明日に希望を持つことは『自分を信じること、自信を持つこと』なんだと感じ取っているような気がする。

 それではまた、お元気で


10/25  記載

皆様、お元気ですか。
 昨日エバラの中村さんから連絡があり、今炊き出しで仙台にいるとのこと、今日は女川で被災された方に炊き出しをして今ホテルに着いたところだとか。明日は私の親戚のいる七ヶ浜で炊き出しをする予定だとか。本当にありがたい。中村さんたちはこれで何度目の被災地訪問だろう、前回は確か大船渡だとか言っていた気がする。

 

  また、私は嬉しくなって涙を流しながらこれを打っているのだけれど、先日埼玉の上田知事の感銘を受けた一言読んで私も感動した言葉がある。テレビで見た、気仙沼のある中学卒業式での答辞の言葉だとのこと。


『苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合っていくことが私達の使命です』この言葉を聞いて中学生でそこまで気高い精神が出来るのかと驚いたという。この子供達が必ず日本再生の先頭に立つと確信し、次世代に希望を感じたという。

 

  私も本当に感動し、日本の未来に希望を感じた。私が7月末に石巻に行った時、日和山に行く予定が、その途中にある石巻高校の前に出てしまった。石高はまだ男子校のようで修了式前の土曜日、数人の部活で学校にいた生徒に会った。

  

  その顔は精悍で、うちの息子もそうだが、このあたりの多くの高校生とは違う引きしまった深い顔をしていた。彼らは高台にある校舎からあの日、地震にあい、押し寄せる津波の様を教室から見ていたのだ。そして毎日、瓦礫と化した街を眼下に眺め、また日々少しずつかたづいてゆく様子を見ている。これが少年から成年になろうとする心に影響を与えないはずがない。

 

  まして。石高は歌手で俳優の中村雅俊さんや、現財務大臣の安住さんの母校でもあるこの地域の優秀な高校だ。必ず日本を導くリーダーが東北3県の中からで出ると私は確信している。

                                                          10/18   記載              

皆さん、こんにちは。お元気ですか?

今年もあっと言う間に後、3か月を切って2カ月半になってしまいました。

 昨日は夏のような暑さでしたけど、もうすぐに木枯らし1号が吹いて寒い、寒いという季節になりそうです。
 今年は色々なことがありました。3月11日の東日本大震災、横浜でも相当揺れましたが、急いでテレビを付けると眼に飛び込んできたのは、我が故郷の仙台に押し寄せてくる津波の様子でした。
 
私は宮城県北部の出身ですが、気仙沼や陸前高田、七が浜、松島に親戚がいて、また志津川、南三陸町ですね、東京から移り住んだ友人もいてそれそれは、自分が被災したようなに大変に辛い思いをしました。
 いまだに、故郷の様子が映し出されると涙が出てきてしまいます。泣いてばかりはいられませんし、東北からしたら無傷ともいえる横浜にいて、日本全体の復興のために市民プラザの役員の企業をはじめ、会員企業の皆様に東北に比べたら、そうだ頑張ろうと思って頂けたらとの思いを発信することにしました。
 
幸い、私の近親者には犠牲になった人はいませんけれど、家族を失い、家を失い、仕事を失った方々を思うとこの文章を打ちながら涙が出てきます。
 でも、みんなその人なりに明日に向かってもう頑張っているから、これから出来るだけ毎日、一言を発信していくぞ、エイ、エイ、オー!
 皆様、おひまでしたらお付き合い下さいね。

 今日は、大安だそうです。日めくりには『悲しみ苦しみは人生の花だ』とありました。 昭和初期の小説家 坂口 安吾の言葉だそうです。大震災での悲しみ苦しみは人生の花だなんて言えないような気がします。 赤リンゴ

 

                                              たかぎ まさこ    10/17  記載