こんにちは
心理カウンセラーの伊藤千枝です♪


カウンセラー伊藤千枝の「楽」「嬉」「幸」「美」「癒」日記 -カップ




皆さんは恋愛は受動的?能動的?


先日、「私は人を本当に愛したことがないかもしれません」
という女性がいました。


「愛する」ってどういう事なのでしょう。。。


゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


モラルハラスメントの被害女性
ただ。。。
言葉の暴力をふるう彼をみていると
自分自身を投影しているようだという
気づきも感じ始めました。


人を愛することの価値観が


「認めて欲しい」
「受け入れて欲しい」
「否定しないで欲しい」
「自分が一番でありたい」


私が私が。。。
私が中心でありたい。。。


AC(アダルト・チルドレン)としてのアイデンティティ
向き合いながら


「彼のやっていることって私自身を見ているようです。」
と彼女は呟きました。


彼と穏やかな時間を過ごそうとしていても
そこには


「彼に認めてもらうために大人しくしていよう」
「彼の怒りのポイントをつかないようにしよう」
というビクビクした怯えた気持ち


「自分だけをみて欲しい」
「自分が一番でありたい」
という強い欲求


彼のためにという気持ちと
自分を見て欲しいという気持ちが混同している。


依存と愛情の混同


攻撃的な彼のコミュニケーションも実は彼女の中にも
存在している在り方であることも納得し始めて来ました。


「多分、彼との出会いは自分自身の中に眠っている
アイデンティティの気付きを与えてくれるものだったんだと
思うんです」


冷静になると彼女はこう語りました。



本来、男女の関係はお互いを高めあい、成長し合える関係
であることが望ましい。


どちらかが尽くし過ぎてしまったり、どちらかに比重が大きいと
居心地の悪い関係を無意識のうちに作り出してしまう。


「心地いい関係」


無理をして、意識してわざと作りあげるものではない関係です。


自分がどう在りたいか?
自分の生き方、相手の生き方を尊重しあえる存在。


何よりも「自分らしく」「人として生きていく」こと


それが人生にとって当たり前のことであると
一般的には思われていますが
DV・モラルハラスメント  の被害女性は


「自分らしさ」「人間らしさ」


という生き方から離れた価値観が無意識の内に植えつけられています。
それでも彼にすがってしまう。


恋愛ってなんでしょう?
愛し合う2人の先にはどんな目的があるのでしょう?


仕事という枠組みや趣味などの部分的なものにおいては
楽しみなどがあったとしても
「生きる」という大きな枠組みであり、当たり前の枠組みに
おいては自分の軸がなく、加害男性の軸を元に
顔色を伺ったような答えが返ってくる。


「あなたにとっての目標や目的意識はなんですか?」


「そういうものは持ってはいけないと思っていました。」


「何故?」


「自分という人間を一番身近な人間に認めてもらっていないので
目標など『輝かしい』未来を持つことは許されない。
相手のために生きることしか、思いつきません。
でも、認めて欲しい。愛して欲しいとすがってしまう。」


あまりにも悲しすぎる答えです。


何処か言いなりになる。引っ張られる。縛られている感。
が当たり前でああり、そこに依存心を見出しています。



心地悪い関係を、「そこに居るしかない」という価値観のもとに
心地よいものとして受け入れざるおえない気持ち



そして自分自身の心の声から生まれたアイデンティティ
AC(アダルト・チルドレン)との向き合い



「『愛する』ってよくわからない」
求めること、そして求められることに答えるだけで
安心感がない。。。と



『人」として生きる権利
そして、もっと自信をもって生きて欲しい
そこに安心感を感じられるように

four-heart-clover 伊藤千枝


応援していただけると嬉しいです

↓ ↓ ↓ ↓

心理カウンセラー・メンタルトレーナー 伊藤千枝  「楽」「嬉」「幸」「美」「癒」日記 -バナー2

ペタしてね


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o

女性のためのカウンセリングルーム
four-heart-clover(フォーハートクローバー)/青山

 モラハラ・DVを考える
●メルマガ「女性カウンセラーが語るモラハラ・DVについて」
●アメブログルっぽ「モラハラ・DV」