阪神淡路大震災 Ⅰ | 気ままなtomoeのブログ

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  音譜こんにちは音譜今日も天気の良い一日となりました晴れ
  
   今日は、昨日の事を書こうかな~!とか、以前の事を書こうかな~!
  なんて考えながら、昨晩の嵐の桜井君がした「阪神大震災」のドラマを
  夫くんと見ながら、今日は簡単ですが震災の事を書こうかな…と思います。

   もう15年経つんですね。早いものです。
  あれは、1995年1月17日で、成人式の三連休の翌日でした。
  我が家には、前日友人が泊まりに来る予定でしたが、その友人が
  「明日は早くに仕事が入ったからやめとくわ!」
  「じゃ、また次回ね!」
  私も、三連休は友人宅に泊まりに行っており、疲れも(遊び)あったから
  気軽に電話を切って、夫くんは出張で居なかったので、
  広いベッドに普段通り眠りにつきました。

   私は真っ暗な中目が覚めました。
  今の音は何だろう? そして私は寝てたよね?
  
  これはほんの一瞬に考えた事です。
  だって、そのすぐ後「ゴ~!」と言うか、「ドンドン」というか、
  聞いた事のない地から湧き出てくる、怪獣が近づいてくるような音が
  したかと思ったら、何と表現したらいいのでしょうか?
  ジェットコースターに安全ベルト無しで乗っている様な揺れ。
  私は必死で片方は別途マットの端を掴み、もう片方はシーツを掴み、
  体が放り投げられないように必死でした。
  掴んでなかったらポーンと放り投げられそうでした。
  
  寝ていたのに何故座っているんだろう。
  寝てたよね?と言う考えはそこから来たのです。
  今思ったら、「ドン」で目が覚めた時、私は振動で跳ねて座っていたんです。
  そして、恐怖の揺れ!
  その揺れの時に聞いた音は、怪獣が物を投げたらこんな音がするんだろうな。
  ド~ン!メキッ!バ~ン!ガシャン!とありとあらゆる擬音が聞こえました。

  揺れが収まったあと、我に帰り、まず外に出ようと思いましたが、足を下ろしたら
  柔らかいものが…ベッドの引き出しが出ていたのでそれを踏んだ。
  次に立ち上がって前に進もうと思ったら何かにぶつかった。
  手探りで出口の方向に向かうが、目の前は何かあって進めず。
  何とか部屋から出て、小さいリビングを横切り空いている和室へ…。
  そこに懐中電灯があるのを思い出しました。

  今思うと、私はすごく冷静で、何がどこにあって、どうすればよいかと
  きちんと考えて行動をしていました。

  読んでくださっている方は、多分、「真っ暗闇」を知らないですよね?
  一筋の光もないんです。街灯の光も無い、テレビなどの赤い光もないから、
  それこそ月明かりだけです。
  
  話は戻りますが、私は客用布団の間に懐中電灯を差し込んでいたのを
  思い出し、それを取り出し、そこにあったジャージを履き、シャツやら
  セーターを着込んで、ダウンジャケットを着ました。
  手には、バッグに財布とハンカチを入れて、外に出ました。
  出て下に降りてゆく途中…4階が住まい…踊り場から通りを見たら、
  ふた筋下にある小学校に行く人でしょう(後に被災者が集まり、仮設が建てられた
  学校)か、チラホラ人が歩いている気配がしました。 
  

  私は知り合いの隣の階段のお宅に行こうと、お向かいのドアを叩きながら、
  返事が無い…。下に降りてまたドアを叩いて確認…返事が無い…を繰り返し
  下まで行き、隣の階段の知り合い宅へ。
  しかし、そこは返答なく、どうしようかと更に上の知り合い宅へ。

   そのお宅は御主人と息子さんが階段に座っていました。
  「大丈夫ですか?」
  「tomoeさんこそ大丈夫ですか?」
  とやり取りした後、息子さんは足の裏をサメの口のように切っていて、タオルで
  血を止めていました。
  水槽が落ちて割れていたので、真っ暗で踏んでしまったらしいです。
  でも、真っ暗闇なのでどうなっているかわからず、辛うじて階段へ辿りついたらしいです。  
  私は持っている懐中電灯を貸して、そこの奥さんが何か上に着る者を、家族の分
  探しに行き、まだ出てきていない長男を探しに行きました。
  長男は無事に出てきて、皆階段に集合。
  
  私は、懐中電灯を返してもらって、2階の知り合いのお宅へまた行きました。
  そうしたら、返事があり、私は中へと入れてもらい、何があったんだろうと…。
  と懐中電灯一つで話し合いました。
  まずは、「明るくなるのを待ちましょう」と動いていない冷蔵庫から水を出してもらい
  喉をうるおしました。

  これから、どんな悲惨な光景を見るのかも知らずに、3人で遅い夜明けを
  待ちました。

  
   最初の日のほんの30分くらいの出来ごとです。
  思い出しても冷静な自分がいて、夫くんが居ない一人の行動。
  逆に一人が良かったのか…。
  集合住宅で良かったと今更ながら思います。
  
  ニュースを見ると今も思い出される恐怖です。
  東京で生活していたから、震度4くらいなら余り怖くなかったですが、
  今は、震度1くらいでも敏感に感じ取るくらい怖いものになりました。
  東京で大きな地震があるかも…と言われ、関西に嫁いで行って「大きな地震が無いから
  良かったね!」なんて言われて嫁ぎ、その地で震災に遭うなんて。
  
  住んでいたのは、一番被害の大きかった「東灘区」です。
  地震のあった後家事とかで違う区も大きな被害に遭いましたが、死亡者が一番
  多かったのです。
  続きをまた書いて良いかな?と思い、長くなるので起こった瞬間を書きました。
  でも、この後の方が辛かったかも…。
  時間のある時にまた書き足したいと思います。

  暗い話題でしたが、私の話にお付き合いくださりありがとうございました。
文章力が無いので読みづらかったと思いますが、ありがとうございました。

    tomoe

   
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