今日は一日暇だったので、昔読んだ本を読み返していました。その中の一冊、『思考の整理学』のなかで「創造」について書かれた部分を僕なりにまとめてみたいと思います。
人間には飛行機人間とグライダー人間がいて、最近の学校は型にはまった知識を与えて優秀なグライダー人間をつくろうとします。もちろん情報化、専門化した現代社会では知識が必要です。しかし、現代はコンピュータという超優秀なグライダーが存在します。ベーコンは「知は力なり」と言いましたが、極端な話、知識だけならコンピュータがあればいいのです。だから人間は、グライダーに、考えたり創造するためのエンジンを搭載しなければなりません。昔の教育は簡単には教えませんでした。それが学習意欲の向上や試行錯誤によって得られる身体的経験につながっていたのです。最近ではゆとり教育の反省から、詰め込み教育への回帰の流れがありますが、ただ知識を詰め込むだけではグライダー人間を増産しているに過ぎません。そこに注意すべきです。
創造にとって重要な概念としてセレンデピュティというのがあります(前にも少し書いたかもしれません)。人は自分の専門が確立すると、関心はその中枢部に向けられ、結果として「インブリーディング」が起こります。これは創造力の後退につながります。これを防ぐために、分野の垣根を取り払い、色んな分野の人と交流することが大事です。そうしているうちに、思いがけない偶然から全く予期していなかった別の創造が生まれることをセレンデピュティと呼ぶようです。これは、トルストイの『人生論』の冒頭で出てくる粉挽きと水車の話の逆みたいな感じでしょうか。
このように、知識という素材に異質なところから「きっかけ」をもってくる。そして、次に大事なのは、それらが醗酵するまで寝かせることです。僕も学生時代、書いたレポートはすぐ提出せず、1、2日寝かせてから提出していました。そうすることで、書いたときには見えなかったまずい部分が見えてきます。
また、創造には「第一次的創造」と「第二次的創造」があります。このうち後者は、すでにある知識や、単独では創造(第一次的創造)とまで言えないいくつかの着想を、意味のある順序で組み合わせることです。つまり、一つ一つはありきたりなことを言っていても、その(意味ある)組み合わせは創造になるのです。T.S.エリオットが言ったように、第二次的創造には没個性が必要です。すなわち、芸術や詩も、芸術家や詩人の個性それ自体を表現するのではなく、「その個性が立ち会わなければ決して化合しないものを化合させる点で個性的でありうる」のです。これを説明するために筆者は分かりやすい例を挙げています。
「酸素と亜硫酸ガスを一緒にしただけでは化合は起こらない。そこへプラチナを入れると、化学反応が起こる。ところが、その結果の化合物の中にはプラチナは入っていない。プラチナは完全に中立的に化合に立会い、化合を起こしただけである。」
そして、詩人もこのプラチナのようであるべきだとしたのです。
さて、ここで注意しなければいけないのは、創造が独善的になってはいけないということです。新しい思考を生み出すのはあくまで独創ですが、それを振り回すだけでは独善的に見えてしまいます。「ものを考える人間は、独善的でありながら、なお、あくまで謙虚でなければならない」のです。そのためには他の諸説を照合し、調和させる必要があります。
創造のためには頭をすっきりさせる必要があります。気分転換が重要です。また、睡眠は、不必要な情報を忘れ、頭を整理する機能があります。結果として多くの良い創造が朝の時間に生まれます。
自分は創造性豊かな飛行機人間というよりは、グライダー人間に近いと自覚しています。頑張って創造力とか感性といった自分に足りないものを身につけたいです。