仮に自分が鎖につながれた鳥だとして、「羽を失う代わりに鎖を外してあげようか?」と神様に言われたらどうしよう。きっと少し迷ってから「翼を失いたくないので、このままで結構です。鎖を外しに来てくれる仲間を待ちます。」と答えるな。前に羽を切って後悔したことがある。
本当はさっさと翼を捨てて、鎖を解いたほうが賢いかもしれない。また新しい羽が生えるかもしれないから。ダチョウみたいに走って遠くまで行けるかもしれないから。
でも今はまだ決心がつかないから、ギリギリまで神様には黙っておこう。



金曜日に前年度が終わり、月曜日から新年度が始まる。そんな過渡期の日曜日に家族で小料理屋に来ている。

4月からは、忙しいことで有名な部署に異動になる。その関係で初めて一人暮らしもしないといけない。新しいこと尽くしで余裕がなくなる前に、社会人最初の2年間を振りかえってみる。

最初の係で一緒に仕事した人は全部で10人。色々な個性、経歴を持った人たちに世話してもらった。
グイグイ引っ張っていくリーダーシップのある人、細かいことは気にせず大胆で大局的な判断に優れた人、この係を最後に定年を迎える経験豊かな人、細かいことに気がつき勉強熱心で準備を怠らない人、誠実でバランス感覚に優れた人、冷静ですごい知識を持っている人、優しくてなんでも相談できる人、自分の意見をはっきり言える人、「どうでもいいよ」が口癖だけど大事なところは外さないメリハリのきいてる人。

全てが終わってとても寂しい気持ちになるのは、それだけいい人達に囲まれて仕事ができたからなのだろう。特に兄のように慕ったチューターにはとても感謝している。

最終日に係の人何人かと飲んだ時、ふいに自分のことを褒めてもらった。2年間一緒にいて、前向きで積極的なところ、勉強するところ、親しみやすいところを感じてくれたらしい。
その部分は素直に自信にしつつ、それぞれの先輩たちの良い部分を見習って、次の部署でもがんばろう。
今夜行バスで伊勢から戻って来て新宿のマック。

広島、屋久島に行けず熊野三山と伊勢に行くことにしたわけだけど、実際かなり充実した旅になった。もともと熊野古道を歩いてみたいという気持ちはあった。でも交通機関の問題や、どの古道を歩くかといったことを考えるのがめんどくさかったから、ずっと行けずにいた。今回は現地での日程が丸2日しかとれなかったので、割と念入りに計画をたてて、目ぼしいところをまわってみた。

4日の夜に夜行バスで出発し、翌朝新宮駅前に到着。
初日。熊野速玉大社→浮島の森→電車とタクシーで大門坂へ→熊野那智大社→那智の滝→バス乗継で神倉神社→新宮駅前で昼食→バスで熊野本宮大社→タクシーで発心門王子→再び本宮大社へ向け熊野古道中辺路の終盤(6.9km)を歩く→バスで新宮へ→駅前で焼鳥食べる→電車で尾鷲駅近くの安宿へ。23時前着

2日目。5時半起床で出発。バスで鷲毛へ→再び尾鷲駅へ向け、熊野古道伊勢路の馬越峠を歩く→途中天狗倉山に寄る→尾鷲駅近くで朝マック→特急で伊勢市駅へ→伊勢神宮外宮参拝→猿田彦神社参拝→すし久でてこね寿し→伊勢神宮内宮参拝→おかげ横丁とおはらい町で食べ歩き→電車で松坂へ→松坂城跡見学→牛銀で松坂牛のすきやき食べる→伊勢市駅前もどる→夜行バスで帰路

今回はメジャーなスポットをまわったので、どこがハイライトかというと全て。中でも、部分的ではあるが、熊野古道中辺路と熊野古道伊勢路を歩いたことが印象深い。発心門王子から本宮大社前までは基本的に下りで、一部舗装道路もある。周りの風景は遠野のように民俗物語に出てきそうな雰囲気。電灯もなく、自然に溶け込んだ生活が行われているという感じ。人けのない夕方は、その場にいるだけで、日常とは別の世界にいるような。というよりむしろこちらのほうが究極の日常であるような、そんな感覚になる。南方熊楠が神社合祀令により土着の文化、習俗が破壊され、鎮守の森が破壊されるのを憂えた理由が今でも理解できた。
伊勢路の馬越峠から天狗倉山にかけては急峻な上り坂だった。天狗倉山の頂上には360度見渡せる大きな岩があり、まさにここが山頂なんだと感じさせる。それにしても、僕らが体力の限界に達している横を、地元のおじさん、おばさん達はニコニコしながら抜かしていく。みんな毎日登ってるらしい。すごい体力だ。地元の人達とも何度か会話したけど、明るくて親切な人ばかりだった。同じ親切でも、東北の人達とはまた違う、ある種の無邪気さというか、そんなものが感じられた。関西弁だからかな。

心残りがあるとすれば、熊野古道中辺路を滝尻王子から制覇したかったことと、高野山にも行きたかったこと。それはまた次回の楽しみとしてとっておく。

先日、友人の結婚式に呼んでもらったので行ってきた。イギリスのロイヤルウェディングと同日なんて粋だよね。彼女とは高校三年間同じクラスで大学も同じ(彼女は現役で自分は浪人だが)。大学時代も卒業してからも、みんなでよく集まっては一緒に飲んだりしている。気のおけない友人の一人だ。そこまで親しい友人の結婚式に参加するというのは初めてだったので、少し緊張した。




結婚式は早稲田教会。大学在学中はそんなところに教会があるなんて気づかなかった。よく大隈庭園で記念撮影してる新郎新婦見かけてたから、あれかと思ってたら違った。それにしても牧師さんの言葉ってなんかいい。なんていうかこう、これから新しい人生が始まるぞっていう感じになる。


なにしろ結婚式素人なので、色々新事実が判明した。ブーケトスって女性だけが参加するものなのね。普通に取ってやろうと意気込んでたら違った。




その後新郎新婦は車でビューンと行ってしまった。たぶん披露宴会場に行ったんだ。自分はその後の二次会まで暇なので、高校の同級生らとランチを食べたあと、礼服姿でちょっとJTBへ。GWに屋久島に行こうとして。でも片道5万とか言われたから「たかーい」と思ってあきらめた。ちなみにGWは結局伊勢神宮と熊野三山をまわることにします。




二次会は新宿伊勢丹の前の店で。二人のこれまでの歩みの動画とか見てたら、なんか自分まで感動してしまう。みんなから祝ってもらえるし、やっぱり結婚って素敵なものなんだな。新郎さんも大学同じで、チョット話したらなんか気が合いそうな感じだったから、ぜひ友達になりたいなーと思う。




結婚おめでとうございます。素敵な家庭を築いてください。

一週間、岩手県の陸前高田市で復興のお手伝いをしてきた。


夜に出発し、翌早朝に到着。身支度を整えてレンタカーにて現場へ出発。しばらくは何の変化もない道を進んでいくが、あるところを境に状況は一変する。街そのものが流されてしまっているのである。道路にもところどころ穴が開いていて、運転に注意が必要だった。


前半の2日間は1階部分が津波の被害を受けた小学校での清掃活動。山の中腹にあるのだが、そこから上の方は震災前となんら変わらない光景が広がる。しかし、そこから下は一面瓦礫の山。車はつぶれ、あるはずのないところに船が転がっている。海岸線ははるか遠くに見え、今立っているところまで津波が来たということは、にわかに信じ難い。

2日後に始業式を控えているということで、体育館、教室、廊下等をきれいにする。水があれば比較的容易な作業なのだが、水道がまだ完全でないため、給水タンクから毎回汲んでこなければならない。蛇口をひねれば水が出るというごく当たり前のことが、どれだけありがたいことだったのかを実感する。作業を終えた翌日の夜、ワンセグを見ていると、その学校で始業式が無事行なわれたというニュースが流れた。やりがいのある仕事だったと思う。


後半の2日間はまた別の小学校に移動しての活動。その学校自体は高台にあり、被害は受けていないのだが、通学路の瓦礫が一部手付かずの状態になっていた。交通量の多い大きな道路の下をトンネルが通っており、そこが瓦礫で埋まっているために、小学生がその危険な道路を横断しなければならない。そこで、トンネルとそこ続く道を通れるようにして欲しいということであった。とはいえ、一見して道路がどこにあるのかさえ定かでない状況。また、自分の身長ほども瓦礫が重なっている。加えて大変だったのは、近くにあった水産加工工場が津波の被害を受け、加工前の魚が流され、腐った状態で大量に散乱し、大変な悪臭を発していたのである。そのような劣悪な環境で、重機などの機械もなく、どこまでできるか不安だった。でも実際には2日間の作業で、ほぼ通行の目処が立つというところまで進められた。みんなで知恵を出し合い、工夫することで、ここまでの成果が出せるのだということを実感した。


現地滞在中はみんなで寝袋で雑魚寝し、アルファ米、カロリーメイト、缶詰、乾パンなどを少しずつ食べた。当然だがこのような経験は今までにない。現場を見た者として、この体験や被災地の状況を周りの人に伝えなければならないと思う。そして微力ながら、今後もなんらかの形で支援をしていきたい。被災地の一日も早い復興を願う。