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盛田幸妃お兄ちゃん

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昨日正午にベイスターズOBの佐伯貴弘さんから電話があった。

『お疲れ様です!』
『おぅ。ケチャ、聞いてるか?』
『えっ?何も聞いてないです』
『盛田さんが朝亡くなったよ。』

佐伯さんの涙声が夢であってほしかった。


僕と盛田幸妃さんが初めて会ったのは今から12年前。ベイスターズDJのルーキーイヤーの2003年、当時ファームのゲームのテレビ中継の解説で来られている時にお会いしました。現役時代の強気なピッチング、そして脳腫瘍を克服しマウンドに復活された不屈の魂の男というイメージそのままに僕の第一印象は《強気な人やなぁ》。2004年、一軍のテレビ中継の実況を担当させていただき、解説でご一緒させていただくようになると、盛田さんに大変かわいがっていただけるようになりました。

以来、試合が終われば食事に一緒に連れて行ってもらったり、自宅に招いていただいて一緒に夜深くまで野球談義をよくさせてもらいました。
『お前はプロ野球選手じゃないからわからないんだよ!』 
『選手の気持ちはそんなもんじゃないんだよ!』
高校野球までしか野球を知らない自分は本当に盛田さんに野球の見方をたくさんたくさん教えていただきました。その分よく叱られました。いつも突き放すように僕に話されるんですが、シャイな盛田さんは野球談義が盛り上がると、『ケチャップ、今夜はうちに泊まっていけ!』と何度もうちに泊めていただき、奥さんにも『ケチャップと一緒にいると、兄弟みたいで楽しいね』と言われ、僕もめっちゃくちゃ嬉しかったのを今でも覚えています。


春季キャンプの取材で沖縄に行っても、毎晩食事に誘っていただき、盛田さんのお友達にもたくさん紹介していただきました。 カラオケが大好きでいっぱい一緒にコブクロの『桜』や『ここにしか咲かない花』を歌わせてもらいました。『お前のカラオケだけは好きなんやな。お前は嫌いやけど』。かわいがってくださるくせに、いつも悪態をつかれるのが僕の兄さんの日常でした。


盛田さんが当時特に気にかけていた選手が佐伯貴弘選手。2010年のシーズン、前年までチームの打線の中軸を任されていた佐伯さんが、この年は若手にシフトチェンジするというチームの思惑からか、佐伯さんが一軍から声がかかったのが、6月の交流戦。佐伯さんが一軍に合流した時に盛田さんはブログでこう綴られた。

【待っていたぞ!!ついに、俺が待ち望んでいた男が帰って来た。今のチームには、必要な選手だろう
どんな時も明るく、二軍に居ても腐らず練習をする。
佐伯、俺に言えることは、野球人生をこのチャンスに賭けろ!今までの悔しさをぶつけろ。
お前なら、絶対にできるファンみんなも、応援してください。】


このことを佐伯さんに伝えると、佐伯さんはファンへのメッセージと共に盛田さんへのメッセージを僕のブログで届けて下さいました。

【盛田さん...たいへんな時にありがとうございました。泣いたよ。また一緒にバカできる様に、元気になってたな!】

僕らの前ではいつも強がりばかりの盛田さんでしたが、脳腫瘍を患って復活されましたが、32才という若さで現役を引退せざるをえなかった悔しさはいつもあったと思います。
盛田さんはもっともっと野球をしたかったと思います。でも盛田さんは自分に厳しい人でしたから、自分が納得できるパフォーマンスができないと思ったら、プロを引退される方です。脳腫瘍から復活されましたが、体は万全ではありませんでした。だからかわいい後輩というだけでなく、自分に厳しく、プロとしてのパフォーマンスを全うされていた佐伯さんに自分の現役時代とダブらせ応援されていたのでしょう。


盛田さんの解説は本当に大好きでした。厳しい発言もありましたが、いつも選手の気持ちになって、厳しさにも愛情がいっぱいいっぱい詰まってました。盛田さんが解説で、僕がベンチリポーターの時には、解説者がベンチリポーターをイジってくるという意味のわからないメチャぶりをたくさん受けました。盛田さんにツッコミ入れると、本当に喜んでくれました。野球中継なのに。


我が家の家族もムチャクチャ可愛がってくださいました。我が家の3人の子どもがワンパク盛りの時に食事に連れて行ってくださると、子ども達を膝の上に乗っけってご飯を食べさせてくれたり、とても面倒見のいい方でした。意外でした。しかも、うちの家族の前では悪態をつかないんです。『いつもお父さんは頑張ってるよ』って、子ども達に話してくださるんです。シャイで気配りな盛田さんらしくて、嬉しかった反面、いつもみたいにツッコミ入れられないから、どうすればいいのかわからなかったですよ。


あれはいつやったかな。盛田さんと2人で盛田さんの家の近くの小学校でキャッチボールしたことがありました。
『マスターズリーグに呼ばれても、恥ずかしいピッチングできんやろ』
現役時代以来あんなに真剣に投げたのは初めてと話すぐらい汗だくになりながら。僕が知っているおもしろいお兄ちゃんじゃない、盛田幸妃のあの表情、あの投球フォーム、あの夕焼け空は絶対に忘れられません。


『なんで盛田さんコーチやってくれないんですか?』
『なんで俺が朝早く起きてまでコーチやるか!』
そう言いながらもファームの練習場にもよく足を運ばれていました。
『だったらコーチやればいいじゃないですか?』
『取材しとかないとダメだから行ってるだけや!誰が俺みたいな奴にコーチ頼む?俺でも頼まないわ!』
何を言っても聞き入れてもらえないのはわかってますけどね。でもあの情熱を伝えてもらいたかった。
後日『あの時コーチ断った』と聞き、『なんでですか?』と尋ねたら、『朝早いやろ!』と決まり文句が返ってきましたが、断った理由が別にあったことは薄々気づきたくなくても気づいてしまっていました。


去年からオリックス・バファローズでお世話になることになった時、盛田さんに報告しようと何度も電話しました。何度も何度も。
体調が優れないことは本人とも話を聞いていたので、心配になり、奥さんに連絡して、入院する病院へお見舞いに行かせてもらいました。病室のドアをノックすると、『はい』と声が聞こえました。『すみません、いきなり来ちゃって。ケチャップです』。ベッドに横たわって少し痩せてしまっている盛田さん。

『何しに来たんだよ!』
『いや、電話してもつながらなかったんで来ちゃいました。すみません』
『電話出るのも面倒くさいだろ。元気ですか元気ですかって、元気だったら入院してねぇよ!』
『そうですよね。あの~、僕今年からバファローズでお世話になることになりました』 
『知ってるよ。ブログで見たよ。』
『あっ、見てくださっているんですか。ありがとうございます!僕も横浜からバファローズ、盛田さんと同じですね』
『お前あれだけベイスターズにお世話になって、ブログでファンの人も応援してくれてたんだから、ベイスターズファンの事は絶対に大事にしろよ!』

このあといつものように盛田さんと野球談義した記憶ありますが、どんな内容だったか覚えていなくて、いつもの僕をイジってくれる盛田さんが、あの盛田さんじゃないのが辛くて、晴れた午後の病室が暗くてどうしたらあの盛田さんになってもらえるのかわからず、あの盛田さんになってもらいたくて必死に話していたのを覚えています。
病室を出る時、『盛田さん、じゃあ僕行きますね。早よまた球場で解説お願いします』と話すと、あの盛田さんなら『うるさい、お前が言うな』ってなるはずが、『おぅ。ありがとうな』って握手してくださいました。
その瞬間嬉しかったけど、その何倍も辛くて、その時間が怖くて盛田さんに会いに行けなかった。


昨日のお昼に佐伯さんから電話をいただいた時は、なんか意味がわからなかった。まだ理解したくない気持ちばっかりで実感もあまりなかったし、実感しないようにしてた。
けど、ネットニュースで盛田さんの記事が上がりだし、もう現実から逃げられなくなった。
盛田さん、ホンマ悲しいです。
僕が今野球界でお仕事させてもらえているのは、盛田さんがいたからですよ。
盛田さんが野球の見方、選手との接し方、ファンの皆さんとの接し方をいっぱい教えてくださったからですよ。いっぱいいっぱい叱ってくれましたよね。口はめちゃくちゃ悪かったですけど、愛情いっぱいいっぱいでしたよ。これから僕どうしたらいいですか?僕誰に叱ってもらえばいいですか?僕あの口悪い叱られ方じゃないと理解できないです。僕すぐに調子に乗ってしまうから、盛田さんいないとピシッとなれないです。
盛田さん、いっぱいいっぱいお世話になっておきながら、全然お見舞いに行けず、すみませんでした。僕なんかに弱い姿見せたくないやろうと勝手に言い訳を作って、逃げてしまってました。もっともっと会いたかった。もっともっといっぱいお話しをしたかった。もう遅いっすよね。僕が怖がらずに逃げずにもっと会いに行けてたら、少しは盛田さんの痛みも和らいだかなと思うと本当情けないです。


盛田さん、痛くても絶対そんな素振り見せられなかったですね。盛田さんがサインをお願いされると必ず書かれていた“気迫”って言葉、改めて辞書で調べてみました

【気迫】力強く立ち向かっていく精神力

まさに盛田さんの生き方そのものです。


昨夜からずっと泣いてます。 
今もこの文章書きながら、涙が止まりません。
『またブログ書いてるのか?』と言われそうですが、盛田幸妃の魅力をみんなにちゃんと届けさせて下さい。ブログでちゃんと伝えるのは盛田さんのスタイルだったので。

昨夜から時々盛田さんの声が聞こえます。
最後にお会いしたときの言葉の『ケチャップ、ありがとうな』と『お前いつまで泣いてるんや!』と。
盛田さん、弟みたいにかわいがってくださり、ホンマありがとうございました。
盛田さん、僕ホンマ頑張りますね。盛田さんから受け継いだ魂で、野球界、選手・ファンの皆さんのためになれるように気迫をもって進んでいきます。


盛田さん、本当に本当にありがとうございました。安らかに眠って下さい。



※大好きな盛田さんとの思い出を今の気持ちのまましっかり残したくて書きました。