相手が好きなのか、依存していたのか時々わからなくなる。
というより、好きだから沸き起こっていた感情だと思っていたのが
依存でしかなかったのかもしれない。
忘れようとしても夢に出てくる、夢の中では理想通りの人生を送っている。
たまたまいろんな悪運が重なっただけで、次は上手くやれる
そういう自信がなくなった。
何度改善したつもりでも同じ繰り返しになる。
自分自身がそういった依存体質であること、今まで自分が感じてきたり思っていた感覚は普通じゃないんだということ。
むしろ自分が忌避したいような人格が自分自身の中にあることへの絶望と落胆。
今まで望んでいたような人生は自分にはできないのだということの諦めと実感。
理想が高すぎるのはわかるし、そうなった原因もわかる。
理想が高いというのは自分の実力と現実の差が大きいということ。
昔から空想が好きだった。それは直視したくない現実があったから。
とある外国の学生が言っていた。
「人生の成功とはラップトップを買うことなのか億万長者になることなのかはあなた次第で他人が決めることじゃない」
世界の暮らしを見てると日本で生まれて大学まで卒業できたのは大いに成功といえる。
でも生きる上での充実感というのは今までがどうだったかより今どうかでしかない。
どんなに努力しようが、頑張ろうが、今充実してなければ全て無駄とも言える。
もちろん経験値としては残るので実際には無駄ではない。
“無駄感”
人生は貯金通帳ではない。
コツコツやっても確実に残るものはない。
無限に空いた穴を埋めていたら、穴が埋まるのではなく
穴を埋める行為が無駄だと理解できるようになる。
それが人生。
結果も見返りもない。ただただ失敗を繰り返していく。
人よりその気づきが遅いことを受け入れて、
穴を埋めるだけじゃない人生に気づいて躍進していく人を眺めながら
羨ましいと思わず「そういう人もいるよね」と
同じように穴を埋めようとして挫折した人たちと一緒に苦悩を分かち合いながら
時を刻んでいく。