【中国古典を詠み解く引き寄せ短歌シリーズ】第95回です。
《菜根譚》からご紹介します。
【書き下し文】
『妍(けん)あれば、必ず醜(しゅう)ありてこれが対(つい)をなす。我、妍に誇らざれば、誰か能(よ)く我を醜とせん。
潔(けつ)あれば、必ず汚(お)ありてこれが仇(きゅう)をなす。我、潔を好まざれば、誰か能く我を汚(お)とせん。』
《 前集 134 》
【訳注】
「美しいものがあれば、必ず醜いものがあってその対になる。もし自分に美しさを誇るおごった心がなければ、誰が自分を醜いということができようか。
また清いものがあれば、必ず汚いものがあってその対になる。もし自分に清さだけを好む心がなければ、誰が自分を汚れているということができようか。」
『対・仇』 … ともに連れ合い、対になる関係をあらわす。
参考文献:岩波文庫《菜根譚》、講談社学術文庫《菜根譚》
* * * * * * * *
美と醜、清と汚、ともに対になる言葉です。
美があるから醜があり、美しいものが存在しなければ、醜いものも存在しないというわけです。
この一節で興味深いのは、自分に美を誇る心がなければ自分のことを醜いと誰が言うものかと説いていることで、自分は美しいと誇る心がかえって自分を醜くしてしまうのだと戒めています。
同様に、清さだけを好み汚いものを嫌う気持ちが、自分の汚れた部分を隠そうとしてしまい、かえってその汚いところが他者からはよく見えるというわけです。
* * * * * * * *
鏡よ鏡
鏡さん
この世で
最も美しいのは
誰ですか
鏡には
心の中は
映せません
特にあなたは
見にくいですね
鏡よ鏡
鏡さん
この世で
最も清いのは
誰ですか
鏡には
行いからは
見抜けません
特にあなたは
隠してますね
そのままの
あなたが一番
美しい
笑顔に惚れた
あの日のままで
そのままで
気の向くままに
ありのまま
思いつくまま
ままのままでよし
* * * * * * * *
美を求め過ぎる心も、
美を避けようとする心も、
かえって美を遠ざけてしまう