岡部滋(B) 斉藤光浩(G) 石橋凌(Vo) KEITH(Dr)
1983年 - 1984年
バンドのリーダーであった田中一郎脱退。
その後、ツアーは複数のサポートギタリストを起用。その中から適任と思われたBOWWOWの斉藤光浩を勧誘。
斉藤自身も環境の変化を求めていたこともあり、BOW WOWから移籍し、正式加入する。
斉藤の加入により、田中時代のギターバンド路線を踏襲しつつも、田中時代より若干ポップな楽曲が発表されるようになった。
しかし、ギター交代の束の間、不祥事によりベースのサンジを解雇することになる。その際、KEITHの親友であるストラングラーズのジャン=ジャック・バーネルが急遽来日し、ベーシストとして一時参加した。7thアルバム『YELLOW BLOOD』にも2曲参加している。その後、オーディションにより岡部滋が正式ベーシストとして加入した。
1985年 - 1986年
石橋はARBの知名度を上げるため、親交のあった俳優・松田優作が監督する『ア・ホーマンス』に出演した。その演技が映画業界で認められ、以後のARBは石橋の俳優活動と並行した活動になる。この映画の主題歌として、8thアルバム『砂丘1945年』に収録されている「AFTER '45」が使用された。
1986年
斉藤が円満脱退し、白浜久が加入(斉藤の最終ライブに花束を持って白浜が急来日し、5人で演奏している)
白浜の加入により、それまでの田中〜斉藤時代の方向性とは大きく異なり、必ずしもギターを軸としない楽曲、打ち込みを多用した楽曲が発表されるようになる。ライブでも、白浜加入後の楽曲はもちろん、過去の楽曲にも打ち込み要素を加えたアレンジをして演奏していた(「Give me a chance」「BLUE COLOR DANCER」など)。
『中野サンプラザホール 1984.10.26』
『 YELLOW BLOOD TOUR 85 1985.4.28 日比谷野音』
『MUSIC WAVE'85 @科学万博エキスポプラザ』
『GOD BLESS THE RING 1986.3.25 札幌道新ホール』
『無冠の帝王 GOD BLESS THE RING 1986.3.31 後楽園ホール』
「一郎、知っているだろう?」
「あぁ」
西新宿の小さな飲み屋。凌はしばらく飲むうちにバンドの事情を話し始めた。
「9月でバンド抜けるんだ」
「ヘェー。だって、一郎はリーダーだろ」
頷くと凌はグラスを傾けた。
「だからね、ちょっと困ってるんだ」
なぁ、光浩。 冷奴をつつく光浩に、凌はさりげなくたずねた。
「だれか、いいギター、いないかね」
凌はそう話したが、光浩には異なる言葉に聞こえた。
光浩、一緒に(ARB)でやらないか?
田中一郎が抜け、サンジ・野中良浩 " 除名″になった。
片肺のバンド首の皮1枚、辛うじて持ちこたえていた。
一郎の脱退後、斎藤光浩が(ARB)でギターを握る。
『渾身・石橋凌』より抜粋
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