感情資本経営コラムです!
一般財団法人タヤマ学校 矢崎哲也
感情資本経営コラムです!
一般財団法人タヤマ学校 矢崎哲也
第9話を見終わって、私は改めて思いました。
このドラマが描いているのは、単なる「熱血教師と問題児」の物語ではありません。
その根底にあるのは、
「人は、どうすれば人を信じられるようになるのか」
という、とても人間らしい問いなのではないでしょうか。
今回、“鬼塚外し”の犯人として名乗り出たのは、芦田綾乃でした。
クラスがようやく一つにまとまりかけたところで、鬼塚の過去に関する悪評がタブレットに次々と投稿される。
保護者からも抗議が殺到し、鬼塚は謹慎を命じられる。
そして1年B組は、再び分断されていきます。
ここで、現代社会にも通じる大きな問題が浮かび上がります。
私たちは今、
誰かが言っていた。
SNSに書いてあった。
写真がある。
動画がある。
だから、
「きっと事実なのだろう」
と考えてしまいがちです。
しかし、第9話は、その危うさを真正面から突きつけました。
鬼塚の悪評が広がる。
クラスが疑心暗鬼になる。
そして最後には、鬼塚が綾乃を叩いたように見える動画まで登場する。
ところが、その動画には「フェイク」であることが示される展開が待っていました。
つまり、
「見えたもの(事実)」と「真実」は、必ずしも同じではない。
これは、AIによって文章も画像も動画も簡単につくれるようになった今だからこそ、非常に重要なテーマです。
では、
信頼はどうでしょうか?
信頼は、一瞬ではつくれません。
「俺を信じろ!」
と言ったから、信頼されるわけではありません。
立派な経歴を見せても、
肩書きを並べても、
実績を語っても、
それだけでは人の心は動かない。
では、何によって信頼は生まれるのか。
それは、
日々の行動です。
鬼塚は、生徒たちの問題が起きるたびに逃げませんでした。
健太のところへ行った。
結と向き合った。
百花のところへ行った。
航の家庭にも入り込んだ。
樹が病院で一人になったときも駆けつけた。
心愛が危険な状況に陥ったときも走った。
そして今回も、綾乃から逃げなかった。
生徒たちは、その姿をずっと見てきた。
だから最後に、
ネット上に流れている情報ではなく、
「自分たちが実際に見てきた鬼塚」
を信じることを選んだのではないでしょうか。
ここに、第9話の大きな意味があると思います。
これは企業経営にも、そのまま当てはまります。
経営者が、
「社員を大切にしています」
と言う。
会社が、
「人を大切にする会社です」
と掲げる。
理念に、
「人を大切にする」
と書く。
しかし、それだけでは社員は信じません。
社員が見ているのは、
社長が実際にどう行動しているか。
上司が部下にどう接しているか。
失敗した社員をどう扱うか。
困っている社員にどう声をかけるか。
数字が悪くなったとき、誰を責めるのか。
会社が苦しくなったとき、経営者自身がどう振る舞うのか。
つまり、
理念より、日常。
言葉より、行動。
制度より、関係性。
なのです。
これが積み重なって、
「この会社なら大丈夫」
という信頼になる。
今回、私が最も考えさせられたのは、ここです。
綾乃は、“鬼塚外し”の黒幕でした。
悪評を書き込み、
鬼塚を排除しようとした。
これは、決して許される行為ではありません。
しかし――
「悪いことをした人」と「悪い人」は、本当に同じなのでしょうか?
ここは分けて考える必要があります。
行動には責任があります。
誰かを傷つけたなら、謝らなければならない。
間違ったことをしたなら、やり直さなければならない。
しかし、
その人自身まで否定してしまったら、その人はどうやって変わるのでしょうか。
綾乃の背景には、受験の失敗、家庭の問題、信頼していた大人や友人との関係で傷ついた経験などがあり、それが人間不信につながっていたことが描かれました。
つまり綾乃は、
人を信じられなくなった結果、人を傷つける側に回ってしまった。
そう見ることもできます。
もちろん、だから悪評を書いていいわけではありません。
しかし、
「なぜ、この子はここまで人を信じられなくなったのか?」
と考えることはできます。
ここに、人間を理解するということの難しさがあります。
これは企業でも同じです。
いつも反抗する社員。
何を言っても否定する社員。
周囲と協力しない社員。
会社の悪口ばかり言う社員。
経営者から見れば、
「問題社員」
と一括りにしたくなるかもしれません。
しかし、
なぜ、その人はそうなったのか?
と一度立ち止まってみる。
過去に何があったのか。
誰かに傷つけられたのか。
認めてもらえなかったのか。
努力しても評価されなかったのか。
自分の居場所を失ったのか。
もちろん、すべての問題行動を許す必要はありません。
しかし、
行動の背景を理解することと、行動を許すことは別です。
ここを混同しないことが、人を育てる側には必要なのだと思います。
今回、鬼塚が綾乃に伝えた言葉があります。
「自分の可能性を信じないヤツが本当のバカだ」
私は、この言葉に第9話の核心があると思いました。
鬼塚は、
「もっと勉強しろ」
と言っているのではありません。
偏差値を上げろ、
頭を良くしろ、
要領よく生きろ、
という話でもありません。
そうではなく、
「自分の可能性を、自分で潰すな」
ということではないでしょうか。
「どうせ無理」
「どうせ誰も信じられない」
「どうせ自分なんか」
そうやって、自分の未来を自分で閉ざしてしまう。
鬼塚が言う「賢くなれ」とは、
自分の人生を、自分の頭で考えろ。
ということなのだと思います。
ここで、私はタヤマ学校の人間学と強くつながるものを感じます。
人は、
「自分にはできる」
と思えたときに、一歩を踏み出せる。
逆に、
「自分には無理だ」
と思った瞬間に、可能性を閉じてしまう。
だから、人を育てる側の仕事は、
その人の代わりに人生を歩くことではありません。
「あなたならできる」と信じられる環境をつくること。
そして本人が、
「自分もやってみよう」
と思えるところまで寄り添うこと。
それが、人財育成の本質なのではないでしょうか。
今回、鬼塚が素晴らしいと思ったのは、
「俺を信じろ」
と強制しなかったことです。
むしろ、自分の過去をすべてさらけ出したうえで、
「信じてもらえないなら、このクラスの担任も、この学校も辞める」
と、自分の進退を生徒たちに委ねました。
これは、ものすごい覚悟です。
教師という立場を利用して、
「俺を信じろ!」
と押し切ることもできたはずです。
しかし鬼塚は、
「お前たち自身で考えろ」
という選択をした。
そして生徒たちは、
自分たちがこれまで見てきた鬼塚を信じる。
ここに「教育」の本質があるのかもしれません。
これまでのGTO×タヤマ学校でも、何度も「大人の責任」というテーマが出てきました。
第9話で、私はその意味がさらに明確になったように感じます。
大人の責任とは、
子どもに答えを教えることだけではない。
失敗しないように守ることだけでもない。
何でも解決してあげることでもない。
自分の頭で考え、自分の人生を選べる人間に育てること。
そして、
失敗しても、
間違っても、
「もう終わりだ」
と思わないようにすること。
「やり直せる」
ということを教えること。
それこそが、大人の責任ではないでしょうか。
綾乃を変えたのは、鬼塚の説教だけではありません。
鬼塚が綾乃を信じた。
柏原先生が生徒たちと向き合った。
クラスの仲間たちが、それぞれの目で鬼塚を見た。
そして綾乃自身が、
「これからは、自分の頭で考える」
という方向へ踏み出した。
つまり、
鬼塚が綾乃を「変えた」のではない。
綾乃自身が変わることを選んだ。
鬼塚は、その瞬間まで逃げずにそばにいた。
私はここに、人を育てる側の大切な姿勢があると思います。
社員を変えようとしていませんか?
部下を変えようとしていませんか?
「もっとこうしろ」
「なぜできない」
「普通はこうする」
そうやって、相手を自分の正解に合わせようとしていませんか?
もちろん、指導は必要です。
規律も必要です。
責任も必要です。
しかし、それと同時に、
「この人は、どうなりたいのか?」
を考える。
その人自身の可能性を見る。
そして、
本人が自分で一歩を踏み出すまで、逃げずに関わる。
これが、人を育てるということなのだと思います。
AIは、ますます進化します。
文章も作れる。
画像も作れる。
動画も作れる。
人間が見ても、本物か偽物か分からないものが、これからますます増えていくでしょう。
だからこそ、
「何が本当なのか」
を見抜く力が必要になります。
しかし、私はもう一つ大切なものがあると思います。
それは、
「誰を信じるのか」
という力です。
その答えは、ネット上の情報だけでは決まりません。
肩書きでもありません。
評判でもありません。
最後に残るのは、
その人と、どんな時間を過ごしてきたのか。
なのです。
困ったときに助けてくれた。
逃げずに向き合ってくれた。
間違ったときには叱ってくれた。
自分が自分を嫌いになったときも、信じてくれた。
そうした一つひとつの積み重ねが、
「この人を信じよう」
という気持ちをつくる。
あなたは、
人の「行動」だけを見ていませんか?
その行動の奥にある、
「なぜ?」
まで見ていますか?
そして、あなた自身は、
誰かにとって、
「自分を信じられるようにしてくれた大人」
になれているでしょうか。
人は、間違える。
人は、傷つく。
人は、ときに誰かを傷つける。
でも、
人は、やり直すことができる。
その可能性まで否定してはいけない。
だからこそ、
人を育てる側には、覚悟が必要なのです。
人の本質は、何も変わらない。
時代は変わりました。
タブレットがある。
SNSがある。
AIがある。
フェイク動画まで簡単につくれる時代になった。
しかし、
「誰かに認めてもらいたい」
「誰かに分かってもらいたい」
「自分を信じたい」
「誰かに信じてもらいたい」
という人間の本質は、
何も変わっていません。
だからこそ、
私たちは人間を学ぶ。
人と関わる。
人を信じる。
そして、
人の可能性を信じる。
フェイクは、作れる。
評判も、作れる。
肩書きも、作れる。
でも‥‥‥
信頼だけは、作れない。
信頼は、毎日の行動によってしか積み重ならない。
そして、その積み重ねこそが、
人と人との関係をつくり、組織をつくり、未来をつくる。
それが、タヤマ学校が考える
「人を育てる」ということです。
GTO × タヤマ学校
人の本質は、何も変わらない。
だから私たちは、人間を学び続ける。
一般財団法人タヤマ学校 矢崎哲也
圧倒的な武力を持つ将軍。
本能的に戦局を読む将軍。
部下から絶大な信頼を集める将軍。
そして、その中でも、
「戦う前から勝負を考えている男」
がいます。
それが、李牧です。
李牧の強さは、単純な武力ではありません。
もちろん、戦場での能力も極めて高い人物です。
しかし、彼の本当の恐ろしさは、
「どう戦うか」よりも先に、「どうすれば勝てるか」を考えていること
ではないでしょうか。
私は李牧を見るたびに、現代の企業組織と重ねてしまいます。
なぜなら、多くの会社が、
「一生懸命に戦っているのに、なかなか勝てない」
という状況に陥っているからです。
社員は頑張っています。
営業マンも動いています。
会議もしています。
残業もしています。
研修もしています。
それなのに、成果が出ない。
なぜでしょうか。
もしかすると、その組織には、
「努力」が足りないのではありません。
足りないのは、
「戦略」
なのかもしれません。
ここは、非常に重要なところです。
日本の企業には、
「頑張ることは素晴らしい」
という文化があります。
もちろん、努力することは大切です。
しかし、
頑張れば必ず勝てるわけではありません。
例えば、目的地を間違えていたらどうでしょうか。
どれだけ一生懸命走っても、目的地にはたどり着けません。
方向が違っているからです。
あるいは、
誰もいない市場で一生懸命営業していたらどうでしょうか。
商品が悪いわけでもありません。
営業マンが怠けているわけでもありません。
しかし、
戦う場所を間違えている。
その可能性があります。
つまり、
努力は大切です。
しかし、努力の前に「どこに向かうのか」を決めなければなりません。
これが、戦略です。
一人の兵士は、自分の目の前の敵を見ます。
部隊の指揮官は、自分の部隊を見ます。
将軍は、戦場全体を見ます。
そして李牧は、
戦場だけを見ているわけではありません。
敵は何を考えているのか。
次に何をしてくるのか。
自分たちは、どこが強く、どこが弱いのか。
どこで戦えば優位になるのか。
何を守り、何を捨てるべきなのか。
つまり、
「今」だけではなく、「次」を見ています。
ここに、経営者と現場の違いがあります。
現場は、
「今日、何をするか」
を考えます。
管理職は、
「今月、どうするか」
を考えます。
しかし経営者は、
「会社は、どこに向かうのか」
を考えなければなりません。
ここで、経営者の皆さんに質問です。
あなたの会社には、優秀な社員がいるでしょうか。
営業が得意な人。
数字に強い人。
人をまとめるのが上手な人。
アイデアが豊富な人。
真面目で努力家の人。
おそらく、多くの会社には、
素晴らしい人財がいるはずです。
それでも、
会社全体として成果が出ないことがあります。
なぜでしょうか。
理由はシンプルです。
優秀な人財が、それぞれ違う方向に走っているからです。
営業部は売上を追っている。
製造部は品質を追っている。
管理部はコストを追っている。
現場は目の前の仕事を追っている。
それぞれが間違っているわけではありません。
むしろ、全員が一生懸命です。
しかし、
「一生懸命」が組織の力になるとは限りません。
大切なのは、
一人ひとりの努力を、一つの方向に向けること
です。
多くの人は、戦略というと、
「何をやるのか」
を決めることだと思っています。
しかし、本当に重要なのは、
「何をやらないのか」
を決めることです。
これが非常に難しいのです。
あれもやりたい。
これもやりたい。
新しい商品も出したい。
新規顧客も増やしたい。
既存顧客も大切にしたい。
SNSもやりたい。
YouTubeもやりたい。
採用も強化したい。
DXも進めたい。
AIも導入したい。
全部やろうとすると、どうなるでしょうか。
組織の力が分散します。
そして、
何一つ圧倒的な成果にならない。
戦略とは、
「限られた経営資源を、どこに集中させるのか」
を決めることです。
だから、
「何をするか」
と同じくらい、
「何を捨てるか」
が重要なのです。
ここで、少し誤解を解きたいと思います。
強い組織とは、
「全員が同じように頑張っている組織」
ではありません。
強い組織とは、
「それぞれが、自分の役割を理解している組織」
です。
前線で戦う人がいます。
後方から支える人がいます。
情報を集める人がいます。
戦略を考える人がいます。
人を育てる人がいます。
全員の役割は違います。
しかし、
目的は一つです。
ここが揃ったとき、
個人の能力は、
「個人の力」
ではなく、
「組織の力」
になります。
これは、現代の経営者にとって非常に重要な話です。
社員が忙しそうにしている。
会議がたくさんある。
メールが飛び交っている。
みんな遅くまで働いている。
これを見ると、
「うちの社員は頑張っている」
と思うかもしれません。
しかし、
忙しいことと、前に進んでいることは違います。
忙しいのに成果が出ない会社には、
一つの共通点があります。
それは、
「何のために、この仕事をしているのか」
が見えなくなっていることです。
目の前の仕事に追われる。
次の仕事が来る。
また処理する。
そして一日が終わる。
しかし、
会社はどこに向かっているのか。
自分たちの仕事は、その未来にどうつながっているのか。
そこが見えていない。
これでは、
どれだけ優秀な人が集まっていても、
組織の力は分散してしまいます。
李牧型のリーダーシップで最も重要なのは、
「目的から逆算する」
ということです。
まず、
何を実現したいのか。
次に、
そのためには何が必要なのか。
そして、
誰を、どこに配置するのか。
最後に、
何をやらないのか。
この順番です。
ところが、多くの企業は逆になっています。
「何か新しいことをやろう」
「とりあえず会議をしよう」
「とにかく営業件数を増やそう」
「研修をやろう」
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
しかし、
目的がないまま手段だけが増えると、組織は疲弊します。
ここも、非常に重要です。
経営者というと、
「すべての答えを知っている人」
だと思われることがあります。
しかし、私はそうは思いません。
経営者の最も重要な仕事は、
組織が考えるべき問いを示すこと
ではないでしょうか。
私たちは、どこに向かうのか。
何のために、この会社は存在するのか。
誰のために働くのか。
何を実現するのか。
そして、
そのために、何を捨てるのか。
この問いが明確になると、
社員一人ひとりの判断が変わります。
いちいち上司に聞かなくても、
「会社の目的から考えると、こちらだ」
と判断できるようになります。
これが、
自走する組織
の第一歩です。
しかし、ここで一つ大きな問題があります。
どれほど素晴らしい戦略を作っても、
社員が動かなければ意味がありません。
経営会議では、
素晴らしい中期経営計画ができた。
戦略も決まった。
目標も決まった。
しかし、現場に降りた瞬間、
何も変わらない。
これは、非常に多くの企業で起きています。
なぜでしょうか。
答えは、
「戦略」が社員の「感情」とつながっていないからです。
経営者が、
「この戦略が正しい」
と説明します。
数字もあります。
市場データもあります。
競合分析もあります。
理論的には完璧です。
しかし、
社員が動かない。
なぜでしょうか。
人間は、
正しいから動くとは限らない
からです。
人が本当に動くのは、
「やりたい」
「意味がある」
「自分にも関係がある」
「この未来を実現したい」
と感じたときです。
ここで、
タヤマ学校が提唱する
感情資本経営
につながります。
経営戦略は、
経営者だけのものではありません。
社員が、
「これは自分たちの未来の話だ」
と思えるようになったとき、
初めて戦略は組織の力になります。
例えば、
「売上を20%伸ばしましょう」
と言われても、
社員の心は動きにくいかもしれません。
しかし、
「私たちがこの事業を成長させることで、今まで救えなかったお客様を救える」
「この会社が成長すれば、社員がもっと誇りを持って働ける会社になる」
「私たちは、この業界の常識を変える」
となったらどうでしょうか。
そこには、
感情
が生まれます。
誇りが生まれます。
使命感が生まれます。
そして、
人が自ら動き始めます。
私は、これからの経営には、
この二つが必要だと思っています。
一つは、
どこに向かうのかを決める「戦略」
そしてもう一つは、
そこに向かいたいと思わせる「感情」
です。
戦略だけでは、人は動きません。
感情だけでは、組織は迷います。
だから、
戦略が「頭」を動かし、
感情が「心」を動かす。
そして、
頭と心が同じ方向を向いたとき、人は行動します。
これこそが、
組織が本当に強くなる瞬間ではないでしょうか。
私はこれまで、多くの企業を見てきました。
そして、成果が出ない組織の中には、
「怠けている組織」
よりも、
「頑張りすぎている組織」
があることに気づきました。
みんな頑張っています。
しかし、
頑張る方向が違う。
だから疲れる。
成果が出ない。
成果が出ないから、さらに頑張る。
そして、
組織全体が疲弊していく。
これは非常にもったいないことです。
だからこそ、経営者は、
社員に「もっと頑張れ」と言う前に、
こう問いかける必要があります。
「私たちは、本当に正しい場所で戦っているだろうか?」
あなたの会社では、
社員が頑張っていますか?
もし頑張っているのに成果が出ていないとしたら、
社員の能力を疑う前に、
一度、組織全体を見渡してみてください。
社員は、
同じ未来を見ていますか?
それぞれの仕事は、
会社の目的につながっていますか?
「何をやるか」だけではなく、
「何をやらないか」
を決めていますか?
そして何より、
社員は、
「この未来を自分も実現したい」
と思っているでしょうか。
優秀な人財を集めることだけでは、
強い組織にはなりません。
一人ひとりの能力を、
同じ目的に向かって結集させること。
それが、
リーダーの仕事です。
李牧が教えてくれるのは、
「頭が良くなりましょう」
ということではありません。
戦う前に考える。
目的から逆算する。
人を適切な場所に配置する。
そして、
限られた力を、勝てる場所に集中させる。
これこそが、
現代の経営者に求められる
「戦略的リーダーシップ」
なのではないでしょうか。
■ 次回予告
第7回は、再び「人」に戻ります。
テーマは――
蒙恬に学ぶ「人を惹きつけるリーダー」の条件
王騎のように圧倒的な存在感があるわけでもない。
桓騎のような異端でもない。
李牧のような完璧な戦略家でもない。
しかし、
なぜか人が集まってくる。
なぜか部下がついてくる。
なぜか組織の空気が明るくなる。
そこには、
これからの時代のリーダーに必要な
「人間的魅力」
があります。
― 組織に必要なのは、全員が同じ人間になることではありません ―
『キングダム』には、実にさまざまな将軍が登場します。
圧倒的な武力を持つ者。
知略に長けた者。
人を惹きつける者。
仲間を大切にする者。
そして、その中でもひときわ異彩を放っているのが、桓騎将軍ではないでしょうか。
桓騎を一言で表現するなら、私は「異端」という言葉が最も似合うのではないかと思います。
常識に縛られません。
既存の価値観にも従いません。
普通の人間なら思いつかない方法で戦います。
そして何より、一般的な意味での「組織人」ではありません。
しかし、だからこそ強いのです。
私は桓騎を見るたびに、現代の企業組織について考えさせられます。
なぜなら、どの会社にも必ずいるからです。
「ちょっと変わっている人」
「扱いづらい人」
「上司の言うことを素直に聞かない人」
「既存のやり方に疑問を持つ人」
「周囲と同じことを嫌がる人」
会社によっては、こうした人たちを「問題社員」と呼ぶこともあるでしょう。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
もしかすると、その人こそ、
組織を変える可能性を持った人財
なのかもしれません。
〇組織は「優等生」だけでは強くなりません
経営者の皆さんに、ぜひ一つ考えていただきたいことがあります。
もし会社に、
「社長の言うことを何でも聞く人」
だけが集まったら、どうなるでしょうか。
一見すると、非常にまとまりの良い組織になるでしょう。
会議もスムーズです。
指示もすぐに通ります。
反対意見も出ません。
しかし、それは本当に強い組織でしょうか。
私は、むしろ危険な状態でもあると思います。
なぜなら、
「それは本当に正しいのですか?」
と問いかける人がいなくなるからです。
同じ考えの人間だけが集まれば、組織は安定します。
しかし、
変化には弱くなります。
新しい発想も生まれにくくなります。
既存の成功パターンから抜け出せなくなります。
そして、環境が変わった瞬間、一気に弱くなってしまうことがあります。
〇「異端児」は、組織の異物ではありません
ここで、桓騎を考えてみたいと思います。
桓騎は、一般的な「理想のリーダー像」からは大きく外れています。
しかし、
外れているからこそ、誰にも見えないものが見える。
誰も考えない方法を考えます。
誰も選ばない道を選びます。
誰も恐れて踏み込まないところに踏み込みます。
つまり、
「普通ではない」こと自体が、能力になる
ということです。
これは企業でも同じです。
営業部に、
「営業とはこうするものだ」
という常識があるとします。
そこに、
「本当にそうでしょうか?」
と言う社員が現れたら、どうでしょうか。
普通なら、
「余計なことを言わないでくれ」
となるかもしれません。
しかし、その「余計な一言」が、会社を変えることがあります。
〇問題は「異端児がいること」ではありません
私は、企業における「問題社員」の多くは、本人だけに問題があるわけではないと思っています。
もちろん、本当に改善が必要な行動もあるでしょう。
しかし同時に、
「その人の強みが活かされる場所に置かれていない」
という可能性も考える必要があります。
例えば、
人と同じことをするのが苦手な人。
決められた手順を守ることが苦手な人。
既存のルールに疑問を持つ人。
上司に遠慮せず意見を言う人。
こういう人は、管理する側から見ると、
「面倒な人」
になりやすいものです。
ところが、
新規事業。
商品開発。
営業改革。
組織変革。
マーケティング。
こうした領域に置いた瞬間、ものすごい力を発揮する可能性があります。
〇「欠点」と「個性」は、紙一重です
タヤマ学校が大切にしている、
「人は誰もが無限の可能性を持っている」
という言葉を、ここで思い出していただきたいと思います。
人間を見るとき、
「この人には何が足りないのか?」
という視点だけでは、可能性は見えてきません。
むしろ、
「この人だからこそ、何ができるのだろう?」
と考えてみることが大切です。
すると、同じ特徴でも意味が変わってきます。
「頑固」ではなく、
「信念が強い」
「扱いづらい」ではなく、
「既存の常識に縛られない」
「空気を読まない」ではなく、
「周囲に流されず、自分の意見を言える」
「細かいことを気にしない」ではなく、
「本質を見ることができる」
もちろん、何でも美化すればいいという話ではありません。
強みには、必ず「影」があります。
だからこそリーダーには、
その人の強みを活かしながら、弱みが組織を壊さないようにする
という仕事があります。
〇「個性を消す」のではなく、「個性を目的に向ける」
ここが、組織論として最も重要なところです。
多くの企業では、
「みんなで同じ方向を向きましょう」
と言います。
もちろん、方向性を合わせることは必要です。
しかし、
「同じ人間になりましょう」
ということではありません。
強い組織とは、
違う人間が、同じ目的に向かって力を発揮する組織
なのです。
野球チームを考えてみれば分かりやすいでしょう。
全員がピッチャーだったら、試合にはなりません。
ホームランを打つ人。
守る人。
走る人。
つなぐ人。
それぞれ役割が違います。
それでも、
「勝つ」という目的は同じです。
企業も同じなのです。
〇リーダーの仕事は「人を型にはめること」ではありません
部下を育てるとき、
「こういう社員になってほしい」
という理想像を持つことは悪いことではありません。
しかし、
その理想像を全員に押しつけてはいけません。
なぜなら、人間は一人ひとり違うからです。
内向的な人もいます。
外向的な人もいます。
慎重な人もいます。
大胆な人もいます。
論理で考える人もいます。
直感で動く人もいます。
そして、
その違いこそが、組織の力になるのです。
リーダーがやるべきことは、
「みんなを同じにすること」
ではありません。
「違う人間たちが、一つの目的に向かって力を出せる状態をつくること」
なのです。
〇桓騎のような人間を「管理」するのか、「活用」するのか
ここで、経営者の皆さんに問いかけたいと思います。
あなたの会社に、
「ちょっと変わった社員」
はいないでしょうか。
会議で必ず反対意見を言う。
上司の指示に疑問を持つ。
他の人とは違う発想をする。
既存のやり方を嫌う。
周囲から、
「あの人は変わっている」
と言われている。
もし、そんな人がいたら、一度だけ問いを変えてみてください。
「この人を、どう管理するか?」
ではなく、
「この人を、どこで活かせるか?」
と考えてみるのです。
この問いの違いだけで、人財育成の世界は大きく変わります。
〇ただし、「自由にさせる」とは違います
ここは非常に重要です。
「個性を尊重する」
という言葉を、
「何をやってもいい」
と勘違いしてはいけません。
組織には、守るべき理念があります。
守るべき倫理があります。
守るべきルールがあります。
そして、
絶対に譲れない目的があります。
その「軸」の中で、
方法は自由にする。
これが重要なのです。
つまり、
目的は揃える。
方法は揃えすぎない。
これが、
個性を活かす組織
の一つの原則ではないでしょうか。
〇感情資本経営は「全員を好きになる経営」ではありません
ここで、タヤマ学校が提唱する
「感情資本経営」
につながってきます。
感情資本経営とは、
社員の感情をただ「大切にしましょう」という話ではありません。
人間の感情や価値観、意欲、誇り、信頼といったものを、組織の力として活かしていく考え方です。
「自分はこの会社で必要とされている」
「この仕事には意味がある」
「自分の強みが活かされている」
「この仲間と一緒にやりたい」
そう感じたとき、人間は、
自分から動き始めます。
だから、
人を管理するだけでは、人的資本は最大化しません。
人の内側にあるものを、
組織の目的と結びつける。
そこに、感情資本経営の大きな意味があります。
〇「異端児」を活かせる会社は、変化に強い
これからの時代、
「過去に成功したやり方を忠実に守れる人」
だけでは、組織は生き残れません。
むしろ、
「今までのやり方を疑える人」
が必要になります。
AI。
人口減少。
価値観の多様化。
市場環境の変化。
働き方の変化。
これまでの常識が、次々に書き換えられていきます。
そんな時代に、
「去年と同じようにやりましょう」
だけでは戦えません。
だからこそ、
組織の中にいる「異端」をどう活かすか
が、経営者の重要な仕事になってくるのです。
本当のリーダーは、「自分と違う人」を恐れません
私は、リーダーの器を測る一つの方法があると思っています。
それは、
「自分と違う人間を、どれだけ活かせるか」
を見ることです。
自分と同じ考えの部下は、扱いやすいでしょう。
自分を肯定してくれる部下は、心地いいでしょう。
しかし、
自分とは違う意見を持つ人。
自分にはない才能を持つ人。
自分より優秀な人。
自分の常識を壊す人。
そういう人間を、
仲間として迎え入れられるでしょうか。
そこに、リーダーの器が表れるのだと思います。
〇「自分と違うからこそ、必要なのです」
田山敏雄の、
「人は誰もが無限の可能性を持っている」
という言葉は、
「みんな素晴らしい」
という綺麗事ではありません。
むしろ、
「人には、自分にはない可能性がある」
と認めることなのだと思います。
だから、自分と違う人間を恐れない。
自分と違うからこそ、
組織に必要なのだと考える。
これができるリーダーは強いのです。
〇桓騎から学ぶ、経営者への問い
あなたの会社には、
「問題社員」はいるでしょうか。
もし、いるのであれば、一度だけ、その人を違う角度から見てみてください。
その人の「問題」は、どんな「強み」の裏返しなのでしょうか?
そして、
その強みを、どこに置けば組織の力になるのでしょうか?
もちろん、すべての問題行動を許容する必要はありません。
しかし、
人を切り捨てる前に、その人の可能性を見つける。
それもまた、リーダーの仕事ではないでしょうか。
〇桓騎は、「異端」だから強かった
桓騎のすべてを、現代の組織でそのまま真似する必要はありません。
むしろ、真似してはいけない部分もあります。
しかし、
「常識に縛られない」
「既存の方法を疑う」
「自分だけの強みを持つ」
という部分には、現代の組織にも大きなヒントがあります。
そして、
異端を異端のまま活かせるリーダー
がいる組織は強いのです。
なぜなら、組織の中に、
「普通の人には見えないものを見る人」
がいるからです。
〇最後に、経営者の皆さんへ
あなたの会社には、
「扱いやすい社員」
ばかりが集まっていないでしょうか。
もしそうなら、一度、会社の中を見渡してみてください。
「あの人は変わっている」
と言われている人はいないでしょうか。
もしかすると、その人こそ、
会社の未来を変える人
かもしれません。
そして、もしあなたが、
「自分とは違うから、あの人は分からない」
と思っている社員がいるなら、今日から少しだけ、こう問い直してみてください。
「分からない」のではない。
「まだ、その人の可能性を見つけられていないだけなのではないか?」
人は誰もが無限の可能性を持っています。
だから、
リーダーの仕事は、人を自分に似せることではありません。
その人にしかない「輝き」を見つけ、組織の未来につなげることです。
桓騎が私たちに教えてくれるのは、
「異端であってもいい」
ということだけではありません。
その先にある、
「違うからこそ、組織には価値がある」
ということなのだと思います。
そして、これこそが、
人と組織の可能性を最大化する、人財育成の原点
なのではないでしょうか。
次回予告
第6回は、再び大きく視点を変えます。
「李牧に学ぶ、戦略なき組織が勝てない理由」
「優秀な人材がいるのに、なぜ会社は勝てないのでしょうか?」
「頑張っているのに、なぜ成果につながらないのでしょうか?」
そこには、
「戦うこと」と「勝つために戦うこと」の違い
があります。
次回は『キングダム』から、
経営戦略と組織戦略の本質
をタヤマ学校流に掘り下げてみたいと思います。
― 矢崎哲也 手帳より ―
その夜の松葉寿司は、いつもより静かだった。
師走が近い夜で、外は冷え込んでいた。暖簾をくぐると、冷気が背中で遮断された。大将が目で迎えた。若女将が奥の部屋へ案内してくれた。校長はすでに席についていた。息子は妻が迎えに行っており、まだ来ていない。今夜はまだ二人だけだった。
「てつ、寒かったろう」
「はい。今年は急に冷えてきました」
席に着くと、温かい茶が出てきた。両手で包むと、それだけで体が戻っていく気がした。
しばらく黙って食べた。最初の皿は白身だった。
校長は一口食べて、満足そうに目を細めた。
この店の魚を、校長はいつも丁寧に食べた。急かすことも、粗末にすることも、一切なかった。
食べ方に、その人間の在り方が出る。前にそう聞いたことがあった。
「てつ、PDCAを知っているか?」
校長は、不意に言った。
「はい。Plan・Do・Check・Action。計画して、実行して、確認して、改善する。ビジネスの基本ですよね」
「そうだ。しかし俺はその言葉はあまり使わない」
私は箸を止めた。
「どういうことですか?」
「本来はPDCAではなく、PDSAだからだ」
私は手帳を取り出した。
「Plan・Do・Study・Action。Checkの代わりに、Studyを置く。この一文字の違いが、組織の運命を分ける」
「Checkでは、なぜダメなんですか」と私は聞いた。
校長は少し間を置いた。大将の包丁の音が、部屋の外からかすかに聞こえた。
「もともとはアメリカの統計学者がPDCAという品質管理を作り上げたが、その弟子のデミングはPDCAではなく、PDSAであると言っているのを知らないのか?俺は夜間高校卒だぞ。」
校長はいたずらっぽく笑って僕を見てる。
まただ、夜間高校卒マウント。私の大学の専攻は経済でも経営でもなく中国語だ。
「Checkというのは、確認することだ。計画通りに進んでいるか。目標に届いているか。数字は合っているか。それを見ることだ。品質管理には大切なことだ。しかしそこに、人間の最も厄介な性質が入り込む」
「何ですか?」
「自我だ!」
その一言が、静かに落ちてきた。
「Checkをするとなると、人間は自我で反応する。うまくいっていなかった時、正直に見ることができない。なぜかって。失敗を認めることは、自分を否定することだと感じるからだ。だから隠す。誤魔化す。数字を少し調整する。報告を曖昧にする。問題があっても、問題がないように見せる」
私は書き留めながら、思った。第十四章で聞いた話が蘇ってきた。伝えたと、動いたの違い。Checkで止まる上司は、相手の言葉を信じることに過ぎない。あの夜の言葉が、今夜の話と根で繋がっていた。
「いくつかの大企業が、品質の偽装や数字の隠蔽で問題を起こしている。原因は何だと思う?」
「コンプライアンスの問題、でしょうか」と私は答えた。
「違う。根っこはそこではない。Checkという文化が、組織に隠蔽を生んでいるんだ。Checkされる側は、正直に見せると怒られると思っている。正直に見せると評価が下がると思っている。だからCheckのたびに、本当のことを隠す習慣が積み重なっていく。その積み重ねが、やがて組織全体の隠蔽文化になる」
私は手を止めた。
「PDCAは、もともと品質管理のための手法だ。製品が規格通りに作られているかをCheckする。その文脈では有効だ。しかし経営やマネジメントに、同じ手法を当てはめることに、無理がある。なぜなら、製品には自我がないが、人間には自我があるからだ」
「だからStudyが必要なんですね」と私は言った。
「そうだ」と校長は頷いた。
「Studyというのは、なぜ!を掘り下げることだ。結果を確認するだけではない。なぜその結果になったのかを、正直に、深く、掘り下げる。これがStudyだ」
大将が次の皿を置いた。鯛だった。校長は一口食べてから、続けた。
私はアワビを頼みたいのをこらえながら話を聴き続けた。
「なぜを掘り下げる時、大事なことがある。責めないことだ。Checkは、できているかできていないかを判定する。その判定が、人間を委縮させる。しかしStudyは、なぜそうなったのかを一緒に考えることだ。責めるためではなく、学ぶために掘り下げる。この違いが、組織の空気をまったく変える」
「前に教えていただいた、チェック&チェックと、繋がりますね」と私は言った。
校長は目を細めた。
「そうだ。大卒な上、留学もしてるお前だけによく覚えていたな。チェック&チェックで、一度目は相手のため、二度目は自分自身のためと言った。あの話のさらに根っこにあるのが、今夜の話だ。チェックだけでは表面しか見えない。スタディーがあって、初めて本当のことが見えてくる」
「チェック&チェックは、PDSAのStudyと同じ精神なんですね」
「そうだ。単なる確認で終わるな。なぜを問え。その問いの深さが、次のActionの質を決める。表面的なCheckから出てきたActionは、表面的な改善しか生まない。深いStudyから出てきたActionは、組織の本質を変える改善になる」
私はペンを走らせながら、思った。事実と真実と現実の夜の話がここで蘇ってきた。事実だけ確認するのがCheck。その奥にある真実を掘り下げるのがStudy。そして真実を見た上で、現実の中で動くのがAction。校長の哲学は、すべて一本の根で繋がっていた。
「てつ、もう一つ言っておこう」
校長は箸を置いた。
「PDSAが機能するためには、前提がある」
「何ですか?」
「なぜ!を正直に言える場があることだ。Studyというのは、失敗の原因を正直に掘り下げることだ。しかしそれができるのは、正直に言っても責められない場がある時だけだ。責める文化の組織では、Studyは機能しない。なぜを聞いても、言い訳しか出てこない。本当のなぜは、安全な場でしか出てこない」
「社内における信頼関係と、同じですね」と私は言った。
「近い。しかし私が言うのは、もう少し深い。信頼だけでは足りない。なぜを掘り下げることが、自分の成長に繋がると信じられる場でなければならない。失敗を正直に言うことが、批判ではなく、次のAction への贈り物だと感じられる場だ。そういう場を作ることが、リーダーの最も大切な仕事だ」
「タヤマ学校の研修、特に試験受けのやり方は、PDSAで設計されているようですね。自分の考えをまとめ、試験受け伝え、トレーナーと一緒に考え、改善に向かうですよね?」
「そうだ」と校長は即座に言った。
「研修の場でPlanつまり、項目に対しての自分の答えを考える。Doで実際に動かせる。そしてStudyで、なぜうまくいったのか、なぜうまくいかなかったのかを、徹底的に掘り下げる。そのStudyから出てきたものが、本物のActionになる。表面的な反省ではなく、本質を変える行動、自己批判が生まれる」
私は書き留めながら、タヤマ学校の研修に参加した企業の人間たちのことを思った。
研修後に変わっていく人間と、変わらない人間がいる。その違いが、今夜初めてわかった気がした。
変わらない人間は、その会社の経営者や役職者がCheckで終わっていたのだ。変わる人間はStudyを自分に向けていたのだ。
なぜなら、経営者や上司がその姿を見せているからだ。
そこで私は校長に聞いた。
「校長、自分自身に対しても、PDSAを使えますか?」
「使える。いや、使わなければならない」と校長は言った。
「自分のPlanを立て、Doで動き、Studyで自分自身のなぜを掘り下げ、Actionで変わる。これが自己成長だ。自己成長をPDCAでやろうとすると、自分をCheckした瞬間に自我が邪魔をする。できていない自分を、直視できなくなる。しかしStudyなら、なぜできなかったのかを、責めずに見つめることができる」
「なぜ!を問うことが、成長の入り口なんですね!」
「そうだ。なぜを問わない人間は、同じ場所を何度も回る。なぜを問う人間は、一度の失敗から、次の扉を開く鍵を見つける。量と質の話を前にしたな」
「はい。質の高い量をこなす、という話ですね」
「量をこなしながら、StudyでなぜをこなすごとPDSAで問い続けた人間の質は、同じことをただこなしている人間とは、時間が経てば経つほど、まったく違う場所にいる」
部屋の外で、大将の仕事の気配がしていた。夜が深くなっていた。
「校長はご自身の経営を、ずっとPDSAでやってきたんですか?」
校長は少し考えた。
「意識してそう呼んでいたわけではない。しかし振り返れば、そうだった。うまくいかない時、私はいつも自分に聞いていた。なぜうまくいかないのか。なぜあの人は動いてくれなかったのか。なぜ私はあの場面でそう判断したのか。そのなぜが、次を変えてきた」
「それが三千社、七万人に繋がったんですね」
「そうかもしれない。なぜ!を問い続けなければ、人間は変わらない。組織も変わらない。Checkで終わった瞬間に、成長も止まる」
その時、私の携帯電は鳴った。
長男海拓がどうやら熱っぽく、今日は家に帰るとの事だった。
それを校長に伝えると「電話を変われ!」というなり、携帯電話を奪い取った。
「海拓に変われ」と言った後に、「海拓、大丈夫か?一緒にお寿司食べられなくボスは寂しいよ。パパに持って帰らせるから、家で食べな。」
いつもの光景とは言え、トホホである。
帰り際、松葉寿司の暖簾をくぐると、夜の冷気が再び肌を包んだ。
歩きながら、私は黒革の手帳を開いた。街灯の下で、今夜書いた文字を読んだ。
PDCAではなく、PDSAだ。
CheckではなくStudy。 確認ではなく、なぜの掘り下げ。
Checkは、人間の自我を呼び覚ます。 隠す。誤魔化す。見せたくないものを見せない。
Studyは、なぜ!を問うことで、 自我を超えて、本質を見ることができる。
なぜ!を問わない組織は、同じ失敗を繰り返す。 なぜ!を問う組織は、一度の失敗から、次の扉を開く。
深いStudyから出てきたActionだけが、 本質を変える改善になる。
田山敏雄という人間は、生涯、 自分自身に対してもPDSAで問い続けた人だった。
なぜ!を問うことを、死ぬまでやめなかった人だった。
黒革の手帳の中に、また一ページが加わった。
― 矢崎哲也 手帳より ―