成幸への道程~続・タヤマ学校 代表理事に、そして校長になった自己効力感教育家の日々~

成幸への道程~続・タヤマ学校 代表理事に、そして校長になった自己効力感教育家の日々~

人財育成一筋に58年のタヤマ学校に入社して26年目を迎え、代表理事に就任してからはや13年。
研修以外でなかなか触れることのない修了生の皆さんに、
僕も一修了生であり、悩んだり、喜んだり、家族に翻弄されたり、
日々学び続ける仲間だと感じて頂ければと思います。

期間限定でデーターを無料配布した際に、50名以上の方からお問合せ頂きいました。

 

本文に「全文」と「あとがき」、そして何より「田山敏雄の生き様の詩」を掲載して冊子に仕上げました。

 

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伍長から大王まで。下級が上がるほど「自分」を捨てる理由
 

なぜ、キングダムは経営者を熱くするのか?


『キングダム』を読んでいると、不思議な感覚になります。

 

信、王騎、桓騎、蒙武、李牧、嬴政……。
 

それぞれ能力も性格も、リーダーシップのスタイルもまったく違います。

ところが、彼らには一つの共通点があることに気づきました。
 

「自分が、どのような存在として生きるのか」を決めていることです。

 

そして私は、ここに現代の企業経営にも通じるとても重要な原理があると感じています。

 

それは、
組織の成長とは、単純に人が増えることではない。
リーダー自身の「視座」が上がることなのだ!っと。

以下に各リーダーに必要な事をまとめてみました。

 

第1階層 伍長
「まず、自分が動け」
伍長は、5人程度の最小単位を率いるリーダー。
現代でいえば、主任、チームリーダー、プロジェクトのサブリーダー、プレイングマネージャーに近い。

この階層で最も大切なのは、
「背中で示すこと」
まだ、「人を動かす」というより、
自分が動くことで、仲間を動かす。

そして仲間の不安や動揺を一番近くで察知し、支える。
組織の最小単位だからこそ、
ここが機能しなければピラミッド全体が崩れる。

タヤマ学校的に言えば、
「人を変えようとする前に、自分が変わる。」
ここがリーダーの出発点だ。
 
第2階層 百人将
「自分が頑張る」から「人を活かす」へ
ここで最初の大きな壁がやってくる。
100人を率いる人間が、100人分頑張ることなどできない。

つまり、
「自分の能力」だけでは勝てなくなる。
100人将に求められるのは、
「誰を、どこに配置すれば、最も力を発揮するのか」
を考えることだ。

100人将はプレイヤーからマネジャーへ脱皮し、適材適所と組織成果にコミットする段階と整理できる。

ここで必要になるのが、
「自分がやった方が早い」
という誘惑を捨てる覚悟だ。

経営者や管理職の方なら、一度は経験したことがあるのではないだろうか。
「俺がやった方が早い」
「任せると心配だ」
「結局、自分がやるしかない」

しかし、それを続ける限り、
あなた以上の組織にはならない。

 

第3階層 千人将
「自分が戦う」のではなく「人を育てて勝つ」
1000人将になると、さらに世界が変わる。
もう、自分が現場に出て指示を出すことはできない。

だから、
100人将を通じて1000人を動かす。
ここで必要なのが、
権限委譲と人材育成。

そして、
「自分がいなくても動く組織」をつくること。

この段階では「全体最適」と「中間管理職の育成」が重要になり、プレイヤーから完全に離れて「人を育て、仕組みで勝つ」フェーズになると整理できる。

これは、タヤマ学校が長年、人財育成で大切にしてきた考え方そのものだと思う。

人を育てるとは、自分のコピーをつくることではない。
自分とは違う才能を持った人間を、自分以上に活躍させることだ。
 
第4階層 将軍
「何をするか」より「なぜ戦うのか」
ここから、リーダーの仕事はさらに変わる。
3000人、5000人という規模になれば、細かな指示を出している暇はない。

必要なのは、
「この戦いには、どんな意味があるのか」
を示すこと。

将軍に求められるものとして「ビジョナリー・リーダーシップ」「変革型リーダーシップ」、そして自分自身の独自の経営哲学が組織文化を形づくることが挙げるこができるのではないか。

つまり、
人は命令だけでは動かない。
「何のために?」
が腹落ちしたとき、人は自ら動き始める。

だから、優れたリーダーは、
仕事を与えるのではなく、意味を与える。
 

第5階層 大将軍
「自分がいなくても、組織が勝てるか?」
そして、大将軍。
ここまで来ると、もう「自分が勝つ」という発想ではない。

大将軍の最大の使命を、
レガシーの構築と次世代への継承
と考えている。

これは、とても重要だ。
本当に偉大なリーダーとは、
「自分がいなければ困る組織」をつくった人ではない。

むしろ、
「自分がいなくなっても、さらに成長していく組織」をつくった人だ。

ここに、リーダーシップの究極の矛盾がある。
 
「自分が必要とされること」を捨てられるか?

若いリーダーほど、
「自分がいないと回らない」
ことを誇りにする。

しかし、本当は逆なのだ。
自分がいなくても回る。
自分がいなくても、人が育つ。
自分がいなくても、理念が受け継がれる。

そこまで組織を育てて、初めてリーダーとしての仕事を終えられる。

タヤマ学校では、これを単なるマネジメント技術として考えない。
「自我をどう扱うか」
という、人間そのものの問題として考える。
 

そして最後に「大王」がいる
キングダムの世界で、大王は単なる「一番偉い人」ではない。
大王の仕事は、
「この国をどこへ連れていくのか」
を決めることだ。

現代のCEO・創業者・オーナー経営者に相当し、「中華統一」のような巨大なパーパスを掲げ、組織の存在意義を定義する役割として整理しよう。

ここまで来ると、
「今月いくら売るか」
「何人採用するか」
「どの商品を売るか」
という話だけではない。

もっと根源的な問いになる。
「そもそも、私たちは何のために存在しているのか?」
 
以上の事から、リーダーの成長とは「自分の中の余計な物を捨てていく旅」である

 

伍長では、
自分が動く。

 

百人将では、
人を動かす。

 

千人将では、
人を育てる。

 

将軍では、
思想を示す。

 

大将軍では、
未来を残す。

 

そして大王では、
存在意義を示す。

 

これが、キングダムから見えてくるリーダーの進化です。

 

階級が上がるほど「個人の優秀さ」よりも、「他者を信じて託す力」と「組織全体のビジョンを描く力」が重要になるとまとめることが出来るのではないでしょうか。
 
では、あなたは今、どの「将」なのか?

ここで、少しだけ自分自身に問いかけてください。

 

あなたは、
自分で仕事を抱え込んでいないだろうか?
部下より自分が頑張っていないだろうか?
「任せるのが怖い」と思っていないだろうか?
部下を育てるより、自分が答えを教えていないだろうか?
社員に「何をやるか」は伝えていても、「なぜやるのか」を伝えているだろうか?

 

そして、
あなたがいなくなった後も、この会社は成長し続けるだろうか?
 

タヤマ学校が考える「本当の人財育成」


タヤマ学校が目指しているのは、
単に「優秀な社員」を増やすことではありません。

自ら考え、自ら決め、自ら行動できる人財を育てること!
それをタヤマ学校では「有能幹部」と呼んでいるのです。

 

そして、
一人ひとりの内側にある「輝き」を引き出し、それを組織の力に変えること。

だからこそ、私たちは「人材」ではなく、
「人財」
という言葉を使っています。

 

人は、管理するものではありません。
可能性を解き放つものです。
 
 「あなたは、何人将ですか?」

『キングダム』を単なる戦国漫画として読むのも面白いです。

 

しかし、そこに描かれている「人間」を見つめると、
経営者にも、
管理職にも、
新人にも、

 

そして一人の人間として生きる私たちにも、
たくさんの問いを投げかけてくれているのが分かります。。
「あなたは、今どの階層にいますか?」

 

そして、
「次の階層に上がるために、何を捨てなければならないでしょうか?」
もしかすると、リーダーの成長とは、
「何かを身につけていくこと」ではなく、
「自分が握りしめているものを、一つずつ手放していくこと」
なのかもしれませんね。

 

自分が動くことを捨て、
人を信じる。
人を信じることを覚え、
人を育てる。
人を育てることを超えて、
思想を残す。

 

そして最後には、
自分自身さえも超えて、未来を託す。

 

それが、タヤマ学校が考える、
「人と組織の無限の可能性を解き放つ」
ということなのです。

「利益は人輝いた結果である!」

 

 

「自分に冷たくするな。」

(※この内容にはドラマ「GTO」第3話の内容が含まれています。未視聴の方はお気を付けて下さい。)


第3話で鬼塚が歩夢にかけたこの言葉が、今回の物語のすべてを表しているように感じました。

 

好きな人に振られる。

誰だってつらい。

だから歩夢は、自分の気持ちを押し殺そうとしました。

「今日だけ一人でメソメソして、明日から普通にしよう。」

 

そして、国連事務総長になるという夢まで手放そうとしました。

 

でも鬼塚は言います。

「お前は優しい。なのに自分に冷たくしてどうするんだ。

 自分に期待しなくてどうするんだ。」

 

この言葉は、恋愛だけの話ではありません。

私たち大人にも、そのまま突き刺さる言葉ではないでしょうか。

 

私たちは、人には優しくすることを教えられてきました。

「相手の気持ちを考えなさい。」

「人に優しくしなさい。」

もちろん大切なことです。

 

でも、一番忘れてはいけないのは、

「自分にも優しくすること」

だと、私も考えています。

 

失敗した自分。

傷ついた自分。

恥ずかしい自分。

思い通りにならなかった自分。

 

そんな自分に対して、

「何やってるんだ」

「情けない」

「もっと頑張れ」

と、私たちは自分自身に一番冷たい言葉を浴びせてしまうことがあります。

 

しかし、自分を否定し続けて、本当に成長できるのでしょうか。

タヤマ学校では、人が成長するためには、まず自分自身を受け入れることが大切だと考えます。

 

自己受容とは、

「自分は完璧だ」と思うことではありません。

 

失敗した自分も、弱い自分も、傷ついた自分も、

「それも自分だ」と受け入れること。

 

そこから初めて、人は次の一歩を踏み出せるのです。

そして、今回もう一つ心に残った言葉があります。

 

歩夢は、失恋の痛みを経験してこう言います。

「失恋ってこんなにつらいんだね。」

 

そして、鬼塚は言います。

「昨日まで知らない気持ちを知った。成長したってことだ。」

 

私は、この言葉こそ「実践人間学」そのものだと思います。

 

人は、知識を増やしただけでは成長しません。

 

昨日まで知らなかった感情を知る。

悲しみを知る。

悔しさを知る。

誰かを好きになる喜びを知る。

そして、誰かを失う痛みを知る。

 

そうやって、人間の感情の幅が広がっていく。

それもまた、立派な「成長」なのです。

 

私たちは「成長」というと、

資格を取った。

売上が上がった。

役職が上がった。

仕事ができるようになった。

 

そんなものを思い浮かべがちです。

 

しかし、人間としての成長は、それだけではありません。

「昨日まで知らなかった気持ちを知った。」

これも、確かな成長です。

 

むしろ、人の痛みを知った人だからこそ、他人の痛みに寄り添えるようになります。

自分が傷ついた経験があるからこそ、誰かの傷にも気づけるようになる。

悲しみを知ったから、誰かの悲しみに寄り添える。

孤独を知ったから、誰かに声をかけられる。

 

それが、人間が人間として成長していくということなのではないでしょうか。

 

第3話の最後。

歩夢は教室で立ち上がり、

「僕のあだ名は事務総長でお願いします。」

と言います。

 

国連事務総長という夢を笑われた自分。

好きな人に振られた自分。

傷ついた自分。

 

それでも、もう隠さない。

もう、自分を否定しない。

むしろ、自分の夢を自分の言葉で語る。

 

私はここに、歩夢の大きな成長を感じました。

 

会社でも同じです。

部下が失敗したとき、

「何でできないんだ」

と責めるのは簡単です。

 

しかし、本当に必要なのは、

「この経験から、あなたは何を知った?」

と問いかけることではないでしょうか。

 

失敗した。

でも、昨日まで知らなかったことを知った。

昨日までできなかったことが、少しできるようになった。

昨日まで気づかなかった自分の弱さに気づいた。

 

それなら、その失敗は「成長の材料」になっています。

 

人を育てるということは、失敗をなくすことではありません。

 

失敗した経験を、その人の成長に変えること。

 

それこそが、大人の役割なのかもしれません。

 

 

タヤマ学校からの問い

あなたは、自分に冷たくなっていませんか?

失敗した自分を責めていませんか?

傷ついた自分を「弱い」と決めつけていませんか?

 

そして最近、

「昨日まで知らなかった気持ち」を、いくつ知りましたか?

 

悲しみも、悔しさも、喜びも、愛情も。

その一つひとつが、あなたの人生を豊かにしています。

 

だから、自分に冷たくしなくていい。

傷ついた自分も、迷っている自分も、そのまま受け入れていい。

 

なぜなら‥‥‥

昨日まで知らなかった気持ちを知った。

それを、成長というのです。

 

GTO × タヤマ学校
Great Thinking Organization

人を育て、組織を育て、未来を育てる。

時代は変わる。

しかし、人間の本質は変わらない。

だから私たちは、人間を学び続ける。

 

グレートだぜ!

「もう、リセットするしかない。」

 

第2話で最も心に残ったのは、伊藤結のこの一言でした。

(※この内容にはドラマ「GTO」第2話の内容が含まれています。未視聴の方はお気を付けて下さい。)

 

現代は「やり直し」が簡単な時代です。

 

SNSのアカウントは作り直せる。
学校も転校できる。
会社も転職できる。

嫌になったら、リセットすればいい。

 

そんな価値観が、少しずつ当たり前になっています。

 

しかし、本当にリセットすべきものは何なのでしょうか。

 

結が学校を去ろうとした理由は、マスゲーム部がうまくいかなかったからではありません。

 

嫌われること。
笑われること。
否定されること。

それが怖かったのです。

 

人は、出来事によって傷つくのではありません。

「自分には価値がないのではないか」

そう感じたときに、心は深く傷つきます。

 

だから環境を変えても、心が変わらなければ、同じ苦しみを繰り返してしまうことがあります。

26年間でその様な社会人を多数見てきました。

 

もし「リセットしたい」と思うならば、それまでの自分を否定して消そうとするのではなく、それまでの自分のすべてを認め、受け入れることです。

 

受け入れたうえで、自分が更に素敵な人生を送る為に変えることが必要なことは変えていく!敢えて言うならば、これが「リセット」ではないでしょうか。

 

もう一つ今回のキーポイントは、鬼塚は評価を上げるために、生徒の顔色をうかがい、ご機嫌を取ろうとしました。

しかし、それでは信頼は生まれません。

 

人は、自分に合わせてくれる人ではなく、自分と本気で向き合ってくれる人を信頼します。

 

評価を追いかけると、人を見失います。

 

人と向き合えば、結果として評価はついてきます。

 

これは学校だけではありません。

会社も同じです。

もしかしたら‥‥‥親子関係も‥‥‥。

 

私は仕事柄、360度評価(または360度フィードバック)を取り入れている多数の企業を見てきました。

その様な企業で数年後も組織における信頼関係が築けている企業を見たことがありません。

 

数字ばかりを追う組織は、人を見失います。

評価ばかりを気にする上司は、部下の心を見失います。

上司を評価対象してしか見ていない部下は、自らの存在価値を見失います。

 

本当に見るべきなのは、評価ではなく「一人ひとりの存在」です。

 

タヤマ学校では、創立以来、人が成長するために欠かせないものとして「自己受容」「他者承認」を大切にしてきました。

 

自分を受け入れられない人は、他人の評価に振り回されます。

そして、自分を認められない人は、他人を認めることも難しくなります。

 

だからこそ、人が本当に変わる出発点は、評価ではなく「受容」にあります。

 

鬼塚は、生徒を点数では見ません。

問題児としても見ません。

 

「目の前の一人の人間」として向き合います。

 

だから、生徒は少しずつ心を開いていくのです。

 

AIが進化し、評価制度が高度になっても、人の心は数値では測れません。

人は、「理解された」と感じたときに、もう一度前を向く力を取り戻します。

 

GTO × タヤマ学校
Great Thinking Organization
人を育て、組織を育て、未来を育てる。

時代は変わる。
しかし、人間の本質は変わらない。

だから私たちは、人間を学び続ける。

 

グレートだぜ!

 

今週のタヤマ学校からの問い

あなたは最近、「評価されること」を気にし過ぎていませんか?

そして、あなたの周りには「リセットしたい」と心の中で叫んでいる人はいないでしょうか?

 

本当にリセットすべきものは、環境ではありません。

自分や他人を「評価」で見る習慣なのかもしれません!

 

時代は変わる。

しかし、人は「受け入れられた」と感じたときに変わるという本質は、これからも変わりません。

 

あの日曜日のことを、私は今も鮮明に覚えている。

 

週末の昼下がりだった。秋の陽光が、校長の自宅の縁側に柔らかく差し込んでいた。

風もなく、遠くで子供の声がして、またすぐに静かになった。

校長の前にはペットボトルが1本置かれているだけだった。

 

その日の校長は、いつもと違った。

 

会って最初の瞬間から、それがわかった。

表情が、静かすぎた。いつも奥に灯っている火が、その日は表に出ていなかった。

しかし消えているのではなかった。それは、深いところに沈んでいる火だった。

地の底から燃えているような、静かで重い熱さだった。

 

しばらく、最近の営業に関して話をした。

庭の木が、風もないのに少し揺れた気がした。

 

「てつ」と校長は言った。

 

「はい」

 

「今日は、一番大事な話をするためにお前を呼んだんだ。」

 

私は「大事な話?」がなんであるか想像すらつかない。

しかし、校長からの電話で「今日は海拓は連れてくるな。あとで迎えに行く。その前にお前一人で来い」と言われ、何か怒られるのではないかと少しビビってはいた。

 

ビビる自分に怯むことなく、私は手帳を取り出した。いつもの習慣だった。

しかし今日だけは、すぐにペンを持てなかった。

何かが始まる前の、息を詰めるような感覚があった。

 

「五誓の言葉を、この本質をお前は理解できてるか?」

 

当時30そこそこの私は頷いた。

「エスキモーに氷を売れ」の中に書かれている、校長が冤罪から帰ってきた後に立てた、常に立ち返る為の五つの誓い、「理念」のことだと知っていた。

 

しかし、その本当の意味を、私はまだ知らなかったことにこの後震えるのである。

「意味は理解しているつもりです。しかし改めて聞かれて、正直、その理解が正しいかどうかは・・・・・・」

 

校長は右手でサングラスを少し上にあげた。

それが、この問いを待っていたと当時の合図かの様だった。

 

「冤罪から帰ってきた時、私は決めた。これから人財育成だけをやると。その覚悟を言葉にしたのが、五誓の言葉だ。しかしてつ、あれは単なる「誓い」や「理念」ではない。今日、それを話してやる。」

 

縁側に、秋の光が静かに落ちていた。

 

「一つ目。挨拶に悔いる所なかりしか!」

校長は、一言ずつ置くように言った。

 

「挨拶というのは、人間関係の入り口だ。どんな人間でも、どんな立場でも、できることだ。しかしその奥を見ると、挨拶というのは、認められたい、受け入れられたいという自我から始まる。相手に気づいてもらいたい。存在を認めてもらいたい。その自我があるから、人間は挨拶する。これが第一段階だ。自我が、人と人を繋ぐ入り口になる」

 

私はペンを走らせた。

 

「二つ目。目標を立てよ、そして第二の案を用意し、想像力と行いに悔いる所なかりしか!」

 

校長は少し間を置いた。

 

「目標というのは、多くの場合、自我を満たすためのものだ。出世したい、認められたい、豊かになりたい。その自我が欲望を生み、目標を生みだす。しかし本当に満たしたいなら、第二の案、第三の案まで考えなければならない。なぜか。一つの道が閉じた時に、止まる人間と、別の道を探す人間の違いがそこにある」

 

「想像力と行いというのは?」と私は聞いた。

 

校長はこう言った。

「その目標は、自我を満たすものか。それとも、自我を超えたものか。ここで問え、ということだ。王道と覇道、という言葉がある。王道は、正道だ。誠実に、正直に、人として正しい道を歩む。覇道は、力と策略で目標に向かう。どちらも、目標達成のためには必要になる時がある。しかしどんな手段を使っても、最後は王道に戻れ。それが行いだ」

 

私は書き留めながら、「是非及ばず」の夜の話が蘇ってきた。

価値ある目標に向かう時、是非を問わず進む。しかし手段を問わないということではなかった。

王道に戻る意識を持ちながら、進み続けることだったのだと、今初めてわかった。

 

校長は、縁側の光を一度見た。それから、静かに続けた。

「三つ目。自我を捨て無になれ。セールスマンシップに悔いる所なかりしか!」

 

その言葉が、空気を変えた。

「てつ、なぜ自我を捨てることが、三番目なのかわかるか」

 

私は黙った。

 

「普通は、きっと最初に自我を捨てなさいと言だろう。しかし私はそうしなかった。順番がある。人間は、自我があるから人と繋がれる。自我があるから目標を持てる。その自我が、価値ある目標へと育っていく。そして初めて、自我を捨てることができる」

 

「順番が逆では、できないのですか?」と私は聞いた。

 

「できない」

と校長は断言した。

 

「最初から自我を捨てろと言われても、人間には捨てるものがない。捨てるべき自我がなければ、無になれない。価値ある目標を持って初めて、その目標のために自我を超える意味が生まれる。だから三番目なんだ」

 

私はペンを止めた。

 

「『無になれ』というのは、消えろということではない。『何者でもないから、何者にもなれる』という状態だ。価値ある目標のために、必要であればどんな人間にもなれる。どんな役割も担える。プライドも、肩書きも、過去の実績も、一旦置ける。それが『無』だ。」

 

「それがセールスマンシップに繋がるんですね!」と私は言った。

 

「そうだ。『自分を売る』ということは、商品を売ることではない。価値ある目標のために、『何者にもなって、相手を動機付ける』ことだ。『無』になっているから、相手の前で自分を変えられる。相手が必要としている人間になれる。しかしてつ、ここが大事だ」

 

校長の声が、少し低くなった。

「価値ある目標でなければ、『無』にはなれない。価値のない目標のために自我を捨てることは、ただの『迎合』だ。ただの道具になることだ。価値ある目標があるから、無になることが意味を持つ。価値ある目標がなければ、何者にもなる覚悟が持てない」

 

私は書き留めながら、あの時の校長の言葉が蘇ってきた。

共感されようとして迎合した瞬間に、その目標は死ぬ。

あの夜の言葉と、今ここで繋がった!

 

『無』になることと、『迎合』することは、まったく違う。無になるのは、価値ある目標があるからだ!!

縁側の光が、少し動いた。時間が経っていた。

 

「四つ目。思い遣りをわすれるな。感性と理性に悔いる所なかりしか!」

校長は続けた。

 

「『無になった人間』が行うことが、思い遣りだ。自我がある人間の思い遣りは、どこかに打算や思惑が混ざる。しかし『無になった人間』の思い遣りは、純粋だ。相手のために、ただある。その思い遣りを実行する時の順番が、感性と理性だ」

 

「感性が先なんですね」と私は言った。

 

「そうだ。まず感性で感じろ。相手が何を必要としているか?何が嬉しいか?何が痛いか?論理の前に、感じろ!その後で、理性が働く。感じたことを、どういう言葉で、どういう行動で届けるか。感性と理性の順番を間違える人間は多い。理性で考えてから、感性を後付けにする。しかしそれでは、相手の心には届かない。それと理性ではこれが価値ある目標の達成に繋がるという気持ちも持たなければだめだ。」

 

共感と共鳴の夜が蘇ってきた。共感は頭に届く。共鳴は体に届く。感性で感じ、理性で届ける。

この四つ目は、その夜の話の深みだった。『思惑』ではダメ、しかし『理性』では価値ある目標に繋がる事も考えていないとダメだとはまさに『矛盾の中に真理あり』なのかも知れない。

 

「五つ目・・・・・・」

 

校長は、一度深く息を吸った。その呼吸の重さが、最後の誓いの重さを、言葉より先に伝えていた。

 

「泣け、心から泣け。そして感動させよ。心の契約に悔いる所なかりしか!」

静寂が、部屋を満たした。

 

「思い遣りの先に、感動がある。感動とは、相手の感情を動かし続けることだ。一度動かすのではない。動かし続ける。そのために、自分も本気で感じなければならない。心から泣けというのは、弱さではない。自分の感情を、本物にしておけということだ。感情が本物でなければ、相手の感情は動かせない」

 

「心の契約とは何ですか?」と私は分かっていたようで分かっていなかったことを聞いた。

 

校長はしばらく黙った。

今日一番長い沈黙だった。

縁側の光が、また少し動いた気がした。

 

「自分が価値ある目標を、何が何でも達成する。そのためには、王道も覇道も、裏も表も、すべてを活用する覚悟を持つ。その瞬間では、周りに理解されないかもしれない。しかし自我を捨てているから、理解されなくても構わない。価値ある目標を達成することが、自分も周りも、そして数十年後の人間たちも幸せにすると信じているから。その信念を、自分の心と交わす契約だ」

 

私はペンを走らせながら、手が震えていた。

 

「てつ、今日話したことを、整理して聞け」

 

校長は静かに、しかし一言も無駄にせず言った。

 

「第一段階。人との関係をつくる。挨拶だ。自我が、人を繋ぐ入り口になる。

 第二段階。価値ある目標を持つ。自我が、志事へと育つ段階だ。

 第三段階。その目標のために、自我を超える。何者でもないから、何者にもなれる。

 第四段階。相手のために生きる。思い遣りを、感性と理性で届ける。

 第五段階。人の人生を動かす。感動させ、心の契約を結ぶ」

 

私は書き終えて、校長を見た。

「これは、人財育成論ではないですね?」と私は愚かにも言った。

 

校長は静かに微笑んだ。今日初めての、本当の笑顔だった。

 

「そうだ」

 

「校長、これは『人間完成論』です!」

 

校長は頷いた。

その頷きには、何十年もかけて辿り着いた人間の、静かな確信があった。

 

「『五誓の言葉』は、プロセスだ。一つずつが独立した教えではなく、一本の道だ。第一段階がなければ、第二段階はない。第二段階がなければ、第三段階はない。順番を飛ばすことはできない。人間の成長というのは、そういうものだ」

 

「校長は今、どの段階にいますか?」とまだ無知だった私は思わず聞いていた。

 

校長はしばらく考えた。縁側の光が、今度は本当に少し動いた。

午後が、ゆっくりと深まっていた。

 

「第五段階を、死ぬまで歩み続けることが、私の心の契約だ」

それだけ言って、校長はペットボトルの水を一口飲んだ。

 

その後、しばらく二人は黙っていた。

話すことが、もう何もないのではなかった。

言葉を超えたものが、部屋の中に満ちていた。

それを言葉にしてしまうのが、惜しかった。

 

帰り際、玄関で靴を履きながら、私は振り返った。

「校長、私は今、どの段階にいると見えてますか?」

 

校長は私の目を見た。それから、静かに言った。

「第二段階と第三段階の間だ。価値ある目標は持っている。しかし自我を完全に捨てるには、まだその目標を、もっと深く信じる必要がある。今日の話が、その助けになるといいけどな。」

 

私は深々と頭を下げた。

 

すると校長は

「大事な事を言い忘れていた!海拓と夕食を食べる約束をしているから、18時にマンションに迎えに行くからと海拓に言っといてくれ!」

 

縁側の光は、もう夕暮れの色に変わり始めていた。

私は玄関を出た後、苦笑いしなから一人心の中でつぶやいた。

 

「『五誓の言葉』の本質の話より大事なことが海拓との食事の約束とは」

 

しかしそれが田山敏雄という男がどんな相手にも愛を持って接している証なのかも知れない。

まさに「五誓の言葉」の実践なのかも知れない。

 

歩きながら、私は黒革の手帳を開いた。

今日書いた文字は、いつもより少なかった。

しかし一行一行が、いつもより重かった。

 

五誓の言葉は、価値ある目標を実現できる人間になるための、成長の道筋である!

 

第一段階。人との関係をつくる。

 第二段階。価値ある目標を持つ。

 第三段階。その目標のために自我を超える。

 第四段階。相手のために生きる。

 第五段階。人の人生を動かす。

 

自我を捨てることが三番目である理由。 自我を認識する。捨てるべき自我がなければ、無にはなれない。 価値ある目標があるから、自我を超える意味が生まれる。

 

何者でもないから、何者にもなれる。

 

心の契約とは、価値ある目標を、何が何でも達成する覚悟を、自分の心と交わすことだ。

 

田山敏雄という人間は、冤罪という地獄から帰ってきた時、この五つの誓いを、自分の命と引き換えに立てた。そしてその誓いを、死ぬその日まで、一日も欠かさず歩み続けた。

 

それが、三千社・七万人の現実を変えた力の、本当の源だった。

 

手帳を閉じると、秋の夕暮れが、静かに街を染めていた。

 

そして私は静かに車のドアを開けた。