統計の信用度をはかったり、利用の仕方による怖ろしい一面を表す例としてよく使われるエピソードに、以下のようなものがあります。
>昔(戦争中)アメリカ海軍が「海軍はニューヨーク市より安全です」と言う兵士募集の広告を出した。
>当時ニューヨーク市民の死亡率は100人につき16人で、海軍は100人につき9人だったそうで、死亡率は海軍の方が低いから安全だと。
>しかし市民の死亡率には幼児や高齢者、病人も含まれており、海軍は屈強な若者ぞろい。
一見正しそうに見えてしまう(実際、それぞれの死亡率の数字は正しかったはず)のですが、そもそも母集団の構成が違うので、2つの数字を比較する意味がない、と言う例です。
100年も前の話らしいので、今ではもっと巧妙になっていると思われ(統計の取り方も進化していると思います)、詐欺にならないギリギリのところで上手く数字を使って広告しているものはたくさんありそうです。
統計の元になる数字でも、死亡率はかなり明確に取りやすいと思いますが、色々な要素が絡むケース(ある食品と病気の関係とか)や、人の主観が入るケース(『何%の方が「良い」と言っています』みたいなヤツです)は、どういう人を対象にしてどう言う調べ方をした結果なのかきちんと理解しないと、本当はどうなのか判断が付きません。
データソースや分析の仕方が正しかったとしても、上記の例のように、どの部分をどのように公表するか、で受け取り方を変える事ができてしまう。
テレビのニュースでも、視聴率を優先するあまり、受け取る側が求めている(と、提供側が勝手に思っている)部分だけを編集して「白いものも黒くする」のは、よく小説や映画の題材にもなっていますよね。
一番タチが悪いのは、その数字を受け取った人が正しいと信じて、善意で人に勧めたり伝えようとして広がって、いつの間にか間違った「常識」になってしまうケースです。(「ステマ」なんてのも気をつけないと!)
仕事の場では、クリティカル・シンキングやロジカル・シンキングを学んだり、複数の人で綿密な調査をして慎重に判断しているのに、こと私生活となると意外に簡単に判断してしまうケースも多いのではないでしょうか? 本当は自分の生活や健康に大きな影響があるかもしれないのに。
大切なのは、見聞きした事を、簡単に鵜呑みにしたり信用しない事(寂しい事ですが)、自分で考えて確かめてみる事、netの情報であれば、必ず逆の説や情報がないか検索して、どれが正しいのか自分で判断する事。これがなかなか難しいんですが。
ただ、少なくとも自分で考えて納得した判断なら、まだ諦めがつくのではないかと思います。(勿論「騙された方が悪い」と言っているわけではありません!)
誰かに勧められるまま何かを行って失敗したら、その誰かを恨む事になりかねません。(そうやって悪いことは何かにつけ他人のせいにする、と言う風潮も大問題ですよね)
何かにつけ、素朴な疑問を大切にして「ちょっと待てよ?」と、一度は自分で考えてみるクセをつけて、情報過多の時代に呑み込まれないよう気をつけましょう!
統計の話から脱線した「雑談」でした。