丸紅ギャラリーで開催中の「美しきシモネッタ」展に行ってきました。

新年最初に出かけた美術展です。


昨年、新宿地下道のこの広告を見て一目惚れ。絶対に観に行こうと思っていました。

カラーではなくて、敢えてモノクロ広告にしているところが秀逸です。


サンドロ・ボッティチェリ作「ラ ベッラ シモネッタ」。この美しい絵が、日本にあったなんて驚くばかり。

この作品一点のみを観る贅沢な美術展です。

《美しきシモネッタ》サンドロ・ボッティチェリ

推定1469年から1475年の間

丸紅ギャラリー

「美しきシモネッタ」展図録より


会場の展示作品はこの一点のみ。

他はパネルで、この作品を丸紅が持つに至った経緯や、モデルのシモネッタの逸話、また、この美しき女(ひと)に多くの芸術家が魅了されて、シモネッタの姿を作品に残したことが説明展示されています。


シモネッタは、1453年1月にイタリアのジェノヴァの富裕な商人として生まれ、1468年に、アメリカの名の元となった探検家アメリゴ・ヴェスプッチの従兄弟のマルコ・ヴェスプッチと結婚。

結婚後、フィレンツェに住み、その美を讃えられた女性です。


当時、フィレンツェ共和国を統治していたロレンツォ・デ・メディチにもその美しさと優美さを賛美されたシモネッタ。

ロレンツォの弟のジュリアーノは彼女に魅せられ、想いを寄せていたため、彼女とジュリアーノの関係はいろいろと噂されたようです。


そんな美しきシモネッタはわずか23歳で肺結核のため亡くなりました。

その葬儀で、フィレンツェの多くの市民がシモネッタに別れを告げたといいます

ロレンツォは「彼女の亡骸を見に来た者は皆、感動して泣いた。ー 彼女は生きている時は越えることが不可能と思われたその美しさを、死によって凌駕した」と記しています。

シモネッタは死してなお、その美しさを讃えられたのです。


美しきシモネッタ、当時の主要な画家のほとんどが彼女を描いています。


レオナルド・ダ・ヴィンチが24歳の時、シモネッタの葬儀に参列していた可能性があるそうです。

この素描は、その時に見たシモネッタの顔ではないかと考えられ、別称《眠れる美女》とも呼ばれています。

《女性の頭部》

レオナルド・ダ・ヴィンチ

1468-75年頃 ウフィツィ美術館

「美しきシモネッタ」展図録より


そして、ボッティチェリ。

シモネッタの近隣に住んでいたボッティチェリは、何度も彼女を前に下絵を描いていました。

なんとあの《プリマヴェーラ(春)》や《ヴィーナスの誕生》も、シモネッタをモデルに描かれています。知らなかった…。


もちろんヴィーナスがシモネッタです。

《ヴィーナスの誕生》

サンドロ・ボッティチェリ

1485年頃 ウフィツィ美術館

「美しきシモネッタ」展図録より


《プリマヴェーラ(春)》

サンドロ・ボッティチェリ

1480年頃 ウフィツィ美術館


この作品の三美神の1人がシモネッタでないかと推測もされていますが、定かではないようです。

右側の女性が身につけている宝石が、《美しきシモネッタ》の女性が身につけている宝石と類似しています。

でも左側の女性も他の作品に描かれたシモネッタと似ているようにも思います。 



それにしても、これほど人々を魅了した美女がいたとは。
なんとあの怪僧サヴォナローラでさえもがシモネッタに好意をよせたのです。

しかし、ボッティチェリが3世紀以上忘れ去られていたため、《美しきシモネッタ》も長く忘れられていました。
それが、何ヵ国も経由して日本にあるのが驚きです。その来歴についても、今回の展示で知ることができて、興味深いものでした。

数年前にフィレンツェを訪れた時には、シモネッタのことは何も知りませんでしたが、今回、シモネッタが生きた時代のフィレンツェを想像して心躍る展示でした。

「美しきシモネッタ」展は、1月31日までです。

「美しきシモネッタ」展を鑑賞後、相方と神楽坂で待ち合わせ。丸紅ギャラリーは竹橋なので、神楽坂へはすぐです。


いつも神楽坂では、ル・ブルターニュに行くのですが、この日はお蕎麦が食べたいねと言うことで、「蕎楽亭 もがみ」さんへ。

19時からは予約で満席とのことで、それまでならということで通していただきました。

まずはおつまみ6品の酒肴セット。


そして大好物の白子。


お蕎麦はわたしは湯葉蕎麦にしました。


お蕎麦をいただいた後、神楽坂を散策していると、居心地良さげなBARを発見。

久しぶりにゆっくりカクテルで、まったりな時間を過ごしました。


苺のこんな可愛いカクテルなんて頼んでみました。フレッシュで美味しかったぁ。苺をたくさん搾って作ってくれました。


心躍る美術展と美味しいディナーに美味しいお酒で、充実の1日となりました。