過去の私が泣いてる。


例え、息子が4歳になって平日の夕方に毎日ヘルパーさんが来てくれて、今は孤独じゃなくても。

ほら、夜中のまだ暗い3時、泣き叫ぶ息子を抱いて玄関を駆け出す3年前の私の後ろ姿は、震えるように今も泣いてる。


例え、4歳になって旦那が息子の障害を受け入れてくれるようになって、楽しく家族で過ごせるようになっても。

息子の意味不明の繰り返す行動にいら立つ旦那を前に、ただただ慌てる3年前の私が、今もリビングをさまよってる。

無言の旦那が二階に上ったあとも
『あんたのせいで私はこんな目に』
って息子の後ろ姿に呟きながら、ほら、あの頃の私、ぼろぼろ泣いてる。


息子が一歳から三歳までの孤独な私の影は、今も、この家のどこかで泣いてる。


トイレに鍵をかけて頭を抱えてひっそりと泣いてる。

カレーの鍋を見ながら、涙のしずくをポタポタ垂らしながらバレないように泣いてる。

二階の階段を登りながら、何かを振り切るように泣いてる。


今も見えるは、家の中で泣き場所を探す、あの頃の私の影。

支援を手に入れたからってあの頃の私の睡眠時間も笑顔も何もかも戻らない。

君の涙も、必死の生きざまも、忘れない。保健センターで流した涙も、スーパーの駐車場で流した涙も、忘れない。

君のためにできることは、ただ君の戦いを忘れない。それだけ。