母の病状が発覚して一ヶ月半過ぎ

 

主治医から年は越せないだろうと云われている

 

自分も多分そうだと思っている

 

 

 

 

ので

 

できるだけ足を運ぼうと思っているし

 

実際に顔を見に行く

 

というか

 

見せに行っている

 

 

 

 

 

片道2時間かかるので

 

正直疲労感が半端ない

 

しかしながらそれも来年の今頃は

 

やりたくてもできないと思うからこそ

 

老体鞭打ってやれている

 

 

 

 

 

 

 

 

母は近親者と折り合いが悪く

 

この期に及んでトモダチとやらを

 

やたら病室に呼びたがる

 

 

 

母が身近な人間と折り合いが悪いのはなんとなくわかる

 

感覚がZ世代なのだ

 

親類縁者昭和人間と

 

感性がZ世代のばあさんと合う訳がない

 

 

 

 

そのおトモダチとやらも

 

自分から云わせれば

 

免許返納して

 

身内に車に乗せてもらい病院に来るお年頃

 

 

 

 

という意味では

 

ある種ドライブ感覚でハイになっているので

 

見舞いの体でピクニック気分なのである

 

 

 

 

ハイついでに

 

自分の不幸自慢や孫自慢をまき散らし

 

意気揚々として帰っていく姿を見て

 

母は「呼ばなければよかった。めんどくさ」と後悔している

 

 

 

 

正直云うがアホかと思う

 

そんなん当たり前やんけ

 

トモダチ云うたらあくまでもトモダチ

 

年寄りなんて基本自分のことしか考えてへんで

 

(かなり偏った個人的意見を申し述べました)

 

 

 

 

母にはきっと理想があったのだろう

 

仲があまりよくない身内に適当に拝まれるよりは

 

仲いいトモダチに悲しまれながら旅立ちたいと

 

 

 

 

理想と現実は違う

 

本当に悲しんで骨を拾って後始末をして

 

墓参りをするのは

 

近親者なのだ

 

(違うご家庭もあるだろうが一般的に)

 

 

 

 

 

できるだけ本人の意向を汲んであげたいと思いながら

 

後悔している姿を

 

弟と二人で苦笑しながら

 

でもそれが本人のやりたい事やねん

 

と云い合う

 

 

 

まぁ

 

きっともっとやりたいこともたくさんあっただろうし

 

体調がいいときにトモダチと会いたかったと思う

 

 

 

 

ふと

 

自分もそこまで欲出すかなぁと考えた時

 

できるだけ

 

 

 

 

あぁしたい

 

こうしたい

 

と云わずに

 

 

 

 

 

ありがとうとだけ云う最期がいいなと考える今日この頃

 

 

 

 

 

 

 

お好きな人だけ観てください

 

おもろいけど長いから