ちょっと切ないご報告 | ☆yanの七転び八起き日記☆

☆yanの七転び八起き日記☆

2013.11 8歳年下の彼と結婚
wedding準備で始めたブログですが
今では結婚生活・妊娠のことなど日々のつぶやきブログとなってます*

タイトルでビビッとこられた方もいるかとは思いますが・・・

わたしこのたび、めでたく妊娠発覚・・・後、
切なくも赤ちゃんはサヨナラしてしまいました。

いやーほんと怒涛の1週間だった。

メンタルが騒がしくて騒がしくて。
せっかくやってきてくれた命を守りたい気持ちと、
もしダメになっても深く凹まないための予防線を張る・・・

このようなご報告をわざわざブログでするのもどうかと思ったけど
誰かに聞いてほしい気持ちと、リアルの知り合いには弱みを見せられない感じで・・・

いろんなことをさらけ出せるのがブログの良い所だし、たとえ4~5週でもわたしの中にいてくれたことを書き残しておこうかと思いました。

こういうブルーなテンション低いの苦手よ、という方はこの辺りでスルーしてくださいね(^^)

さてさて、思い返せば年末。
何やら着床出血のような、茶色い出血があり、あら、今回はもしや・・・
と期待してました。

バタバタと大掃除はしたものの、お正月は大雪だったこともあり、わりとゆったりと過ごせて、妊娠してるといいなーなんて思いながら過ごしました。

生理予定日は1月6日。
検査したい気持ちを抑えて、1月11日。
自分の誕生日の日の朝に検査することに決めてました。

結果はしばらく待つこともなく、くっきりと陽性☆

ときどきおなかが突っ張るような感じ、ピリピリする感じ、そして着床出血のようなものもあったから、確信に近いものはあったのだけど。

やっぱり生まれて初めて見る陽性ラインはすごくドキドキしたし、うれしかったです( ´∀`)

寝ているメンディーをたたき起こして

「赤ちゃんできたよ~♪」

って言いました。

「え~!よかったね!」

朝イチでよくわからんままにw一生懸命喜んでくれました。

でもまだ病院で検査するまでは、なんだか手放しに喜べず、なんでなのかはわからないけど、ダメな場合をすごく想定してしまってました。

喜び過ぎて傷つかないための予防線やったんやな、と今は思う。

まだ誰にも言える状態じゃないし、でもこの先どうしていくのかが全然わからなくて先輩ママのブロともさんに思いきって相談してみました。

先月の月経開始日から計算すると、どうも5週目くらいじゃないかなという感じで、病院に行くことに。

翌火曜日、病院に行くことに。

そしたら11日の夜から茶色い出血が。

下着に付く程ではないけど、なんだか一気に不安になる出来事でした。
これはいわゆる化学的流産かもしれないと。

でも今日の朝の時点でくっきり陽性だったんだからと言い聞かせたり。
いや病院行っても胎嚢は確認できないかもしれないかもと思ったり。

13日、少し沈んだ気持ちで病院に行きました。

その日は副医院長先生で、

「よかったですね。このくらい高温期続いてるのなら胎嚢見えるんじゃないかな・」

と笑顔で言ってもらっても

「でも生理のような痛みがあるし、ずっと茶色い出血が・・・」

テンション低っ!!!

「生理痛のような痛みは妊娠してたらよくあるものですよ」

ちょっとだけ安心しながら胎嚢が確認できること期待してエコー。

「あれ?見えないね。まぁ見えたとしてもまだ点みたいなものだしね。4週かな?」

と言われる。

今の時点ではなにもわからない。病院での尿検査ではうっすら陽性。

「もっと濃かったんですぅ」

というも、検査薬の種類が違うから・・・でも妊娠はしてますよ。と。

何ひとつ安心できずに、なんの感動も得られず、病院を後にしました。

とりあえずあと一週間。待つしかないんだなと。
そこからはネット検索の鬼と化してしまいました。

茶色い出血
化学的流産
胎嚢が見えない

などなど・・・
結果、大丈夫か大丈夫じゃないかは千差万別。

茶色い出血は大丈夫だという人もいれば、だめでしたという人もいる。

できるだけ安静に。ということで仕事以外はほとんど家事もしなくなりました。
化学的流産ならば、何をしてもどう安静にしてもほとんどが赤ちゃん側の理由なので、どうすることもできないんだけど。

安静にするに越したことはない。

と言ってくれるメンディーに甘えて、本当に全部家事やってもらいました。

でも15日にまた止まっていた出血が少しあり。
この日は実家の父が尿管結石になって、車の運転ができない母の代わりにわたしか姉かが病院に連れていかないといけなくなりました。

妊娠と安静のことを誰にも言ってなかったので、いつもならわたしがすぐ行くところを、いろいろ理由をつけて姉に行ってもらい・・・
行った病院で尿管結石じゃない、理由がわからない激痛ってことになって。
他の大変な病気なんじゃないか。
わたしが行くのを渋ったことを母が困ったんじゃないか。
姉もパートを休みづらいのに。

ともうメンタルがやられまくって・・・

ウダウダしているのならもう一回検査してみよう、もし陽性やったら母に言おうと決意。
検査の結果、前よりもくっきり陽性でした。

母は調子が悪いので、もし流産した場合落ち込んだらかわいそうだなと思ってせめて心拍が確認できるまでは・・・と伝えてなかったんですが、この日のなんやかんやで結局夜遅く伝えました。
でも出血しててどうなるかわからないとも。

母は「だめになってから聞くより今聞いてよかった。あまりまだ期待し過ぎず、大丈夫だったら大喜びしようね」と言ってくれました。

ちょっとメンタルが落ち着き、さあ寝ようと思ったらまた出血。
心なしか赤みが増していました。

次の日、16日㈮。
体温が少し下がってるのがちょっと不安。
でも大丈夫、昨日もくっきり陽性やったんやからまだ赤ちゃんはいてくれてる。

明るく1日を過ごして3時くらい。
同僚とキャッキャ笑って話しながらトイレに。

そしたら下着に付くほどに出血。
赤みが増した出血。

突然頭が真っ白に。
大丈夫だと思ってた矢先のことでした。

先に電話すればよかったんだけど慌てて病院へ。
尿検査の尿は赤く染まってました。

不安でそれでもあれから少し経ったし、胎嚢が見えて、大丈夫だよよかったねってなるんじゃないかと。

でもエコーの結果、なにも見えませんでした。
尿検査の結果はくっきり陽性でしたが、赤ちゃんがいなくなってもしばらくは陽性が続くし、今回はこのまま生理のようになってだめかもしれませんと。

あなたに責任があるわけではなく、昔なら気付かずに生理が来てしまうようなそういうものですから、染色体などの異常で妊娠を継続できないだけですから、と。

ネットで散々調べて頭ではわかっているんだけど、やっぱり

あの時ウロウロしたからかな。
考えこみ過ぎたせいかな。

と自分を責めてしまう。

とにかく前に胎嚢が見えていて、今回見えていないとかではないから、なにもわからない。なんとも言えない。また一週間後と言われ・・・

それでもその日はなんとなく大丈夫なんじゃないかな、と楽観視して寝ました。
朝、基礎体温を測ると、高温期持続。

なんだかとっても安心して、トイレに。
まさかのたくさんの出血でした(>_<)

あーもう生理のような。
これはもうだめだと。

でも昨日行ったところで病院へ行っても結局同じ。
しばらく放心、でも決心して病院に電話。

「出血してるなら今からすぐ来てください」

昨日も行ってること伝えたけど、来てくださいと。
時間外だったのに。

もうだめだと宣言されに行くのはとってもつらかった。

それでも一縷の望みを持って。

その日は院長先生でした。
いつもは少し怖めな先生だったけど、とても優しく。

「うん、なにも見えないね。昨日のエコー写真では厚みがあった部分ももうない。きれいになくなってる。あ、出てきてるね。」

「診察室でちゃんと説明するけど今回は残念だけど流産です。」

はい、と返事する声が震えました。

診察室で、出てきたものを見せてもらいました。
化学的流産をすると塊が出るとネットで読んだけど、わたしが想像しているものより、はるかに大きくてしっかりとした塊でした。

それを見せられたら、もう我慢できなくて涙が出ました。

赤ちゃんいなくなっちゃったんだなと。

「今後妊娠できないとか、しばらくはタイミングとるのをお休みしなさい、とかはなく、むしろちゃんと妊娠できることがしっかりわかったんだから!今回は残念だったけど、大丈夫だから」

と笑顔でおっしゃってくださいました。
わたしの必死の質問にもちゃんと答えてくれました。

ちゃんとした生理が来たら、もう一度。

でも体温がまだ下がってないのとホルモンも出たままなので、それがきちんと下がることを確認しないといけないから来週また病院です。

体温が下がらないままだったりすると子宮外妊娠もありえるから。
それは本当に大変だから。

化学的流産は、検査で陽性後、胎嚢が確認できないままに流産してしまうことです。
検査薬が今ほど高性能ではなかったころは気づかないままに遅めの生理が来てしまうようなもの。

検査薬が高性能なために、悲しい思いをしないといけないけど。
わたしに赤ちゃんが、
「大丈夫だよ、ちゃんと妊娠できるよ」
と伝えに来てくれたんだと思うことにしています。

病院は時間外だったため、誰もいなくて、泣いていることも恥ずかしくはなくよかった。

駐車場の車の中で、たまたま仕事だったメンディーに電話しました。
仕事中はなかなか電話できないのに、何かを感じ取ったのか出てくれて、そのときだけは声を出して泣きました。

悲しかったし、心細かったんだと思う。

帰ってから母に電話して
「あんたより人生経験長いから、ちょっと予想していたよ。気にしてもしょうがないことやから考えんとね」

と言ってもらい

帰宅したメンディーは

「yanちゃん大丈夫?どっか旅行に行こう。二人で最後になるかもやから急いで行こう。」

と抱きしめてくれました。(いやはやすみません(*´ω`*)照)

どうやら、赤ちゃんだめだった→yanちゃん泣く→悲しい→yanちゃんがいなくなる→メンディー泣く

っていう意味不明の思考回路をたどって泣いたらしいメンディー。
よくわからないけど、わたしがいなくなるのはだめらしい笑

もう安静にする必要はなくなったんだけど、いまだ甘やかしてもらってます。

出血がまだ続いててちょっとめまいがひどいのですが、それくらいで、体調もメンタルも逆にすっきりしたようなところもある。

少しの間だけでもわたしたちのところに来てくれた天使ちゃん。

いなくなったことが悲しすぎて、ハイ次!っていう思いになれないと思ったけど、落ち着いてきて、またがんばろって思ってます。

また不安と悲しみがあるかもしれないから、想像するとつらいけど。
今度こそはその存在を見たいし、心拍も聞きたいな。

自分では心構えでき始めている気持ちでいたけど、実際いざおなかに赤ちゃんがいるとなると、いろんな不安や焦りがあったりして、こんな高齢出産なくせに、まだまだ甘っちょろい人間であることがよくわかった。

もっと大きいパンツを履いて(笑)、あっためて、また赤ちゃんが来てくれることを祈ってます。

そして一番のりしてくれた赤ちゃん、ありがとう♡ごめんね


こんなわたしのブログを最後まで読んでくれた人がいましたらありがとう。
温かいお言葉待ってます(笑)

ベビ待ちのみなさんに、いままさに妊娠中のみなさんに、無事健康な命が生まれることを心から祈ってます。