大して知らない自分 | グローバルに波乱万丈



ソクラテスの言葉、

The more you learn, the more you realize how little you know.

どう和訳されているのでしょうか?

「学べば学ぶほど、自分は大して知らないことに気づく。」 みたいな感じですかね。


今、私、人生とか人の心とか関係とか、自分は思っていたほどわかってないことを実感し、

姿勢を改めているところなんです。



アメリカは様々な人種、文化の人の集まりで、極端に様々な考え方や私見の人達がいますから、

成長し、自分の手元から離れた我が子が、付き合う人達や環境次第で、

自分とは違う意見や価値観になっていく可能性が、多いにあるわけです。

単一民族で、沖縄、北海道と言えどそこまで文化が違わない日本には、ない問題だと思います。


カリフォルニアで、うちとは違う家庭環境、文化背景の彼女と生活している25歳の長男と、

少しズレを感じ始めています。


ショックを受けている自分を見つめ、

娘がゲイであり、それを受け入れられないままのモロッコの義姉達の気持ちが、

今になって、何となく理解できるんです。


今まではずっと、

「義姉たちはバカだわ。 どういう考えなのか、私にはさっぱりわからない。

私だったら、どんなことであろうが、受け入れることが出来る自信があるわ。」

と思ってきたんです。


私は変わらず、大の同性愛サポーターですが、

今まで、靴紐の結び方、自転車の乗り方、読み書きを教え、守り育てた我が子が、

成長し、自分とは違う考え、価値観、生き方の人になっていき、

凧の糸が手からスルスルと離れていくような、やるせない気持ち、今、わかるんです。


同性愛は罪とするイスラム教のモロッコで、伝統的な生き方をしている義姉達には、

フランス人のパートナーと共に、同性愛者平等の先端を行くカナダで、

精子バンクで赤ちゃんを作って、暮らす我が娘が自分達とはあまりにも違い、

ショックであり、それが怒りとなり、受け入れれないままなのだろうな、と、

自分がショックを受けることで、始めて義姉達の気持ちの想像がつくんです。



日本には二度と行かなくてもいい、と確信していたのに、

主人にせがまれ、四月にした西日本旅行がとても楽しく、

またこの九月に、和歌山など周る計画をしている自分がいたり、


親のことにしろ...



長年 「絶対に」 と確信していたことが、そうじゃあなくなり、

他に、自分はわかっている、確信していると思っていることも、実はそうじゃあないのでは?

と思い始め、

一体、自分は何を確実にわかっているのだろうか? 何を知っているのだろうか?

と思い始め...



最初は、自分に自信がなくなり、始めは辛かったんですが、

今は、自分は大して知らない、と受け入れ、不思議な開放感を感じているんです。

人に対しても、優しくなれているような気もします。


ソクラテスの言葉のように、

人はいろんな感情を経験し、学び、自分は大して知らないことに、気づくものなのでしょうね。



来年50歳になる私です。

これは、〝年をとり、角が取れて丸くなる” のプロセスの始まりなのかも知れません。