That's too bad. そりゃ残念っ | グローバルに波乱万丈


若い頃は、結構、人にどう思われるか、気にするタイプだったんですけどね。

今はもう、開き直りなのか、ある意味自信なのか、なんなのか、気にならないんです。 

ならないっていうのは嘘になるかな。 

気にしないことにしたって感じです。


"You don't like me? That's too bad."

「私のこと好きなじゃない? そりゃ残念っ。」

な姿勢なんです。


人はそれぞれ好み、タイプがあるし、英語でいう “ケミストリー”、合う合わないがありますし、

皆に好かれるのは不可能なことですし、好かれる必要はないし、

主人を含め、私を好きでいてくれる人が何人かいますから、それで十分と思っています。


そう思うと、楽ちんで、

周りの目や意見を意識せず、自分のままでいられます。



日本はアメリカと違い、見知らぬ人にスマイルしたり、話しかけたりしないので、

以前は、日本に行けば、怪しい人と思われないように、自制していたんですが、

今回は全然気にせず、自分のまま。



京都行きの満員電車のドアの近くに立っていると、途中の駅で、

荷物を持ち、ストローラー?、赤ちゃんを座らせるぶん、を押している若いお母さんがいて、

主人と二人でプラットフォームに降りて、ストローラーを抱え、電車に乗せてあげたんです。

京都駅到着前にも、「次で降りるん?」 と聞き、降りる手伝いをし、自分のままでお節介。


シャイそうな女性でしたが、

お礼を言った後も、うつむいて、込み上げる嬉しそうな顔をしてて、

こっちまで嬉しくなったんですよ。



神戸行きの電車では、一人だったんですが、

(主人は、サントリーとアサヒのビール工場見学のはしご。)

やっぱり満員で、目の前に立っていたインドネシアの観光客女性二人とお喋りしてたんですが、

彼女達は途中の駅で降りて行ったので、

70歳前後マダム達三人が座っていた、二人掛けのシートが向き合っている席に行き、

「ここ、いいですか?」 と訊いたんです。


「どうぞ、どうぞ。」 と言ってもらったので、気を良くし、自分のままで話しかけると、

手厳しそうなマダム、「さっきの外人さん、どこの人? 大きな声で喋りしよっちゃったけど。」 

(“しよっちゃった” は関西弁じゃなくて広島弁かな?)

「あー、煩かったですかぁ? 失礼しましたぁ。

インドネシアの人で、なんで日本人の女性は肌がキレイなんかいうて聞いてましたよ。」


そしたら

「そんな話してたん? おーきな声で喋りよってやから、なんの話しよってんかと思ったのよ。」

と、リコンファームな指摘。 (苦笑)

マダム達のお喋りの方が、よっぽどボリュームが高かったと思うんだけど。


私も怯むことなく、

「失礼しましたぁ。  

“肌がキレイなのは、皆、お金かけてるのよ。” 言っときました。 わははは。」 


その後、26年ぶりに桜を見に帰ってきたんだけど、遅過ぎたと話すと、

マダム達、遅く咲く桜の庭園などを考えてくれ、情報を教えてくれ、

楽しくお喋りをして、神戸まで退屈することなく過ごせました。



自分のままで、見知らぬ人にスマイルしたり、話しかけたりしたら、

変な人と思われたり、冷たい反応をされる可能性もあるのでしょうが、

もし、そうでも、「そりゃ残念っ。」 で、気にしません。


人とのふれ合いで、嬉しかったり、楽しかったりするチャンスがあるわけですし。

それにまず、自分のままでいるのは楽ちんだし、開放感いっぱいで気分がいいものです。


逆に、常に人にどう思われるかと気にするのは、しんどいだけでなく、

自分のままを好きになってもらえ、本物の関係を築く機会を逃すことにもなり兼ねません。


自分のままを好きになってもらえなかったら、単に、 "That's too bad." です。



ところで...

考えてみたら、関西のマダム達、アメちゃんくれなかったけど、どういうこと? (・ε・)