今回、日本へ行く途中、デルタ航空から大韓航空への乗り換えだったアトランタで、
一つスーツケースが取り残され、数日遅れて届いたんですが、
日本でそのことを話していると、ある人が、わざとやったんじゃないか、と言ったんですよ。
一瞬、どういう意味なのかわからず、首を傾げたのですが、
韓国の航空会社の大韓航空が日本人の私に嫌がらせ、ということと悟り、
「えっ?!」 と声を出したほど、びっくりしたんです。
アメリカの、私が暮らす環境では、人種にしろ、国にしろ、宗教にしろ、
露骨に偏見的な、差別的なコメントをする人はいないんです。
そういうふうには、なれないんです。
その理由は、例えばですね...
この前の、ある国際コンベンションで、バイリンガルのカウンターに駆り出された時、
初対面の、韓国人と中国人の私と同じくらいの女性達と一緒だったんですが、
暇な時、「ねーねー、これ、貴女の国の言葉でなんて言う?」 と二人に聞いては、
「うわー、日本語と中国語と韓国語、似てる、似てる!」 とか、
「貴女の方が私より日本人っぽい顔で、私は韓国人っぽいと思わない?」 とか、
アジア人三人で、和気あいあいと喋っていたんです。
で、私がふと、
「日本、中国とか韓国と、いろいろ摩擦があって、私、いつも中国の人や韓国の人に会うと、
私が日本人ということで、どう思われるのかと心配なのよね。
でも、こうして仲良くできて、嬉しいわ。」 と言うと、
アメリカ人の人と結婚し、35年もアメリカに住む韓国人の彼女は、
「特にアジア人が少ないフロリダに住んでいると、同じアジア人ということが嬉しいばかりで、
ネガティブな気持ちは浮かばないわよ。」
そして、6歳の時に中国から渡米し、
たまたまお母さんが一切英語ができない人だったので、中国語が喋れるようになったという、
すっかりアメリカ人の彼女は、
「お祖父さんから戦争時代の話を聞いて育ったから、
子供の頃は、とにかく日本人が怖くて怖くてしょうがなかったんだけど、
日本人に会う度、皆いい人で、“あれ?” って感じだったのよ。」
と呆気らかんと。
すると、韓国人の彼女は、
「私のお祖父さんは、大学は日本に行っていたし、占領中、日本側で働いていたんだけど、
戦後、敵に努めた裏切り者とされて、同国の人達からひどいリンチに遭い、
心身ともに回復することができず、60歳で早死にしたらしいわ。」
と、彼女も結構、呆気らかんと。
私が一人で暗くなり、「そういう話を聞く度、罪悪感を感じるのよね。」 と言うと、
中国人の彼女が、
「ドイツの人達も同じように、今でも罪悪感を背負っているのよね。 気の毒に。」
と言って、話が流れ、
私が、最近読んだ、90歳過ぎた元ナチス強制収容所の経理のお爺さんが、
イスラエルによって裁判にかけられるという記事の話をし、
三人で、「両サイドの気持ちもわからないでもないし、難しい問題ね。 何とも言えないわね。」
と終ったんです。
そうなるんです。
いろんな国の人が集まっているアメリカなので、
こうして、いろんな国、人種、宗教の人と接し、いろんな側の話を聞く機会があり、
両サイドにはそれぞれ違う価値観があり、事情があり、思いや考えがあることが理解でき、
「難しい問題ね。 何とも言えないわね。」 となり、
露骨な偏見的な、差別的なコメントなど、出来なくなるんです。
ですから、アメリカでも、そういう機会がない白人ぱっかりの田舎などでは、
差別や偏見が多いですし、そういうコメントも交わされるに違いありません。
私も、イスラエルとドイツの話の時、
私は広島出身で、母親が1.5キロのところで被爆していること、
そして、広島では、どの国が原爆を落としたかということは強調されず、
原爆は人類の過ちであり、繰り返してはいけないと、学校で習うこと、
実際、私は結構大きくなるまで、アメリカが落としたことを知らずにいたこと、を話すと、
二人とも、驚き、感動してましたから、
きっと彼女達にしても、私と接し、話を聞く機会により、
更に “難しい問題ね。 何とも言えないわね。” な人になったのではないかと思います。