今回、カナダ在住の主人の姪を訪問中、
ゲイである姪の奥さんのご両親の、フランスからの訪問と一日重なり、
始めて顔を合わしたのですが、
長い間、姪達からお互いの写真は見せてもらい、話を聞いてきたので、
すぐに打ち解け、お喋りで盛り上がりました。
ガーデニングが好きだという話の中での、お母さんの、
「一日中、庭で過ごすことがあるのよ。 ガーデニングをしていると、何もかも忘れれるの。」
という言葉で、数年前、姪の奥さんがカミングアウトした時、
ご両親、受け入れるまで、二年近くかかったという話を思い出したんです。
今では、姪のことを娘のように想い、
実の娘より、電話でお喋りをする時間が長いほどらしいですし、
姪が精子バンクを使って産んだ子供を孫として、まるで生き甲斐のように可愛がってられるのですが、
やはり、娘がゲイであると始めて知った時は、ショックや怒り、失望... 様々な感情で苦しみ、
その後二年間は、ガーデニングをしては心を休め、あれこれ考え、葛藤して、過ごされたのでしょう。
親というのは、自分のもとに届いた小さな子供に、夢を託します。
健康でいてほしい、心優しく育ってほしい、幸せになってほしい...
そして、子供の人格、考えをいくら尊重していても、
やっぱり、自分が期待する我が子のイメージを作ってしまいます。
子供が成長し、
ゲイだったり、トランスジェンダーだったり...
また、自分は気に入らない人と結婚したり、結婚せずに子供を持つことを選んだり...
体にタツゥーを入れたり、アメリカで合法化されつつあるマリファナを吸ったり...
自分の価値観、道徳からかけ離れたライフスタイルを選び、
今までずっと抱いてきた、期待でいっぱいの我が子のイメージと違った時、
親は、どうしても傷ついてしまいます。
一生懸命に子供を育ててきたほど。
インターネットでいろんな情報を取り入れ易く、世の中がグローバル化するほど、
子供の価値観、道徳、ライフスタイルが、親のとは異なる可能性、
今の時代は大きいでしょう。
ショック、怒り、失望... そんな様々な感情の中で、
ついつい、親は自分の傷ついた心で頭がいっぱいになり、自分を被害者としてしまい、
何が一番大切なのか、考えることが難しくなってしまいます。
幼い頃の子供の姿を浮かべ、「あの小さな子は、何処に行ってしまったの?」 と悲しみ、
頭の中で、するべきことか分かっていても、どうしても自分の傷ついた心に執着してしまいます。
それでも、自分の中の、影ってしまいそうな子供への想いを駆り立て、
有りのままのわが子を受け入れるのです。
子供が難しい年齢だったりすると、そのプロセスに時間をかけれない場合があります。
なかなか一番大事なことが見えない、するべきことができない親から、子供の心は徐々に離れていき、
子供の心、子供の将来、そして親子の関係にダメージがおき、
手遅れとなり、取り戻しがつかなくなってしまう可能性が大きいですから。
今までずっと、教えてやれることを全て教え、必死で守ってやってきた子が、
自分を見つけ、自分の道を歩み出した時、
親は子を一人の人間として自分から切り離し、一歩も二歩もステップバックし、見守るだけの立場とする。
親とは...
なんとツライ役目なんでしょうか。
まだ小さく、可愛い姪の子供の姿が、我が子達と重なり、
「あの小さな子供達、何処に行ってしまったのだろう。」
目が潤みます。