昨日、サンフランシスコから帰って来る長男を、空港にピックアップしに行き、
到着ロビーの出口に車を停めて待ちながら、思い出したことがありました。
サンフランシスコからニューヨークへの飛行機が遅れてしまい、
20時間近くかけて帰って来る長男のことを思い、
さぞかし疲れているだろうな、私の顔を見て心が和むのかな、などと考えていて、
ふと、24年前の記憶が蘇ったのです。
渡米した翌年、生まれたばかりの長男を連れて、実家に一時帰国をしました。
仕方なく渡ったアメリカで、高い言葉の壁の海外生活、価値観の違う外国人との結婚生活の開始、
カルチャーショックやホームシックが消えないうちに、妊娠による心身の変化、
とてもしんどい、辛い一年でしたし、
おまけにインターネットなどなく、国際電話代がとても高い時代でしたし、
日本人や日本文化とかけ離れた街で、寂しい、不安な一年でもありました。
ですから、日本に帰れるのは、それはそれは嬉しいことでしたし、
それに、初孫である我が子を皆に見せることも、とても楽しみだったのです。
昔から、決して仲のいい家族ではありませんでしたが、それでも顔を見るのが楽しみで、
実家の広島に向かう飛行機の中では、踊るような気持ちで、
胸をドキドキさせながら、乳児だった長男を胸に抱えて空港に降り立ったのでした。
でも、迎えの人達の中には、私の家族の顔はありませんでした。
再会で笑顔でいっぱいの人達の間を、
とぼとぼ、息子を抱え、お土産の入ったスーツケースを引っ張りながら抜け、
携帯電話は普及してない時代でしたから連絡もできず、
不安な気持ちで、ぽつり空港の外に立っていると、少しして母と弟が乗った車が現れ、
そして、まず母が言った言葉は、
「“待たしたけぇ、お姉ちゃん、怒っとる、怒っとる。” いうて、車の中から見て言いよったんよ。」
一年のアメリカ生活で、ハグやキス、愛情の示す言葉が当たり前になっていましたから、
特に、そんなそっけない最初の一言にはショックで、ひどく傷ついたのです。
日本人ですし、はにかみ、嬉しい気持ちが素直に表現できなかったのかも知れませんが、
外国で外国人に囲まれて生活をし、そんな環境で妊娠、出産をし、
ひとりで乳児を抱え、遠いところから乗り継ぎ乗り継ぎして、久しぶりに故郷に帰って来る娘。
どんな気持ちでいるのかとか、どういう言葉をかけてやっら嬉しいのだろうかとか、
思いやることが出来ないのだろうか、それほど愛されてはいないのだろうか、
何度も空港での出迎えのシーンを想像しただけに、悲しさ、情けなさ、怒りで胸がいっぱいでした。
すっかり忘れていたくらいですから、拘り続けたわけでも、根に持ったわけでもないのですが、
私の気持ちが実家から遠退いていったのは、それが始まりで、
その後の、そんな無神経で優しさに欠ける言動の積み重ねの結果なのでしょう。
親子だけではなく、人間関係というのはそんなものかも知れません。
日頃のちょっとした態度、言葉にも、相手の気持ちを察し、思いやる。
いい関係は、お互いの小さな気配りの努力の結果であるように思います。
そんなことを考えているうちロビーから出てきた息子の姿に、
車から飛び出し、喜びの声をあげ、両手を大きく広げてハグをし、ほっぺに長くキスをし、
ちょっと大袈裟に迎えたのでした。