実験室のネズミに母性本能の遺伝子が発見され、人間にもそんな遺伝子があるのかどうか議論されてますが、
周りの親子を見て、子供への愛情が強い人、そうでもない人、個人差を感じます。
日本は、子供への “I LOVE YOU.” という表現はないし、ハグとかキスとかの習慣はないけれど、
そんなものなしでも、子供は親から愛されているかどうかは感じるものです。
私は、親に愛されていると感じたことがありません。
夫婦喧嘩ばかりしていた両親だったので、
子供の気持ちを思いやり、愛情を示してやらないととか考える余裕がなかったのだろうと、
自分に言い聞かせてきましたが、
私自身が母親になった今、子供への愛情というのは考えて努力するものではなく、自然に湧き上がるものであり、
どんな状況であろうと、子供への愛情が強い人は、子供を愛情を示し続けるものだと思います。
私の両親は、親としての愛情が強くない人達なんだと思います。
私のこと、それほど愛してはないんだと思います。
父親は、私の渡米以来25年間、連絡してきたのは、自分がフロリダに遊びに来たい時くらいのものです。
娘の私がアメリカでどうしてるとか、気にならないようです。
母親は、今になって良くしてくれようとしてますが、
もし、本当に私のことを心から愛してくれているなら、
私が二十数年前、一年半の植物人間となった前夫の世話の後、子連れ未亡人になってボロボロの心で日本に戻った時、
受け入れて、優しくしてくれただろうし、
今、こうして私や子供達が自慢できるような状態になってからではなく、今までも良くしてくれたはず。
母は、私が赤ちゃんの時に熱を出した時、三日三晩寝ずに看病をしたこと、
いつも外出の前には徹夜してでも私に服を縫い、出かけ先では皆にお人形さんみたいだと言われたこと、
自分はいい母親だったと言わぬばかしに、機会があるごとに繰り返します。
でも、可愛らしい、小さな乳児や幼児を愛するのは容易いことです。
赤ちゃんが熱を出せば、普通、親なら必死で看病するものだろうし、
洋裁ができるのだから、何を着せられてるのか分からない幼児の頃じゃなく、
お洒落心がつき始めた年頃の時、流行の服を縫って着せてほしかったと思ってしまいます。
いくら厄介で、生意気で、可愛くない年頃でも、子供を愛し続ける。
それが本物の親の愛情だと思います。
子供にとっては、いくつになっても親は同じ存在であり、愛情を感じていたいのですから。
主人や息子達からたっぷり愛情を受けている今は、それほど気にしてませんが、
昔は、『大草原の小さな家』 を観ては、両親に心から愛されているローラやメリーを羨ましく思ったものです。
親からの無償の変わらぬ愛情、憧れでした。
親から愛されているということは、陽に干した後のふわふわの温かい羽根布団に包まれてるような心地よさ、
そんなイメージを抱いていました。
親に愛されている人達は、幸せな人達だと思います。
私には、二十年近くのつき合いになる親友がいます。
カフェで待ち合わせをしては、彼女の息子二人、私の息子二人のニュースを交わし、
息子達の嬉しいこと、情けないこと、心配、希望、後悔、期待、... 分かち合ってきました。
“幸せを倍にし、悲しみを半分にする” 真の友です。
私は彼女を “私が今まで知る中で一番の母” と呼び、彼女も私のことを同じように呼んでくれます。
この前、カフェのテラスでお互いの息子達の最新ニュースを報告をし合った後、彼女にひとつ約束をしてもらいました。
「ねぇ、私、貴女にお願いがあるの。
貴女ほど、私があの子達のためにどれだけ一生懸命にやってきたか、知る人はいないわ。
もしも私が先に逝ったら、私のあの子達への思い、あの子達に話してやってくれない?
私、どれだけ苦労したかを知ってほしいとか、感謝されたいとかじゃないのよ。
あの子達がどれだけ母親から愛されたのか、知ってほしいの。」
「あの子達、ちゃんと感じてるわよ。 でも、人から聞くのもいいかもね。
任せてちょうだい。 あの子達が母親から最高に愛された、どれだけの幸せ者かということ、ちゃんと伝えるわ。
でも、もうちょっと生きててよ。」
自分には、心から愛してくれた親がいた... なんて素敵な、幸せなことなんでしょう。
息子達への、私からの最後のギフトなのです。