ユニークな日本の道徳 | グローバルに波乱万丈






昔、日本でアメリカ人の前夫とつき合っていた時、

ひとつ、どうしても、どう考えても、全く理解できないことがありました。


ある事情で、(私の回顧録を読んで頂いた方はおわかりでしょうが)

彼は異性との交際を禁じられた立場でしたので、私とのことは “罪” のようなものでした。


彼は、そのことを上に報告し、処分をきちんと受け、自分の身をクリアにすると言い出したのですが、

私には、黙っていれば、遠いアメリカでは誰にもわからないことなんだし、

厳しい処分を受ける上、彼の家族の耳にも入り、悲しませ、ガッカリさせることになるのに、

どうして報告するのか、納得がいかなかったのです。



自分も周りもツライを思いをするはめになってでも、わざわざ荒波を立てるようなことをするのか、

当時の私は、全く理解できなかったのです。





道徳は、信者であろうがなかろうが、その文化の宗教的なバックグランドが影響していると言われます。


日本人の道徳は、社会の中の自分、自然の中の自分などと、自分と周りの関係を大切にする、

仏教、神道、儒教のコンビネーションからの、『和』 を重視した道徳なのだそうです。

確かに日本は、調和、平静を保つのが大切なこととされますね。


それに、日本人には、キリスト教やイスラム教などの、

生前の行い次第で、天国行きか地獄行きかを決められる “JUDGMENT DAY" (神の裁きの日) は、

一般的な考え方ではありませんから、

他の文化の人達のような “神様は知っている” という罪悪感は、さほど感じないようです。



私には、わざわざ荒波を立ててまで、正しいことをしようとする前夫が理解できなかったのは、

当時の私の、日本的な道徳のためだったのでしょう。





日本在住が長い外国人や日系アメリカ人の人達による、日本文化についてのフォーラムにも、

“日本の善悪は、「周りの人の気持ちを害さない。傷つけない。」 ということが基本になっているので、

浮気や不倫に対しての “バレなきゃいい。” 的な考え方や、

政治家達が平気に汚職をしておいて、公になると平謝りや辞職して謝罪するのは、

『和』 が保たれているうちは、悪いことをしているという感覚がそれほど強くないのではないか。”
              
とありました。
 


トヨタ社が問題を知りながらリコールをすぐにしなかったと、アメリカで大騒ぎになりましたが、

それも、日本の道徳の違いが理由のひとつだったのかも知れませんね。




もちろん、『和』 を重んじる日本の道徳のよる多くの利点も、外国人に認識されていて、

日本が安全で、日本人は穏やかで、つき合い易い人達だということなどが、

そのフォーラムでも上げられていました。




気になったのは、仏教徒で日本在住の日本ひいきのアメリカ人の人による、

“食べ物から服装から音楽から... アメリカナイズされている日本の若い世代が、

米映画やドラマで見る “自由” に憧れ、自己主張をしていることも、

今の日本が直面している社会問題の原因になっているのでは。”

という日本を案ずるコメントでした。


『和』 を基本とする、ユニークな道徳で成り立ってきた日本社会に、

キリスト教の道徳がベースで成り立っているアメリカ的な “自由”、個人主義を無理強いすると、

確かに問題が起こるかも知れませんね。