格好つけて贈った一冊の本 2 | グローバルに波乱万丈






ネパール人の彼女が、彼の待つパリに発って間もなく、

このままではいけないと、英語がちゃんとしゃべれるようになるために、教養をつけるために、大学に行き始めました。


そこで主人と出会ったのです。


主人の祖父はモロッコのフェズの街の貴族で、今でも苗字を名乗るだけで敬意を表されるくらいの家系です。

親戚はフランスで勉強した医者や学者だらけで、

義姉もソルボンヌ大学でフランス文学を学び、博士号を二つも持つ人です。


そんな家の一員になり、そんな苗字を名乗ることになることが、嬉しくてしょうがありませんでした。

主人の優しさ、温かさ、そして長男をとても大事に思ってくれるところに惹かれたのですが、

主人の家系の良さが、私の気持ちに全く影響しなかったとは、言い切れないように思います。 



でも、義姉の旦那さんは、経済学の博士号を持つ教授であるにも関わらず、

家系が良くないということで親族から見下されている様子に、不安を感じたこともありました。

私の家系について訊かれると、主人は「ヤヤの旧姓は、日本では“コカコーラ”的に知られてる名前なんだ。」

などと冗談を言い、話を反らせてくれ、惨めな思いをしたことは一度もありませんでしたけども。


それでも、比べられる羽目になる、もう一人の嫁である義兄のフランス人の奥さんは、

父親が化学の博士号を持ち、チーズのプレジデント社の重役のような立派な家の出の人で、

その分、私は、彼女の料理下手を批判する義姉達に気に入られるように、一生懸命モロッコ料理を学びました。


私のフランス語は片言なので、幸い、義姉兄や他の親戚との会話はいつも英語で、

彼らにとって英語はフランス語、アラビア語、スペイン語の次の言葉で、完璧ではないので、

義姉に、大学の必修科目の文学で仕方なく読んだカミュの 『異邦人』 について、知ったような顔して語っても、

突っ込まれて、作品の良さなどちょっとも理解してないことなど、ばれることはありませんでした。


それに、主人はいつも、私のいいところだけを話を大きくして家族に聞かせるので、

あんなにも学歴のある教養のある、上階級の人達から、私は一目置かれ、大事にされています。

騙しているようで罪悪感を感じますが、それによって私の自尊心は少しずつ育っていったような気がします。 



主人が大学を卒業し、昇任していき、妻として私も立派な人達と会話をしなければいけない機会が増えていき、

主人に恥をかかせることがないように、必死でした。

必死過ぎで、「変な人...」 と思われたことも何度かあったと思います。


長男が通ったテニスクラブの子供達のお母さん達は、きっと私のことをそう思っていたことでしょう。

テニスコーチをしている主人の友達は独身で、私のモロッコ料理を食べに、毎週末うちに来ていましたから、

そのお礼として、彼の所属するテニスクラブで、無料で長男にテニスを教えてくれていたのです。


彼はフランス出身のモロッコ人だからか生徒の多くは街のフランス人で、大きな会社の社長さん達の子供達でした。

お母さん達も皆、とても綺麗な立派な人達で、私にはオーラが発しているように見え、

コートサイドで挨拶を交わすだけで、ドキドキしたものです。

なるべく自然に振舞おうとしましたが、私はきっと “変な人” だったに違いありません。



つづく