母親と癌を見つけれなかったドクター | グローバルに波乱万丈





もう数年前のことになります。 ある健康食品店の駐車場でのことでした。


6歳だった友達の娘の抗がん剤治療の合間に、気分転換にと友達をランチに連れ出し、

娘のためにオーガニック食の買い物に寄って、小児科のドクターを見つけてしまったのです。


娘のガンは、その時はすでに末期でした。




友達の娘は重症の自閉症と知的障害でしゃべれず、食べることもトイレに行くこともできませんでした。


コロンビア出身でアメリカには家族が居ず、ご主人はメキシコに単身赴任の彼女が気の毒で、

私は毎日のように女の子の世話の手伝いに行っていました。



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ある日、彼女は私に、娘のお腹が膨らんでいることをどう思うかと聞いたのです。

娘は空気を飲み込む癖があったし、普段と変わらない無表情で苦しそうでも痛そうでもなかったので、

心配性ですぐに医者に連れて行く彼女に、いつものように 「なんでもないわよ。」 と言いかけたのです。

でも、何故か口からは 「うーん。 どうなのかしらね。」 という言葉が出てきました。



彼女は翌日、娘を小児科に連れて行き、女性のドクターが腹部下部のレントゲンを取る手続きをしました。

「どこか痛い?」 と症状を聞けるわけでもありませんから、

便秘気味だったので、ドクターは下部に原因があるかも知れないと思ったのです。


結果は異常なしで、やっぱり空気を飲み込むからかも知れない、ということになりました。



「お腹がなかなか元に戻らないわ。」 と言いながら、二ヶ月近く経ち、

夜中に熱が出て、ERに連れて行き... 肝臓ガンであることが発覚したのでした。



何度も友達は、「もしあの時ドクターが腹部全体のレントゲンと取ることにしていたら、

肝臓も含まれて、発見が早まり、治療できていたかも知れない...」 と繰り返していました。


その間、小児科のドクターは他のクリニックに移り、友達の娘のガンのことは知らないままだったのです。





駐車場でドクターを見つけた友達は、「娘のことを伝えてくるわ。」 と、ドクターに向かいました。

ドクターは中学生くらいの息子と一緒でした。



いつも通院に同行し、ガンの通知の時も彼女の手を握って支えた私でしたが、

その時は、友達として彼女の後を追うことができず、後ずさりしてしまったのです。

彼女を止めるにも、声が出ませんでした。



コロンビアの良家の娘である彼女ですから、取り乱すこともなく、冷静に話をしている姿が見えました。 

でも、当然、とても冷たい表情でした。


少しして、ドクターは息子に車で待っているように言ったのか、不安そうに息子が立ち去る姿が見え、

居たたまれなく、私も車に向かいました。


車の中に潜り込み、私は震えていました。




重症の自閉症の娘の世話を手伝ってきた私は、ドクターにとってどれだけ診察が難しいか理解でき、

ガン専門医ですら、かなり発見に時間がかかった娘の特殊な肝臓ガンに、

小児科のドクターが気がつかなかったのも、仕方がないように思えます。


それに、もう少しで 「なんでもないわよ。」 と言ってしまっていた私も、

ドクターと同じように、ガンの発見を遅らせてしまっていたかも知れません。



そしてまた、前夫を事故で失った私は、

“もしあの時...” と頭の中で、現状と違うシナリオを想像する彼女の気持ちが痛いほど理解できます。

まして、それが子供だと、“救ってあげれたかも知れない。” と苦しいことでしょう。





そんな複雑な思いと切なさで胸がいっぱいで、体が震えてきたのでした。



それから数ヵ月後、抗がん剤治療を繰り返した後、彼女の娘は息をひきとりました。



彼女は、もしガンが数ヶ月早く発見されていたも、同じ結末になるとわかっていたような気がします。

やるせない思いを、ただただ何処かにぶつけたかったのでしょう。

それも理解できることです。




今でも時々、

駐車場でしゃんと背筋を伸ばし、ドクターに向って歩く彼女の後姿と、

息子に車に送りやるドクターの姿を思い出し、

 
体が震えるような切ない気持ちになることがあります。