確かに、
カナダにいる娘が同性愛者ということと、パートナーとの子供として人工授精で妊娠したこと、
一度に聞かされたのは、ショックだったとは思います。
でも、我が子は何があろうが、我が子じゃないですか。
娘のことも、産まれてくる孫のことも、拒否している義姉はバカだと思います。 大バカです。
姪っ子が泣きながら主人に電話をしてきたと聞いた時、私はすぐに姪っ子にメッセージを送りました。
NO MATTER WHAT,WE ARE HERE FOR YOU.
“どんなことがあろうと、私達は貴女のためにここにいるからね。”
NO MATTER WHAT...
息子が生まれた夜に、胸に抱えた息子に、自分に誓った言葉。
“どんなことがあろうが、貴方は私の息子。 どんなことがあろうが、貴方のことを愛し続けます。”
子供が小さく、お人形さんのように愛らしい時期、可愛がることは容易いことです。
でも、成長するにつれ、親の自分とは違った人間性、考え、価値観、意思...を持ち、
自分の足で歩んでいこうとする我が子といい関係を保つには、
距離を置くことが必要だったり、親としての接し方、関わり方を調整する必要があります。
だけど、子供を愛する想いは、変わるべき...変わるはずではないのです。
だって、子供にとっては、どんなに体が大きくなろうが、
昔、転んでしまって時、大切なオモチャを失くしてしまった時、不安な時、悲しい時、辛い時、
お母さん、お父さんのところに泣きながら行き、抱きかかえてもらうと、
大きな胸の中で不思議と全て大丈夫と思えたあの頃と、親の存在、親への想いは変わらないんですから。
NO MATTER WHAT... どんなことがあろうと...
子供が同性愛者だろうが、外国からの子連れの出戻りだろうが、我が子は我が子。
変わりはないはず。 変わりがないべき。
世間体だろうが、宗教だろうが、しきたりだろうが、子供の心より大切なものなどないはず。
不安な時、悲しい時、辛い時、親を求める子供にとって、親の存在は変わらないんですから。
自分のことを重なるのか、無性に義姉に腹が立ちます。
「ヤヤに大きなお腹を見てもらわなくっちゃ。」と、
来月、姪っ子がパートナーと二人でカナダから遊びに来てくれます。
その時に渡してあげたく、ちっちゃな服、靴下、帽子...買い物に楽しんでいます。
姪っ子達と過ごすのも、とても楽しみです。
こんな楽しいチャンスを逃している義姉、大バカです。