回顧録: 息子への手紙 24 | グローバルに波乱万丈

Dear MY SON、

ロンドンの半地下のアパートに居ると気が狂ってしまいそうで、昼間はいつも貴方の手を引いてハイド・パークまで歩き、パーク内の公園で過ごしていました。 アラビア人のお母さん達、インド人のお母さん達...それぞれが固まっておしゃべりをしていて、ぽつんと一人ベンチに座る私はまるで透明人間のように、誰も見えていないかのようだったわ。

この地球上に私を必要とする人も、待つ人も居ない。 本当に私が消えてしまっても、誰も気がつかないのかも知れない。 そんなことを思いながら、貴方が砂場で遊ぶのをぼんやり眺めていたわ。

だから、バスの中で、ふと目が合ったイギリス人のお婆さんが微笑んでくれたこと、とても嬉しかったの。 人々が無愛想なイギリスで、通りすがりの人から微笑んでもらったのは初めてのことでした。 他の乗客とは雰囲気の違う素敵な老人だったわ。 貴方を抱っこして立っている私に隣に座るように手招きしてくれ、何故か私は自分の事情をお婆さんに話し始めたの。 

私の話を聞き終え、「貴女はグリーンカードを持っていて、アメリカに住めるんでしょ? 皆の憧れのアメリカに住めるのに、どうしてイギリスにいるの? アメリカに帰りなさい。」 お婆さんはそう言って、貴方にバイバイをしてバスを降りていきました。 まるで映画のいちシーンに出てくる、どこからともなく表れて、振り返ったら消えている不思議な老人。 そんなお婆さんでした。 今考えると、もしかしたら、お婆さんに姿を変えた前夫だったのかも知れないわね。 迷い子になった私を導いてくれたのかも。 それから、アメリカに帰ることを考え始めました。 でも、義母達のことが怖く、あの街に戻っていくのは嫌でした。

そんな中、私のうつ病は悪化していき、一人でいる恐怖感が増していき、アパートの近くの公衆電話からオーストリアのもう一人の友達に泣きながら電話をかけました。 申し訳なかったけど、他に頼れる人がいなかったの。 優しい彼は、フィアンセと住む小さなアパートに私達を招いてくれたわ。 そして、私達がオーストリアに来ていると聞いた彼の両親は、小さなアパートは居心地が悪いだろうと、彼らの家に滞在するようにと勧めてくれました。 人からの、それも他人からの優しさに、ロンドンで冷たくなっていた心が温められるようでした。

当時、友達のお父さんは海外の会社から仕事を依頼され、数年オーストリアの家を留守にするということで、私がオーストリアでやっていくなら家を貸してくれるということでした。 初めて16歳の時に訪れて以来、オーストリアは憧れの国で、住めるなんて夢のような話だったし、とてもありがたいことだったけど、アメリカに渡った時、言葉、いろんなシステム、制度に慣れるまで苦労して、また違う国で、違う言葉を習んでやっていくエネルギー、貴方を育てていく自信など、その時の私にはありませんでした。 

一生懸命に私達のことを考えてくれた友達の両親が次に提案してくれたのは、私達がアメリカで落ち着くまで彼らのフロリダの別荘に滞在するということでした。 その頃、友達の弟がガールフレンドと一緒にその別荘に住んでいたの。 連絡を入れるから訪ねていけばいいと言ってくれました。

フロリダは義母達がいる街から一番距離のある州だし、フロリダのオランドーはディズニーがあるくらいだからいろんな人種が住み、日本人の私達でも差別されることなく生活できると思い、フロリダに行くことに決めたの。 大体、他に行くところがなかったし。


今ではうちから一時間ほどのその別荘で、一年の半分を過ごす友達の両親。 精一杯、尽してあげたいと思っているの。 何かをしてあげてお礼を言ってもらう度、「貴方達は私達の恩人。 あの時、私と息子にしてくれたこと、私がどれだけのことをさせてもらっても、一生、返しきることはできないんです。 だから、お礼なんて言わないでください。」って、私は言うの。 いつまでも元気で長生きしてもらって、できるだけお返しができたらいいけれど。

グローバルに波乱万丈、グローバルに幸せ



Love、MOM


追伸

誰にでも微笑みかけることができる人でいてください。 寂しい時、見知らぬ人からの微笑みは心に沁みるものです。 微笑み、声をかけてあげることで誰かの心を癒しているかも知れないなんて、なんだか嬉しいじゃない。 I love you with all my heart, and I will always love you no matter what. You are my son forever and ever.