ハイチとドミニカ共和国はひとつの島なのにも関わらず、全く違う言語をしゃべり、人々の容姿も違う理由はパイレーツ・オブ・カリビアンが関わっているというお話。
この島もコロンブス達、ヨーロッパ人が来るまでは、友好的な現地民が平和に暮らしていました。
島では黄金が取れたので、占領したスペイン人は現地民を奴隷として働かさせていましたが、スペイン人が持ち込んだ疫病と重労働のために、ほとんどの現地民は死んでしまいました。
他のカリブの島、キュラソー島とボネール島の現地民もこの島に連れてこられ、死んでいきったのです。
そんな中、スペイン本国はカリブの島より黄金の多い南アメリカ大陸の占領に力を入れ始めました。
労働者も失い、広地域に手を広め過ぎたスペインのその島での勢力は弱まっていったのでした。
それをいいことに、この島の西側を乗っ取ったのが、フランスのパイレーツ・オブ・カリビアンなのです。
パイレーツと共にフランスからの開拓者が島の西側を占領していきました。
(映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」でジョニー・デップが演じるパイレーツはイギリス人。 舞台はジャマイカ。)
当事、羽振りのよかったフランスは、アフリカからの奴隷をどんどん買い、島に連れてきました。
島の小部分に、70万人もの黒人奴隷がいたという記録があるそうです。
現在でも、ハイチは島の三分の一ぐらいの範囲なのですが、人口はドミニカ共和国のニ倍なのです。
その後、フランス側ではいろんな問題があったあげく、奴隷が反逆してフランス人を追いやってしまった。
その間、少人数のスペイン人開拓者は島の東側で細々と暮らし続けました。
そのうち、フランス側はハイチ、スペイン側はドミニカと名前が付けられたのです。
そういうことで、ハイチ人ではフランス語のようなクレオ語をしゃべり、ドミニカ共和国人はスペイン語をしゃべります。
ハイチ側は奴隷の子孫なので再び支配されることを恐れ、外国人が入って来にくい法律を設定。
逆に人口密度の低いドミニカ側は、どんどん外国人の移住者を受け入れていきました。
そんな訳で、ハイチの人は黒人、ドミニカの人はスペイン系のミックスなのです。
17世紀に島を乗っ取ったのが、当事羽振りのよかったフランスのパイレーツではなく、イギリスとかオランダとか他の国のパイレーツだったなら、どうなっていたのでしょう。
歴史上のちょっとしたことで、国の、その国の人々の運命が変わっていったのです。
同じように、現在のちょっとしたことで、未来も変わっていくのでしょう。 現在を生きる私達も責任重大です。
外国人からの投資が入るドミニカは、近代化も進み豊かな国。
アメリカの大リーグに、サミー・ソサ選手など、たくさん野球の選手を送れるほどです。
その反面、外国人を受け入れないハイチは発展できず、人口も多いのでまとまりもつきません。
現在、アフリカを除けば、最も貧乏な国と言われています。
そんな状態の中、あの地震がおきました。 再建は不可能ではないかも知れないと、言われているほどです。