なるほど。

そうかも。
どっちもその方が都合が良いのかもな

良いとは思ってなくても
こんなループにはまって抜け出せない人が
いっぱいいるかもしれない

たまたまこのブログを読んで
自分を思い出したし
この相談してる人
軽く書いてるけど
かなしい気持ちに気がついてるのかな
麻痺させてないのかな?と思った




私もちょっと似ている。
私の場合は、10時間会議どころか
話し合いの席についてもらえなかったから


ちょっと 真剣に話ししようと
ねぇ、って言うだけで
テレビのボリュームをガンガンにあげたり
電気真っ暗にしたり
別の部屋に閉じこもったりで。
あー、真冬の夜に家にチェーンかけられて
電話してもピンポンしても皆無で
小さな子どもが挟まって
どーしようもなくて 警察呼んだこともあったな


それでも離婚を考えてみても
離婚する覚悟はなくて


たぶん
あの人への罪悪感
親への罪悪感
あと 何があったんだろう?
今はあたりまえに在る
自分を大切にする覚悟がなかったからかな


ずっと
この世界から消えたくて
ベランダに出て お月さま観ながら
お父さんお母さん 幸せになってなくて
ごめんなさい
息子に  明るい普通の家庭じゃなくてごめんね
って ポロポロ泣いてた

そして
また明るく振る舞う
さみしいのを
かなしいのを
なかったように隠して

家庭内別居ほど嫌なことはないと思ってたから
子どもに 変な空気を感じさせないように
明るく笑って
そして 私が丸く収めたらいいからと
言葉を聞いてくれないし
私からの電話もメールも着信拒否だったから
手紙を書いて ちゃんと見てもらえるように
私が仕事に出る直前に
あの人のカバンの上に手紙をのせてた

でもたぶん 2回くらいは
離婚を覚悟してるという旨のことは書いたと思うけど、
結局 不穏な空気の中でいるのが嫌だったから
 顔色をみてる内容だったし
感謝を伝えてもいた。

私の愛が足りないとか も思ったりした
そういった 不器用な人だから
私がいないと 家族がいないとかわいそう
と思ったし
(今思うとかわいそうって 馬鹿にしてる感じ)


それも全部
親にも 何も言えなかった



そんな生活を17年も続けて
結局、仕事に逃げて
仕事の評価ばかり上がり管理職になったりして
それでも我慢し過ぎて 病気して
働けなくなって

それでも 生活費ももらえず
結婚してずっと共働きで 家賃しか払ってもらえてないのがあたりまえだったから
仕事を辞めた後
健康保険の扶養にもなかなか入れてもらえず
通院してた心療内科にも2ヶ月通えなくなった

↑この時点で
さすがに もう気力が無くて
私は 努力することができなくなって
最後数ヶ月は 
軽蔑してた家庭内別居だったと思う。
家の中にいる
無視されてるから 静かなんだけど
時に荒々しい物音とか
独り言とかため息とか
私と絶対に顔を合わせないように
神経を研ぎ澄ませてる感覚とか
見えない 攻撃をバシバシ受けてて

病気も過呼吸もひどくなって
まるで私は存在したらいけないかのようで
その時 やっと離婚する覚悟ができたんだよね


自分がボロボロになることはやめたかった
自分を大切するっていうのが
わかんなかったけど
限界まで追い込まれて
どうしようもなくて

あの時の夢は
離婚すること   だった

自由になりたい
我慢して 気を遣いたくない


当時16才の息子に はじめて弱みをみせた
「お母さんはもうしんどい。助けて欲しいから一     緒に引っ越しして」 て震えながら言った
 「わかった」と言ってくれた


それで
離婚の話し合いとかしたら
何されるかわかんないから


逃げた。

昼間、あの人が仕事に行ってる間に
手紙を置いて
引っ越しした。
近くではあったけど  わからない場所へ



私は今
自分に1ミリも我慢させたくないし
自由に生きたい
わがままに 貪欲に自分を大切にしたい

それから
生活とか 体調とか いろんな不安に押しつぶされそうになる時があるけど
それでも 私は 大丈夫 なんとかなる
という 根拠のない自信がある。


たぶん その根拠のない自信は

あの時  わたしは
わたしを 護ることができたんだ。

って強く思えているから



離婚するのがいいということではなくて。

はなしそれた

もし ずっと一緒にいるパートナーができたら
ずっと一緒にいたい
と思えたら
ずっと一緒にいたいからって
本音 で話し合いたいな