『そこは暗闇の世界。一見何もない空間に見えるが、その中には数え切れない程の微粒子が渦巻いている。突然、そこに鬼女が生まれた。鬼女は魔力を持っており、この暗闇を宇宙と呼んで、指一本振るだけで惑星を創ると、そこを住処と決め地獄星と名付ける。次に、鬼の女は人間の男を創った。何故人間だったのか鬼女にも判らない。ただ一つ、その人間の男は、とても美しい姿をしていた……』
 長井ツグオは十五歳、父親のハジメから、そんな作り話を母親の腹の中に居る頃から聞かされていた。

「……あれだ。父ちゃんが言っていたのは本当の事だった。多分、その世界に今俺はいる。だけど、明かされた真実は誰にも喋らない、教えない。何故、あの醜い鳥が女を求めていたのか、目的も、誰かからの命令も喋らない……。一つだけ言えるのは、もう俺が女と交わっても誰も殺さないって事実だ、父ちゃんの長井ハジメや、兄ちゃんの長井ハヤトのように、もう殺人は起こさない……。ああ、豊満な花に包まれ甘い蜜で溺れそうだ。自分が羽を濡らした蜂になってヌメリとした花弁に寝そべっている……。これが究極の快楽とでも言うのか、だが、もっと欲しい、もっと求めたい。そう思って、薄目を開くと、一本の角を生やした小さな鬼が大口を開いて長く伸びた舌を絡めて俺は食われそうになる。甘い蜜の中から逃げたくないで一杯の気持ちなのに、圧倒的な恐怖心から、俺は思わず叫んでしまう……」

 本当に叫んだのかさえ覚えない。夢は途切れてしまった。
 ツグオが目を覚ましたのは、綺麗な造りの一人部屋のベッドの上だった。
 目だけで追うと、傍らには若い男が呆れたように立って、更に軽蔑したような顔付きで見つめている。この若い男はユウと同じように、超人気アイドルグループのメンバーの一人だった。テレビでは多くのコマーシャルに出ている、ツグオはすぐに気付いた。


「あんたはタクヤ?」
「はあ? 俺の名前を知ってるくせに、あんたって、何だよ!」
「あ、なんで、此処にいるんだ?」
「当然じゃん。此処は俺が所属している芸能事務所があるビルだからだ!」
「あ、あんた、何をそんなに怒ってるんだ。しかし……」
「また、あんたって言ったぞ。お前!」
「じゃあ、何て呼べばいいんだ」
「生意気な奴だな。こいつ……!!」

 ツグオはベッドの上で身を起こしたまま、矢継ぎ早に怒鳴り散らす目の前の男に面食らっていた。その眼は血走っていて、まるでK高校の校長の姿を思い出す。
 すると、タクヤは、いきなり拳を振り上げてツグオに襲い掛かって来た。突然の事に、ツグオは自分の腕で身をかわそうとする。そのタクヤを後ろから止める者がいた。
 部屋には、もう一人の人物がいたのだ。それは、スミレだった。

「もう、やめなさい。タクヤ」
「気にいらねぇよ。いきなり登場して、香央樹の相手をしやがった!」
「タクヤ、これは花蜂鬼が望んだ事よ。他の人がつべこべ言う事じゃない」
「ふん! 花蜂鬼か、いったい、何で蓮はこんなど素人を、俺が主演の映画に出演させるんだ。何もかもが気に食わねえ!」

 今度は、タクヤはスミレと言い合いを始めた。
 此処でツグオはやっとこのタクヤと言う男が怒っている理由が分った気がした。
 ユウが誘いに来た映画出演の話、その主演がこの男で、ツグオが出演するのが気に食わないらしい。だが、ツグオはまだ一度も映画出演の誘いにOKした覚えはなかった。昨夜の疲れが残っている、腰も少し重い。はっとして、ツグオは自分が全裸なのに気付いて近くに置いてあった下着と上下のジャージを素早く肌に纏った。昨夜、一緒に持ってきたバッグも床に置いてある、それを抱えて真っすぐドアに向かった。
 すると、一瞬、天井が逆転したかと思うとツグオは床に転がった。
 ツグオは床に倒れたままスミレに後ろから羽交い絞めにされる。こんな力の強い女は初めてだった。微かな香水の匂いと胸のふくらみの感触がなければ正に男だった。

「長井ツグオ、言いなさい。あんたは昨夜香央樹に会ったんでしょ。香央樹は何か言ってなかった? 言いなさい、香央樹が言った言葉の全てを……!」
「え、何の事だよ。離せ、痛いんだよ!」
 ツグオとスミレの傍らにタクヤが腕組みして仁王立ちしている。

「いいか、花蜂鬼と寝て、香央樹の姿を見た者は、素直になってその全てを話さなければならない。これは、この世界の掟でもある。さあ、話せ、全部……」
「はあ、なら言いますけど、あの女は娼婦のように、俺を気持ちよくさせてくれただけス。ただただ、はあはあ、喘ぎ声をあげてたよ。他には何も聞いてないっス」
「ふざけんじゃねえ。こいつ……!」

 その後も取調室の刑事かなんかのように執拗に問い詰めるスミレとタクヤに、ツグオは同じ返事しかしなかった。
 小一時間もすると、二人は呆れたように部屋を出て行った。
 スミレが見張っている限り、此処から簡単には逃げ出せそうにない。
 ツグオはベッドに寝転がって天井を見あげた。

 あの鳥は飛んでいない。見ると枕の隅で羽を休めている。
 まるで、己の目的を遂行して満足した戦士の姿のように……。
 ツグオの若さは、まだ虚無感というものを知らない。
 何か、心が躍る。モヤモヤした気持ちが苛立つ、目を閉じると、もう一人の自分が空まで飛んで外へ駈け出そうとする。早く、その手を握って言葉を交わしたい。
 今、ツグオは堪らなく会いたい人がいた。

 

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