夜になって、ツグオは大酉の運転する車に乗っていた。
 車は賑やかな中心街の道路を走っている。
 あれから、K高校では校長が自ら呼んだ救急車で蒼井が病院へ搬送されたが、付き添った校長は、殺意があってやってしまったと自白したのだ。病院から警察に通報された校長は、事件の容疑者として即逮捕留置されてしまう。
 そして、面会に行った大酉に、校長はツグオを或る人物の所へ連れて行って欲しいと伝言したらしい。そんな理由で、大酉は今ツグオを車で送っている。


 こんな事は、初めてではない。今までもあった。だが、もうたくさんだと叫びたい自分が心の何処かに確かに存在していた。だが、余計な事は考えない。この世はなるようにしかならないと納得している。水面に浮いた葉のように流されるだけでいい。
 ツグオは大酉の運転する車の助手席に座ったまま、行く先も訊ねることなくフロントガラス前に走る車の隙間に微かに見える闇だけ見つめていた。
 いつもはお喋りのはずの大酉も珍しく無言だ。


 程なく、車は大きなビルの地下駐車場に入っていく。ビルには社名が掲げてあったがツグオは興味もなかったし、建物が大きくて見上げるのも苦痛に思えて見なかった。
 地下駐車場には男のように背の高い女が待っていた。女と分かるのは、腰がくびれていて短髪だけど赤毛だったし、だけど眉毛を吊り上げ怖い顔が如何にも怒っているように見える。しかし、とても興味を惹く大柄で魅力的な女なのだ。
 車が止まると、ツグオはすぐにドアを開けて出た。女は口角を少しだけ上げて、彼の俊敏な行動を待っていたようにツグオの顔を見る。
 この女に連れていかれるのかと、一瞬ツグオは怯んだ。その意味は分かっていたが、今の成り行きに何も逆らわないのが一番だと決めて頷く替りに微笑み返した。

 後ろに来ていた大酉がツグオの肩を叩いて、女と一緒に少し離れたところまで歩んで話を始めた。この地下駐車場は、よく声が響いて小声だって何を言っているのか分かる。内容は、こんな場合の、よくある大人の会話にしか聞こえない。とにかく、ツグオはこのビルの最上階に住んでいる社長の厄介になるようだ。社長はこのビルの持ち主で、名前は「……花」。そう聞こえて、ツグオはビクリとした。
 大酉(おおとり)はそのまま車に乗り込み地下駐車場から出て行った。
 ツグオと女は、新しい主となる社長の部屋があるという最上階へ、早速エレベーターで向かっていた。
 女は自分の名前を「スミレ」と教えてくれた。
 薄い紫と濃いピンクの色が思い浮かぶ。嫌いな色じゃない。ツグオは心の中でホッと息を吐いた。肩に掛けたバッグが重く感じる。ツグオの荷物は小太郎から貰った一千万、びた一文使っていない。その必要もなかった、今までは……。

 エレベーターは、あっという間に最上階へ到着した。
 フロアに足を踏み入れると真っすぐ廊下があって、左右に部屋が幾つかある。
 一番手前の右の部屋が社長の部屋らしい。
「あんたの部屋は一番奥の左側だよ」

 スミレの言葉遣いは荒っぽい。そうなのだ、そんな彼女にも惹かれる。
 ドアを開くと、だだっ広い部屋にテーブルを四角く囲んで、座り心地の良さそうなソファーが目を引く。奥には小さなカウンター式の台所があって、勿論、換気扇も回っている。それに、何時でもお茶が飲めるように準備しているのか、ポットから湯気が出ている。
 促されるままツグオはソファーに座って暫く待った。
 バッグは厚い絨毯の上に置いてある。
 キイノの怒った顔が思い浮かんだ。放課後だ、そうだ、今朝約束したのを忘れたわけではない。ただ、都合が悪かった、そんな言い訳をしようと決めていた。


 その時、台所の傍にあるドアが開いてスミレが出て来ると、中へ入るように合図した。ツグオが立ち上がって歩き出すと、スミレは廊下の方のドアを開けて、この部屋から出て行った。一人置き去りにされたような嫌な気持ちになった。もう一つの奥の部屋に何が待っているのか。試されているような、サプライズの真っ只中にいるような。
 それでも、ツグオはドアを開いてスムーズに奥の部屋に入っていく。
 部屋には窓などは一切無く、丸く大きなベッドが一つ置いてあるだけだった。
 更に、ベッドの上には小太りの女が全裸で、その短い足を投げ出して座っていたのだ。最も、女は美しいとは言えない、ツグオより相当年上の、それに全裸とは。
 後ろ向きにドアを閉じると、ツグオは尋ねてみた。

「あんたが、花……か?」、
「ははは、わしの名前は花蜂鬼と言うんじゃ。巷では花とも呼んでいるようじゃがなあ……」

 豪快な感じの話しぶりで、その全裸の意味が、より深く謎に思えてくる。
 笑顔のまま、花蜂鬼と名乗る女は手招きをしている、それがどういう意味なのか大人なら誰でも分かる。しかし、ツグオは首を振った。父ちゃんの言葉が脳裏に甦る。
 父ちゃんの言葉を無視して女と交わる時は、いつかは来るとしても、それは今ではないという思い、だが、見えない力がツグオの意思とは逆の行動を取らせる。
 勝手に自ら全裸になって、ベッドに向かった。

「はぁ、俺は、この女を殺してしまうのか……?」

 すると、目撃する。あの小さな鳥が、既にベッドの隅にいるではないか。
 いきなりツグオの体が宙に浮いたと思うと、その後の記憶が切れた。
 目を開くと、小太りの女が泡に包まれている、刹那、薄暗い空間に到着して、自分が世にも美しい女と交わっている夢を見ていた。「花蜂鬼が男と交わっている間だけ姿を現す女が私……香央樹よ」
 こんな突然に、女との初体験が夢の中。
「はあ、香央樹……」
 ツグオはベッドに仰向けに押し倒されて、上から女が馬乗りになっている。
 足元まである長い髪の毛、美しい顔と白い肌。豊満な乳房とくびれてよく動く腰付き、ベッドのきしむ音が止めどなく聴こえる。夢の、また夢の中に引きずり込まれる。

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