また、暑さがぶり返してきました。気候変動が、生活様式を変えざるを得ない状況になりつつあります。伝統的な働き方や、スポーツなど。基本は、日中に活動するのが、太古からの伝統でしたが、徐々に夏は、日中の活動は控える方向に移っています。インドの人は昔から、夏は40度以上が当たり前だったので、昼間は誰もいません。夕方から夜になって人が集まり賑やかになってきます。そんな状況が日本でも起こりうるかもしれません。そのくらいこの気候変動は、人類史上大きな出来事です。この変動を元に戻すことは、ほぼ不可能でしょうから、進んでいくのだと思いますが、ただ「暑い」だけで済めば良いのですが、その派生は多岐に及びます。豪雨や地震、熱波、干魃、台風の巨大化、疫病など。つまり、人が生活しにくくなってくるわけです。そして、それは、自然と人の命が消えていく、ということです。
私は、戦争によって私達の生活が危ぶむ心配より、実は、この気候変動による災害による影響の方が遥かに確率は高いと思っています。しかも、その災害によって経済も崩壊します。
よく日本は治安が良くて安心だ、と言われますが、災害はとても多く、それによる被害や損害がとても大きいです。
これは、自然界のことなので、と思いますが、原因は人間の活動の副作用ですから、天災の原因は人災だったと言わざるを得ません。
これは、納得するとかしないとかの問題でなく、現実であり、では、私達はどのように生活するのか、ということです。備えは、当たり前ですが、積極的な働きかけも必要かもしれません。アスファルトを減らすとか、高層ビルは建てないとか、人々の住環境の分散が多分一番だと思いますが、それはなかなかできないことです。多分、今の生活を少し我慢することはできないし、手放せないのです。だから、「できない」で議論は終わります。
これが、人間の手放せない、性質であり、執着なのですが、同時にその事で、それが破綻した時の苦しむ内容も量もとても大きくなります。
お釈迦さまは、つまり、その手放すことを説いているわけです。なぜなら、苦しみの根本はそこにあるからです。でも人間は納得しにくい。納得というのが人間の一番のカギであり、ガンでもあります。納得が無ければ動けない。ですが、外圧は納得以前に容赦なく降り注ぐ。だから苦しむ。では、どうするか、納得のレベルをあげる。広げる。そして、徐々に納得して手放す。一足飛びには、辿り着けませんが、それを始めなければ、いざという時のショックは大きいものです。お釈迦さまの対機説法は、人は納得しなければ動かない、という事を知っていたので、敢えて、様々な方便を用いて人々に少しずつ手放す実践を促しました。
手放すことが、実は備えになる。それは、心も環境もです。いつも危機は、私達の隣にありますが、それは、いつ襲ってくるかわかりません。その心構えは、日々の積み重ねでしかない、ということになります。
仏教の実践がここから活きてきます。続きはまた。
