ザ!布教~立正安国への道~ 地域密着編

ザ!布教~立正安国への道~ 地域密着編

日蓮宗太生山一心寺僧侶の法華経広宣流布、立正安国のため、日々の活動を記録いたします。



2月に入り、あーと言っていたらもう2月も終わりとなりました。


さて、日蓮宗の大荒行が2月10日に終わり、修行僧がお寺に帰ってきて、帰山式という式典を行い、100日ぶりに檀家様の前にその修行後の姿をご披露致します。私もその式典に参列させて頂きました。写真たくさん撮りました!


水行


読経


魂のあるお経


檀信徒へご祈祷



痩せて、髭も髪もそのまま伸びて、100日間の辛さが滲みでています。しかしながらそのお顔は、引き締まり、とても良いお顔です。修行の成果だと感じます。


この大荒行は結界修行で修行僧以外は入る事ができず、外界と完全に切り離し、100日間はお経と水行三昧に打ち込みます。とても辛くて苦しい100日間です。ですが、周りの同行僧と一緒に修行をするので、お互いに助けてあいながらなんとか、100日間を修める事ができます。


大乗仏教での本来の修行は、僧俗関係なく、日々の生活の中で行われるものと言われます。各々の立場で仏様の教えを実践し、行いを修めるのが修行です。日々の生活には、自分を自分で戒め、様々な弱い心に打ち勝ち、努力を重ねなければなりません。これが一番大変です。


その修行の根本は、「陰徳」を積むという事がその人に意識してされているか、という事がとても大事になってくると思います。なぜなら、例え良い行いを人のために、と一生懸命していても、先の人間の弱さによって、どこかでその評価を求めてしまうからです。そうすると、相手や周りが自分の思うような状態にならなければ、必ず、「これだけしているのになんで?」という「なんで?」が常に付き纏い、その良い行いも意味が薄れてしまいます。なぜ良い行いをするのか?仏教では、それは自分の陰徳のためである、と。


そう言うと自分の為、という風に捉えて自己満足のような感じがしますが、「陰徳を積まさせていただいている」「修行させて頂いてる」のであって、自分の心は常に仏様に向かい謙虚なのです。


人の為であっても仏教は、自分が仏になるための教えです。そして、他の人も仏になってもらうように行うのも自分が仏になるために必要な修行です。つまり、全ての行いは自分の修行であり、他人の為ではないということは、良い行いを行う上でとても大切なのです。