各地で

大雨の被害が発生した

今年の梅雨

 

東北でも

大きな被害がでているようです

 

被害に遭われた方には

お見舞い申し上げます

 

ニュースを見ていたら

山形県の

最上川流域の

大蔵村が映っていました

 

大蔵村と聞いたときに

あることが頭をよぎったのです

 

この大蔵村も

木地師の里なんだろうか?

 

山形県の大蔵村を

ネットで調べてみたら

こけしが生産されているようだ

 

やっぱり木地師の里なんだ

 

 

木地師とは

 

木工ろくろを使って

椀や盆、こま、こけしなどの

挽物(ひきもの)の

木地を作る

職人のことをいいます

 

 

木地師の歴史は古く

約1200年の歴史があるといわれている

 

第55代文徳天皇の皇子であった

惟喬親王(これたかしんのう)は

皇位継承に敗れ

わずかの家臣をつれ

貞観元年(859年)15才の時

都を逃れ小松畑と呼ばれていた

滋賀県永源寺の

小椋谷に

幽棲したといわれている

 

 

惟喬親王は

法華経の

巻物の紐を引くと

巻物の軸が

回転するのを見て

 

轆轤(ろくろ)を

考案発明したと

伝えられています

 

永源寺の小椋谷が

木地師発祥の地といわれています

 

惟喬親王は

日本木地師の元祖とされ

この地から多くの木地師が

日本全国に散らばっていったそうです

 

 

惟喬親王を祖とする

木地師には「大蔵」「小椋」という姓が多く

これは惟喬親王の家臣であった

大蔵卿、小椋卿に由来すると伝えられています

 

木地師たちは

良質な材木を求めて

全国各地に広がりその足跡を残していきました

 

現在でも

木地師の仕事をしている人には

小椋、小倉、大蔵、大倉

という名字の人が多くいます

 

 

木地師発祥の地

永源寺では

一時期職人さんが途絶えていたそうですが

昭和の時代になってから

技術が復興され

何人かの方が

木地師てして

お椀やお盆などの

木地を作っておられます

 

石川県山中の

ロクロの修業を終えた

若手の職人さんが

永源寺で仕事を始めたので

 

先日はその若手の職人さんに

お椀の木地をお願いしました

 

伝統工芸といわれる世界は

どんな分野でも

後継者難に陥ってます

 

後継者難の

いちばんの理由は

稼げないから

 

そんな状況の中

頑張っている

若手の職人さんには

ぜひとも頑張ってほしいと思っています

 

 

若手の職人が

夢と希望を持てるような

突き抜けた

魅力的な人間になることが

大事なんだなと思う

今日この頃

 

そのためには

稼がなあかんのですな

がんばろう