ぼーっとDTMの紹介サイトをみていると、「本当のDTM」が何かが話題になっている(いた?)ようで、そこでは、ソフトではなくハードを重視したものとか。よくわからん。

 

なかには、PCでDTMができるパケージ「ミュージくん」が発売された1988年を出発点においているサイトもあった。

 

 

 

 

「ミュージくん」が発売されていたころは、PCを持っていなかったし、あのゲーム音と分解能の低さが嫌で、買うんだったらYAMAHAのC1で手持ちのDX7(中古でも高いなぁ)をつないで、などと考えていた。

 

 

といっても、結婚すると大枚をはたくなどということができくなってしまって、結局、PCではなくカワイのシーケンサーQ80を買った。

 

その頃はまだ、MAC(マッキントッシュプラスだったかなぁ)とそのDAWソフトのPerformerを夢見ていた。

 

日本のDAWにしてもシーケンサーにしても、四分音符の分解能は96以下であったが、Performerは分解能が480だったった。

 

当時、種ともこが「O・HA・YO」の中でPerformer(?)を使って打ち込んだというのを雑誌で読んで、アルバムを買って聞き込んだ。これしかないと思ったが、お金が全然足りなかった。

 

 

 

DTMで曲を作るようになる前は、バンドでオリジナルを作ったりしていた。

 

1986年頃だったか、YAMAHAのMSX2 CX7/128(?)を買って、DTMが作れるようになると、プチプチと打ち込むようになった。

 

CX7にはFM音源が装備されていて、MIDIもつなげられた、、と記憶している。なにせ、40年近く前のことなのでよく覚えていない。

 

これで音楽のリズムなどのベースを作って、シンセとギターをYAMAHAのMTR CMX1で重ね撮りを始めたのが、私の宅録の始まりだった。

 

たぶん、そのころ作った曲もカセットに残っているが、残念ながらカセットデッキを持っていないので聞くことはできない。

 

その3年後に、音源のローランドD-110、サンプラーのカシオFz-1Gx、シンセのカワイK1、1996年にMDを使ったMTR、YAMAHA MD4 (下のはMD4R)

 

 

を購入して、宅録の環境は整った。

 

ところが、そのころ、興味が別に向いてしまい、これらの機材で宅録をしたのはその2年後の1回限りになってしまった。

 

使わなくなったので、MTR CMX1と CX7は親友に、MD4は知り合いの子どもさんに。

 

「本当のDTM」がなにかはわからないが、振り返ってみると、昔からいろいろやろうとして、挫折して、離れたりくっついたりしながら、諦めないで続けていたんだなぁと他人事のように思う。