去年Facebookに書いたクローズドの記事が、
クローズアップされていた。
長文でよくこれだけ書いたなと、感心した。
少しまとめて公開してみる。
 
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今年は、ノストラダムス研究室というサイトを
開いて25年目になる。
 
忘備録のつもりでサイトを始めた頃からの流れを書いてみた。
 
インターネットが広まる前は、パソコン通信が主流だった。
1993年頃、大手のパソコン通信サービスのPC-VANにアクセスし、未知の世界というSIG(Niftyでのフォーラムと同じ)に参加していた。
 
その中で、ノストラダムスの予言集の4行詩について、奇妙な解釈をつけてSIGへ投稿し続けるメンバーがいた。
 
彼(彼女?)はAUMの信者だった。ノストラダムスはカトリックなので、キリスト教の文脈で彼の4行詩を読み解くのならわかる。しかし、AUMの信者は仏教、中でも自分たちの経典の文脈で読み解こうとしていた。
 
当時の新興宗教にはその類の解釈は多かったが、AUMが他と違っていたのは、当時の日本の好事家達と比べてもテキストリサーチをしっかりと行っていたところだろう。
 
AUMの解釈は恣意的なものであるのだけれども、テキストは権威的なものを使用する必要があることを理解していた。それだけでなく、ノストラダムス師の予言集(Les Propheties de M. Michel Nostradamus)の初期の版を求めてフランスに渡っている。
 
彼らの本によると、パリ、リヨンで1555年に出版された初版のファクシミリ復刻版(最も古いものでアルビコピーズを復刻したもの)、1557年に出版された版のファクシミリ復刻版(ブダペストコピーズを復刻したもの)を入手した。
 
当時、日本で販売されていた予言集の中で、予言集の原文が全て含まれていたのは、たま出版の『諸世紀』だけだった。
 
『諸世紀』はHenry C Robertsの (1947) をベースにして作られたものであった。
 
そのRobetsは1672年にフランスの医師Théophile de Garencièresによって出版された予言集の英仏対訳本をベースにしていた。

 

Garencièresの版は、非常に出来の悪い版として知られていたので、『諸世紀』も同様な評価だったと思う。

 
 
よって、AUMの解釈がどんなに奇異なものであって、それにいかに反論しようとも、使っているテキストに権威がないという理由で、堂々巡りになるのが常だった。
 
しばらくして、丸善の洋書売り場で見せてもらったカタログに掲載されていたEdger LeoniのNostradamus and His Prophecies(1982)を購入した。
 
 
この本は原文のフランス語と英語訳、そして解説で構成された800ページを超える大書であった。ノストラダムスの信奉者と懐疑派の両方から評価され「最も学術的なノストラダムスの研究書」とさえ言われた。
 
予言集の原文は、初版を含む数版を比較して最も適切な校訂を施したものを掲載していたが、AUMはテキスト解釈する場合、単語の綴りが変わることこそナーバスになるべきという態度を変えなかった。
 
古いものこそ正しいという、オカルト主義の伝統を守ったというところだろう。
 
1994年頃、突然、別のAUM信者(ホーリーネームから村井だと思われる)からの投稿があり、それがノストラダムスに関する彼らの最後の投稿となった。
 
結局のところ、AUMは自分たちのテキスト解釈こそが正しい、そして、それは近く証明されるというような内容だったと記憶している。そして、しばらくして地下鉄サリン事件が起きる。
 
AUMにテキスト解釈を覆すには、彼らと同じくらい権威のある古い版を入手する必要があった。
 
現在なら、インターネットで図書館を閲覧したりGoogleなどで検索したりすれば入手できるのものなのだが、当時はそういうものがなかったから大変だ。
 
ちなみに、Googleでは図書のデジタル化が進んでいるが、フランスの図書で一番初めにデジタル化されたのはノストラダムスのALMANACHの1555年版ということだ。
 
Jean Brotot社が 1554年に出版したこの本は、件の予言集とは異なり、暦のような性質を持っている。
 
その頃一冊の本を入手した。
Michel ChomaratのBIBLIOGRAPHIE NOSTRADAMUS XVIe-XVIIe-XVIIe siècle,1989(ノストラダムス書誌(16-18世紀))である。
 
16世紀から18世紀までのノストラダムス関連の文献について、年代別に誰がどこで出版したかをまとめた本だった。
 
また、その本は掲載された文献がどこの図書館に所蔵されているかまで記載していた。
 
これをテキストリサーチのベースとした。
入手したい予言集の版を所蔵している図書館の住所が分からなかったので、まず日本の図書館協会に手紙を書いて、それらの図書館の住所を教えてもらった。
 
そして、それらの図書館に、拙い英語やフランス語で、「ノストラダムスの予言集を研究したいのだが、所蔵している版のコピーをとってもらえるか」といった感じの手紙を書いた。
 
パリのフランス国立図書館、イギリスのロンドン図書館、アメリカの議会図書館、ドイツのドレスデン図書館など、すぐに連絡をくれた図書館もあれば、モスクワのレーニン図書館のように反応なしの図書館もあった。
 
紙でのコピー、マイクロフィルムでのコピーを許可してくれたところもあったが、古いのでコピーできないと断られることも多かった。
 
AUMのように直接フランスに行けば早かったのだろが、当時は時間も資金もなく(今もないが)、ノストラダムスの生前の版にはなかなかたどり着けなかった。
 
ところが、ある日、初版を所蔵しているウィーンのオーストリア国立図書館から返事がきた。それは少し厚みのある手紙で、中には初版である1555年版のファクシミリが入っていた。
 
手紙には、初版のコピーは認められないが、自分(司書)が研究のためにコピーしたものがあるので、それをファクシミリしたものを同封すると書かれていた。
 
AUMが使っていた初版と比べると所々単語や綴りが異なっていた。
後に1555年版のファクシミリ復刻を入手した時に分かったのだが、頂いた版(ウィーンコピーズ)はAUMが使っていた版(アルビコピーズ)よりも後に出版されたもので、校訂版の様相を呈していた。
 
ウィーンコピーズはノストラダムスの生前に出版されており、校訂についてもノストラダムスの意思が関与したものと考えられた。
 
当時、ウィーンコピーズの存在はヨーロッパでは知られていたのだが、その中身の違いについて、実際に確認できなかったので、とても貴重な史料となった。
 
その後、1590年に出版されたLes Grandes Et Merveilleuses Predictions de M. Michel Nostradamus(ミシェル・ノストラダムス師の偉大で驚異的な予言)で、失われたと言われている1555年アビニョン版の存在について触れられているということを知り、唯一現存しているフランス国立図書館の一つアルセナル図書館にコピーをお願いした。
 
すると、そこの司書の知り合いにフランスのノストラダムス協会の会長Michel Chomaratがいるので紹介してくれるという返事があった。
 
Michel Chomaratはテキストリサーチの元になった本ノストラダムス書誌(16-18世紀)の著者だった。
 
フランスのノストラダムス協会は1983年に設立された。
正式名称はl'Association des Amis de Michel Nostradamusであり、ノストラダムス友の会というべきものだ。。
 
Chomaratのようなアカデミックサイドの人もいれば、『エイリアンと素晴らしき文明』の著者Serge Hutinのような好事家サイドの人もいて、その中間で超心理学の普及に貢献したRobert Amadouの名を連ねるなど、様々な意見を懐に取り込んだ団体である。
 
しばらくしてChomaratから手紙と数冊の本が送られてきた。その一冊が、AUMが使っていた1557年版予言集のファクシミリ復刻版だった。
 
手紙には、AUMが使っていた初期の版はChomaratが提供したものだったらしく、AUMがそられを使ってどんなことを言っていたのかを教えてい欲しい、また、日本のノストラダムスに関連する本を送って欲しいと書かれていた。
 
早速AUMのノストラダムス本を買って、それを翻訳する仕事が始まった。
 
薄っぺらな本だったが、日本語をフランス語に自由に訳せるほどフランス語を扱えなかったので、英語での翻訳となった。
 
誤訳が怖かったというのもあるが、今から思えば、英訳でも相当誤訳していただろう。
 
日本のノストラダムス本については、古本屋で二束三文で買ってリヨンのChomaratの元に送った。
 
現在でも、日本のノストラダムス本はリヨン市立図書館に所蔵されている。その中の数十冊は呉から送ったものだ。
 
Chomarat日本語は読めないというので、ノストラダムス本についても英語でリストを作って、大まかな内容を書き加えた。
 
数年後、そのリストがガイドブック『危機の時代に向けた予言』の参考文献の一つにTakubo,Hayato. Bibliographie des livres sur Nostradamus en japonais (1969-1995), Hiroshimaとして紹介されていた。その文献もリヨン市立図書館に所蔵されている。
 
『危機の時代に向けた予言』を編集したのはフランスの実証的研究者Jean-Paul Larocheであった。
 
彼はテキストリサーチに使用した文献『ノストラダムス書誌(16-18世紀)』の協力者の一人だった。彼とは現在まで知り合うきっかけが無い。
 
文献を集め始めて、1、2年くらいで、ノストラダムスの生前の版である初版から1557年版、そして、1999年の予言が初めて掲載された1568年版が揃ってしまった。
 
しかし、AUMはサリン事件以降は沈んでしまう。
 
せっかくいろいろな人に協力してもらい、手元に集まった珍しい史料を無駄にはできない。それからノストラダムスの研究が本格的に始まった。
 
American Onlinなどが日本でも紹介され、世の中にインターネットのサービスがあちこちで始まった。
 
その波に乗り遅れまいと、中国電力系のプロバイダーCISネットを使って、インターネットに接続した。
 
1996年の冬、ノストラダムスに関するサイト「ノストラダムス研究室」の運営も開始した。
 
ノストラダムス研究室は、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞などから取材があったり、雑誌やテレビの取材や出演依頼もあった。
 
中にはムーのようなオカルト系雑誌からもオファーがあった。とりあえず依頼されたものは断らなかった。
 
1999年には1日で10万アクセス(10万を越えたところでカウンターが壊れた)を超える日もあり、ノストラダムス系のサイトとしては名前が通っていた。そのためか、今でもノストラダムスに関する取材依頼がたまにやってくる。
 
1996年以前もインターネットを使えなかったわけではない。
PC -VANでは、インターネットのネットニュースのニュースグループに接続できた。
 
ニュースグループは、今ではあまり聞き慣れないが、そこではいろいろなグループがあって、Einglish Baseで記事が投稿され、議論が行われていた。
 
ノストラダムのニュースグループも存在しており、その中に、イギリスのノストラダムス研究者Peter Lemesurierが参加していた。彼は初期のころは有名なオカルト好事家であったが、後期はノストラダムスの実証主義的な研究者となった。
 
おそらく、英語圏では最も有名で学術的なノストラダムス研究者で、実証主義の世界的な論客あった。

なので、お世辞とはいえ、彼からワールドクラスのノストラダムス研究のスペシャリストだと言われたのは本当に嬉しかった。

 
彼とはニュースグループ上で予言詩の解釈について議論をしたり、情報交換をしたが、一度も会うことができなかった。

2014年前後、彼から久しぶりにメールがきて、大病を患って手術をしたことが書かれたあった。

 
2014年に、観光旅行でパリに行ったが、Peterの歳も考えると、ついでに彼のいるウェールズまで会いに行きたかった。しかし、ここでも予算と時間が取れず泣く泣く断念した。
 
その2年後に彼は80歳で旅立ってしまった。
思い切ることができない性格は、いつも大切なものを失ってから、その理由が些細なものであったことに気が付く。
 
日本でも(正確にいうと違うのだが)、新しい出会いがあった。
1997年の5月に、TBSで『ノストラダムスの予言の真実』という番組が放映された。
 
ストリーテラーは鏡リュウジ氏で、まだ田舎の兄ちゃんの容姿だった。
番組の中で、ノストラダムスに関する編集に参加していたのが、竹下節子氏というパリ在住の文化史家で、著書に『パリのマリア』や『ジャンヌ・ダルク』などがある、
 
彼女との出会いが、ノストラダムス研究を大きく前進させるきっかけになった。
 
その出会いについては、1999年に出版された彼女の著書『さよならノストラダムス』で取り上げられている。
 
 
彼女から1999年に日本でノストラダムスのシンポジウムを開きたいので「日本におけるノストラダムス受容史」というタイトルで発表して欲しいと要請された。
 
しかし、シンポジウムは頓挫し、講演原稿は行き場を失ってしまった。
それでも彼女の尽力で、ユリイカ1999年2月号の終末論特集に掲載していただいた。
 
 
「日本におけるノストラダムス受容史」は、日本でのノストラダムス現象を出版物から年代別にまとめたもので、いろんなところで評価していただいた。
 
特に、国会図書館の常設展示の『終末をむかえて―出版に見るノストラダムスブーム―』(平成11年7月27日~8月30日 )で、
 
『「日本におけるノストラダムス受容史」 田窪勇人[著]
雑誌「ユリイカ」の終末論特集号。特に「日本におけるノストラダムス受容史」は、ブームの背 景からその傾向までを年代別に分析しており、日本のノストラダムスブームを考えるうえで貴重な 参考資料である。』
 
と評してもらったのは、とても光栄なことだった。
 
 
イベント関係でも、1999年に大阪でノストラダムス展示会を開催したいが、目玉にノストラダムスの初期の予言集を展示したいのでコネクションはないかと相談があった。
 
Chomaratは世界的に有名なノストラダムス文献の蒐集家でもあったのだが、直接、頼むのは時間がかかる。
そこで竹下氏もChomaratと知り合いだったので、竹下氏に依頼した。
 
おそらく、初期のノストラダムスの予言集が日本で展示されたのは、それが初めてだったろう。
 
当該展示会会場(大阪のフェスティバルゲート)で、フジテレビのとくダネ!(だったと思う)の取材を受けた。
 
ジェットコースター通過待ちで、取材がたびたび中断されたのを思い出す。
 
同じ頃、竹下氏からの依頼で、今はなき名古屋のアストロドームのイベントで使うノストラダムスの予言詩20篇の翻訳を行った。
監修は鏡リュウジ氏で、ナレータが小林清志氏(次元大介の声)、ということで、喜んで引き受けた。
 
1999年前後の世紀末ランデブーが鎮まりかけた頃、インターネットでHirai博士が主宰するサイトbibliotheca hermeticaと出会った。このサイトは今も続いている。
 
種子の理論で有名なHirai博士は若手の研究者を育成することにも力を入れていて(と言っても彼自身も若かった)、2012年には日本学術振興会賞を受賞され、このサイトからは数冊の学術書が生まれている。
 
bibliotheca hermeticaで、その初期に計画されたものに、ミクロコスモスという学術論集の出版があった。
 
Hirai博士からノストラダムスの学術的動向を書いてみないかと誘われた時は、戸惑いながらも、とても嬉しかったのを覚えている。
 
原稿のベースはすぐに書けたが、文学系の作法やら翻訳の作法やら、Hirai博士からいろいろ朱を入れていただき、完成する頃には20稿を越えてしまった。
 
さらに最終的な見直しの際に、通信事情が悪くて、校訂のやりとりができず、ミスが残ってしまったのは今も悔いが残っている。
 
2002年には、bibliotheca hermetica企画で、アロマトピアという雑誌の特集記事を1本書いた。
 
その「ノストラダムスの世界にみるハーブ」では、ノストラダムスのジャムとゼリーのレシピを原文から翻訳し要約した。
いつか、笑吉で作ってもらおうと思っている。
 
2010年にミクロコスモスが出版され「ノストラダムスの学術研究の動向」が日の目を浴びた。
 
 
ミクロコスモス出版記念講演を聞きに行った時、この原稿は東京外語大のとあるゼミのテキストとして使われたと聞く。
 
ノストラダムスの研究をする上で、必要な文献を多数紹介しつつ、研究がどの方向に進められているかを示したつもりだ。
 
これ以降は家庭の諸事情で、執筆活動は控えていた。
それでも、その後、断続的にノストラダムスとは関わりが続いた。
 
爆笑問題の日曜サンデー(TBSラジオ, 2012/7/1) 出演
 
(昭和史再訪)ノストラダムスの大予言(朝日新聞, 2013/12/16)取材
 
中居正広のミになる図書館(テレビ朝日, 2014/11/25)出演
 
ニノさんSP(日本テレビ,2014/12/22)取材協力
 
ノストラダムスの大予言「恐怖の大王はどこに行ったのか」(週刊女性、8月18,25日号, 2015,8,10) 取材
 
Mr.サンデー米国大統領選挙・共和党・ドナルドトランプ氏が勝利(フジテレビ, 2016年11月13日)預言の監修及び資料提供
 
サタデープラス(TBS, 2018/7/21) 出演
 
こうやって、改めて振り返ってみると、いろいろな人の縁があって、研究する土台が出来上がって行ったことに気づく。
 
サイトを開いて四半世紀になる今年は、ノストラダムスのサイト「ノストラダムス研究室」で、少しずつ研究を再開していこうと思う。