朝日新聞社さま | 家賃減額の決定版

家賃減額の決定版

家賃減額のためのすべてを丁寧にご説明します。最後まで完全無料です。交渉の仕方、調停、裁判まで、読めばすべてがわかります。

こんにちは。東京在住の家賃減額(送ったメールでは実名)と申します。自分が現在経験していることで、社会的に不正義なのではないかと思うことがあるので、できれば社会の問題点として取り上げていただこうと、、メールさせていただくことにしました。


これを読んでおられる記者様は、現在の日本で、「お年寄りであったり病気を抱えて転居できない人たちの家賃が、同じ賃貸物件の他の人たちの賃料より、裁判所によって 高くされている」ということをご存知ですか?


転居できない弱みを抱えている人たちから賃貸業者が高い家賃を取る、ということなら、簡単に理解可能なことです、商売ですから。けれども、「裁判所によってそうできるようにされている」し、「その裁判所の行動が法律を犯しているように見える」となると、普通の人間の目には、不思議で、そんなことが当たり前にあっていいとは思えないことなので、新聞で取り上げていただけることかも知れないと思いました。


賃貸物件の家主が、「賃借人をできるだけ カモる」というだけなら、まあ民間人のすることだし勝手にしたら、という感じで、私がこうしてメールを書くことも ありえません。私が新聞に取り上げてもらった方がいいのでは、と考えたのは、「裁判所が」、「転居できない人たち(弱者)から、他の人 たち(強者)より高い家賃を取るように誘導している」という話だからです。


弱者が強者よりも高いお金を払ってもしかたない、というケースは、世の中にままあります。弱者だという分、手間がかかったり、手間をかけられ ることが推測できる場合が多いからです。医療保険とか生命保険、介護施設もそうだし、そういうのは納得できます。けれども、私が言うのは、「強者の人よ り高い家賃を払う理由が何もない(契約内容を初めとして、賃借人としての地位も家主の手間も何の変わりもない、どころか、よりボロい部屋に住んでいる)弱 者から業者が高い家賃を取ることを、裁判所が、法的な裏づけがあるとは思えない判決によって、支持している」というケースです。


それは、こういうことです。


現在、日本の賃貸物件では、年々家賃が下がっています。なので、同じ住居にずっと住んでいる人の家賃は、新しく入る人の家賃よりも高いのが普通で す。

古くから住んでいる人は、「新しくリフォームして入った人よりも、ずっと住んでボロくなった部屋に入っている自分の家賃が高いのはおかしい。今ま で払った家賃を合計すると、この家を買い取れるくらい払ってきたのに。せめて、新しい人と同じ家賃にしてほしい」と考えます。


そして、家主に「家賃を新しい入居者なみに安くして欲しい」と訴えます。けれども、「わざわざ儲けを少なくするバカはいない」ので、当然、断られま す。


明らかに不公平なことですが、では、引っ越したら家賃が安くなるからといって、その断られた人たちが引っ越せるか?というと、ずっと同じところに 住んでいる人たちには、それまでの人生の愛着だの、近隣関係だの、個人的な事情があって引っ越せません。


そして、長年の賃貸住宅から引っ越せない人たちは、貧乏な場合が多いのはもちろんのこと、老人や病人などの、社会的弱者を含む家族である場合が多いのです。


ここまでなら、「世の中ってイヤなところだね」で済む話で、私も、「足元を見たり見られたりは人の常、しかたないかな」と思います。けれども、そ ういうことを防ぐために法律があって、それが借地借家法第32条です。


借地借家法第32条には「家賃の減額を申し込まれたら、話し合いをしなさい。無視して、やがて裁判を起された時には、高すぎた家賃の分は年一割もの利子をつけて返さなければならないよ」ということが定められています。つまり、本来は、家主が賃借人に誠実に対応するように、法律で決められているのです。


ところが、現実には、日本の裁判所が、この「借地借家法第32条」が、弱者にとっては無価値になるように動いているのです。しかも、私が見る限り は、裁判所が現在「弱者の権利をつぶしている」行動には、法的な裏づけが何もないように見えるのです。


とういうのは、こういうことです。


現在の制度では、「自分の家賃に不満がある場合、家主に交渉してダメなら、まず裁判所に調停を申し立て、それもダメなら裁判」ができるようになっています。その中で、まず、交渉には、強制力がありません。家主に無視されたら終わりです。調停というのも、家主が無視すればそれでOK、という制度で、その後に訴訟されることが怖くない場合、家賃を減額したくない家主は、出席すら する必要はありません。サボったら裁判されて困るかも、と思わなければ、出なくてかまわないのです。


交渉しただけで家主が家賃を減額することがあるととすれば、「無視したら調停に呼ばれて、それをサボったら裁判になって、裁判に出なければならなくなった上に、家賃を減額することになるかも」だからです。その場合、「だったら初めからきちんと対応して、互いに納得できるところで折り合おう」となります。


つまり、最後にあるかもしれない裁判の判決が怖くなければ、初めの段階の家賃交渉から「足元を見るだけ見る」ことができるということです。もし、「裁判まで行っても家主は楽勝」なのであれば、引っ越したくない相手の家賃を、他の人並みに減額する理由はまったくありません。法律で、「家賃が周りの相場から見て不適切な額になっていれば協議できる」と決まっていてもです。


この場合、「その賃借人がどんなに周辺相場より高い家賃を払っていても、裁判ではまず減額が認められず、家主が確実に楽勝」だとすれば、賃借人を守る法律があっても、裁判所が法を無効にしている、といえるのではないでしょうか。


10万円前後でしかない住居の家賃減額を減 額するために裁判まで行く人はわずかでも、その判決が、それ以外の何万もの弱者の「昔から住んでる私だけ家賃が高いのはイヤです・・・」という人 たちに影響するのです。


たくさんの賃借人のうち、ほんのわずかな人数しか裁いていない裁判所が、日本全体の、「お年寄りであったり病気を抱えて転居できない人たちの家賃を、同じ賃貸物件の他の人たちの賃料より高くしている」というのは、そういうことです。


賃借人が「自分の家賃だけ高い」という証拠を苦労して揃えて、裁判所に訴え出ても、裁判所ではそれを認めない、ということであれば、賃借人の 「ウチの家賃だけ高いから下げてください」なんて話を聞く家主がいるでしょうか?


弱者にとっては、裁判は高いハードルです。けれども、賃借人の中には、そのハードルを越えて、家賃減額を提訴する人もいます。すると、どうなるのか?という結果をこれから書きます。そういった件での裁判所の対応が、普通に見て、不可解に思えるのです。


賃借人側は「ウチの家賃だけ高い」証拠として、同じ物件の違う部屋の人たちの家賃を示すもの(不動産屋に出たときとか、違う部屋の人が証人になる とか、客観的に見て普通証拠となるものがいくつもあることを前提とします)を揃えて提出し、家主の側は、その証拠を崩せない、とします。


一般人の考え方では、裁判というのは、「互いの証拠を見比べて結論を出す」ところだろう、となりますが、現実の、現在の日本の法廷では違うので す。裁判所は、賃借人に、「不動産鑑定を依頼しろ」と言うのです。

月の家賃が10万とか、下げて欲しい額が1万円とかいう世界の話です。賃借人の側に汗と涙で手に入れた十数件の証拠があって、家主がその証拠を 崩せない、という場合の話です。その状況でも、裁判所というところでは、数十万円もするような不動産鑑定を、賃借人負担で依頼しないと 裁判ができないのです。不動産鑑定なしに裁判ができても、賃借人に不利な判決しか出ない、というのが現実です。


けれども、一般社会の認識では、「裁判所というところは、裁判官が両方の出した証拠を見比べあって、合理的だと思える判決を出す」ところです。借 地借家法第32条で「契約の条件にかかわらず、当事者は、将来に向かって建物の借賃の額の増減を請求することができる」と定められているのは、 「土地若しくは建物の価格の上昇若しくは低下その他の経済事情の変動により、又は近傍同種の建物の借賃に比較して不相当となったとき」です。これ を読む限り、「近隣の賃料が裁判の原告のものより高い」証拠が揃っていたら、十分なのではないでしょうか?「一般人が現実社会から集めた証拠には 意味がない」ということを裁判所が判断する、というのが、法に裏打ちされた行為とは思えません。


けれども、現実は「賃借人が集めた証拠にいくらリアリティがあっても、家主が崩せなくても、その証拠は証拠として認められない。何十万も払って不動産鑑定を依頼しないとダメ」なのです。


裁判をすること自体、なかなか普通の人が自分でできることではありません。けれども、裁判所に通って何度も訴状の書き直しをすれば、普通の人でも、大金ではない印紙代を払うだけで、裁判をすることはできます。日本では、全国民が裁判を受ける権利が保証されているからです。


けれども、そうやって、一般的には証拠に見えるもの、例えば近隣の不動産屋の貼り紙の写真であったり、同じアパートの住人の証言だったり、といったものを揃えて、さらに、その証拠を家主自身が認めていても、裁判所は「数十万出して不動産鑑定を依頼しないとダメ」と言うのです。


しかも、その「不動産鑑定」というものが、どういうものかというと、私は、新入居の人の家賃が7万円台になってしまい、「生活保護か事情のある人しか入らない」と家主が認めている物件に、不動産鑑定では「12万円近く」の家賃が妥当だとされた件を知っています。


なぜなら、不動産鑑定で出す家賃というのは、家賃の本当の相場そのものじゃないからです。家賃の相場というのは、実際に似たような物件がどのくらいの値段で流通しているか、ということですが、不動産鑑定は、不動産鑑定士が考えた、家賃の値段付けには何の関係もない計算式で出た値段と、ほんのわずか周辺の不動産屋の店先を見てまわった値段を合わせて算出したものだからです。


けれども、普通に借家に住んだり、貸したりしている人たちにとって、家賃の正しい価格が、「相場」以外にあるとは思えません。だって、ものの値段というのは、相場で決めるのが世の中で、世間の人々は、鑑定士が決めた値段にしたがって、家賃を決めているわけではないからです。


住居の賃貸借の契約そのものは、完全に相場だけで決まっているというのに、「同じ住居を長く賃貸している弱者」だけが、不動産鑑定士が決めた高い家賃を押しつけられていいのだと考える裁判所って、おかしくありませんか?


それって、借地借家法第32条に違反しているように、私は思うのです。


借地借家法に、「土地若しくは建物の価格の上昇若しくは低下その他の経済事情の変動により、又は近傍同種の建物の借賃に比較して不相当となったときは」というのは、要は「相場が合わなくなったら」ということで、その時に「家賃の増減額訴訟ができる」とされているのに、「相場以外の、賃借人にのみ不利な、家賃の決まり方と関係ない計算式によって出された金額を、裁判所が押し付ける」というのは、裁判所が、法律を守っていないということのように思えるのですが、どうでしょうか?


一般常識で考えれば、「裏づけもあるし、相手も否定できないもの」を証拠というのだと思いますが、一般人が提出した証拠は認めない、という裁判所って、おかしくありませんか?


一般常識で考えれば、「証拠」に見えるものを「専門家が出したものじゃないから」というだけの理由で無効にして、「別途数十万円を払わなければ、賃借人の訴えは認めない」とする、裁判所っておかしくありませんか?


それって、「国民には誰でも裁判を受けられる権利がある」はずなのを否定しているように思うんですが、どうでしょうか?


というわけで、私の見た限り、今の世の中では「裁判所が国の法律を破って、長く同じ住居に住んでいる賃借人(社会的弱者が多い)に、正当な理由なく高い家賃を払わされる差別的な立場を強制している」ように思えるのですが、どうなのでしょうか?


裁判所が「完全にみんなに平等とはいえないかもしれないけど、弱者に配慮した判決を出す」というなら、「まあ、そういうものかな・・・」というところがありますが、これは「裁判所が法を破ってまで、弱者に不利な判決を出し、そのために国中の弱者が、長く住んでいて引っ越したくないという理由だけで、高い家賃を払って当然とされている」という話です。


法律では「相場に合わなくなったら家賃の改定をする」ことになっているのに、裁判所が、相場とは関係のない、賃借人に一方的に不利な結果が出る「不動産鑑定」以外の証拠は認めないばかりに、賃借人が裁判に大金を使わされた上に、相場よりもはるかに高い家賃を決められてしまう、という現状は、「裁判所が法を無視している」といえて、社会的に問題なことじゃないかと思うのですが、どうでしょうか?


文中の「裁判の状況」は、現在、賃料減額を請求する裁判をしている私が実際に経験していることです。もちろん、自分の裁判の味方をして欲しいということではなくて、私の書いたようなことが、現実にどうなっているのか、状況を取材して、おかしいと本当に思えるところがあったら、記事にしていただけたらと思うのです。裁判所というのは、国民の基本的な人権を保障する機関なので、法的に見ておかしいんじゃないか、というところがあってはならないと思います。


私は、法律には素人なのですが、以前、弁護士がついている有名企業に訴えられて、弁護士なしで勝訴した経験があります。つまり、素人とはいっても、「勝算ありと訴えてきた有名企業の弁護士に裁判で勝つことができた素人」なので、そんなに的はずれなことを書いてはいないと思います。


私はこれから、この件に関して、「本当におかしいのか、歴史的にはどうなっているのか、法的にはどうなっているのか」を詳しく調べていき、やはりおかしい、このままにはしないことが社会的に必要とされていることだと確信できたら、現在の裁判所の慣行がどうでも、法的に見て本来正しいと思える有り方になおしていただくために、裁判官を説得できる文章を出しながら控訴、上告していくことで、今のあり方を変えるために全力を尽くしたいと考えているところです。


法を適用するための手段でしかない裁判所の慣行よりも、法を守るという原理原則が大事なのは、言うまでもないことだと思うのです。


私が書いたことが間違っているのかどうか、実際の裁判はどう行われているのか、ぜひ、取材していただけたら、と思います。


この話が、最終的に記事にならないとすれば、今の段階では私が気がついていない理由で、私がまちがっていた時だろうと思います。けれども、ここに書かれた情報だけはすべて私が自ら経験している確かなことです。もし記者様が取材されて、ここに書かれた情報からは不正義に見えることでも、何らかの理由で実は不正義ではなかった、ということを発見なさった場合は、その理由を教えていただければ心より感謝いたします。


ご検討、よろしくお願いします。