GWも過ぎて、人の流れが少し落ち着いてきた平日。

ふと思い立ち、神宮へ出かけることにしました。


遅まきながら新しい国立競技場を見たり、六大学野球が開催中の神宮球場をひと回りしたり(実はつば九郎ハウ巣を見たかったのですが、探しきれず(泣))

ホープ軒でラーメンをいただいたりして東京散歩を満喫!

「そう言えば、東郷神社が近いよね?」と足を伸ばして向かいました。

 

東郷神社へは一度参拝したことがありましたが、その時は参道脇の神池の整備中だったことを記憶しています。

ホープ軒から腹ごなしがてら、周りの建物を見つつお散歩です。

いつもは渋谷の方から伺うのですが、今回は原宿警察署を通過して到着です。

 


明治通り沿いに聳え立つ木製の大きな鳥居が目を惹きます。

七五三の前撮りでしょうか?元気な男の子が羽織袴を着て写真を撮っています。

老若男女着物はいいですね。景色が華やぎます。

 

東郷神社は、東京都渋谷区神宮前一丁目の若者や内外の観光客が多く訪れる

原宿竹下通りの目と鼻の先に鎮座しています。

 

創建は、1940(昭和15)年5月27日の海軍記念日です。

この神社境内社は、元々鳥取藩主だった池田慶徳の屋敷でした。

その子孫である岡山藩主池田家第15代池田宣政侯爵が、私邸敷地約2万坪のうち約1万2千坪を東郷元帥記念会に譲渡し、残りの約8千坪には現在原宿警察署・

渋谷区立原宿外苑中学校・渋谷区立中央図書館やマンションが建っています。

 

御祭神は、東郷平八郎命です。

御神徳は、至誠・勝利・強運・縁結び。

境内には「海の宮」があり、こちらには海軍・海事・水産関係者また崇敬者の諸霊をお祀りしています。

 




創建の経緯ですが、東郷平八郎が1934(昭和9)年5月30日86歳で逝去されると、全国各地から海軍省に「至誠は神に通じる」と一生を貫かれた生き方を、長く

後世に伝えて知らせてもらいたい。その為に神社にお祀りして欲しいとの要望と献金が届いたそうです。

当時の海軍大臣大角岑生(おおすみみねお)が財団法人東郷元帥記念会を設立。

そして、6年の期間を経て神社が創建されました。

 

では、御祭神である東郷平八郎命とはどんな方だったのでしょうか?

東郷平八郎は1848(弘化4)年に薩摩国、現在の鹿児島県に生まれます。

慶応2年数えの20歳で薩摩海軍に入り、軍艦春日の三等士官として、戊辰戦争を戦います。

 

幕末の悲惨な戦争を嫌と言うほど経験した東郷は、これからは軍人としてではなく鉄道技師として国家に奉仕したいという夢を描いていました。

しかし、同郷の西郷隆盛に「これからは海軍が強い説得を受け東郷は、明治4年25歳の時にイギリスへと留学。7年間海軍士官としての知識や技術を習得し帰国します。

 

その後は、日清・日露戦争で活躍。

大正12年に、天皇の軍事部門における最高顧問集団となり、大正3年から7年間東宮御所学問所総裁として、皇太子(後の昭和天皇)の教育という大役を果たします。

明治・大正・昭和と国のために仕え、昭和9年5月30日86歳の生涯を閉じます。

 

神社の参道を通っていると、右手に大きな神池が見えます。向かいには東郷記念館が。

視界が開けていて、とてもいいロケーションです。

 




階段を昇り切ると両脇にとてもかくかくした狛犬さん?いえこれはテレビゲームに出てくるポリゴンではありませんよ。

元々有栖川宮威仁親王の銅像の台座の四隅にあった獅子(ライオン)だそうです。

戦火を逃れた後、高松宮殿下から賜ったものだそうですよ。

なんだか、とても愛嬌があって可愛らしいですね。

 




門をくぐると正面に社殿が現れます。なんとも重厚な雰囲気で少しだけ押し戻される感じがしたのは私だけでしょうか?

久しぶりに伺ったことのご挨拶と感謝を込めて、手を合わせます。

 




そして、御朱印を授かりに社殿横の社務所へ。

御朱印を待っている間に、門の近くにある海の宮へ。

ひっそりと厳かな雰囲気の中、そっと手を合わせます。

 




御朱印を受け取りに社殿に向かおうとした目の先に、

赤青黄黒の旗、Z旗がはためいていました。

Z旗とは、海上で緊急事態を処するための大いなる努力の要求を意味する旗です。

そして、アルファベットではZが最後の文字。まさに後がないという表現です。

約120年前日露戦争の際、世界最強と呼ばれていたロシアのバルチック艦隊との戦いがありました。

「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ。各員一層奮励努力セヨ。」

日本にとって、絶対負けられない戦いという覚悟を、このZ旗に込めて掲げたといいます。

結果は、東郷の自ら戦う姿勢と部下を気遣う心で、部下達も奮起し勝利を掴みました。

 




境内内には、その時の絵画などが飾ってあります。

その絵を見て周りながらふと考えました。

何故、東郷平八郎がこれほどまでに内外問わず敬われていたのでしょう?

 

恐らくそれは「至誠」を持って生き抜いたからではないかと思います。至誠とは、この上なく誠実なこと。まごころと言う意味です。


かの孟子はこう言いました。

「誠は天の道なり。誠を思う人は人の道なり。至誠にして動かざるものは未だこれ有らざるなり。」と。


意味は「天や万物にあまねく貫いているのが誠であり天の道である。この誠に背かないようにつとめるのが人の道である。まごころをもって対すれば、どんな人でも感動させないと言うことはない。」です。

 

つまりどんな人にもまごごろを持って接すれば、人を動かせる力があると言うことです。

「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」の一節は吉田松陰も大切にしていた言葉だと言われています。

 

昔の人、特に江戸後期から幕末明治の人物は、この「至誠」と言う言葉をとても大切に心に刻んでいたように感じます。

いつ何が起きてもおかしくない時代だったからこそ、「至誠」誠実に生き抜く事を胸に抱いて駆け抜けていったんだと思います。

 

人と人との関係が希薄で、どんなことでも指1本で済んでしまう現代。


私達一人ひとりの心に「至誠」のあかりを灯すことが出来れば、争い事のない互いに

笑い合える平和な日々が、訪れるのではないでしょうか?