2022年10月。日本プロレス界の巨星墜つ。
『アントニオ猪木氏』
きっと多くの人がこの訃報に驚いた事でしょう。
プロレスが好きな私達もショックでした。
アントニオ猪木さんと言えばプロレスのみならず、事業家そして政治の世界でも有名でしたね。
いつも時代の先頭を歩き、周囲をあっと言わせてきました。
万人には、理解出来ない所もあったとは思いますが、
きっと猪木さんの頭の中には、終始一貫したビジョンがあったのではないでしょうか?
晩年は病と闘いでしたが、自身が体が辛い時もYouTubeを配信してみんなに闘魂を注入しているように見えました。
今年に入って、猪木さんのお別れの会が開催されるという発表がネットに流れました。
3月7日(火)。場所は、両国国技館。
一般参列で献花が出来るとあったので、私たちは行くことにしました。
当日、献花が始まる時間は14時から。
あまり両国の方まで行ったことがないので、せっかくなので両国界隈の神社など見るものいいかと思い訪ねて見ることにしました。
JRで一つ手前の浅草橋で降り、神田川・隅田川を渡って両国へ。
両国駅から10分ほど歩き、すみだ北斎美術館を右に見ながら行くと神社に到着。
こちらの神社は、『野見宿禰神社』と言います。
相撲の神様として祀られています。
読み方は「のみのすくね」です。あまり聞き馴染み無いですよね?
そして、どうして相撲の神様なのでしょうか?
私も、こちらにあがる前は全く知らなかったんです。
まずは、「野見宿禰」という方はどんな方なんでしょう?
野見宿禰は、天照大御神と素戔嗚尊との誓(うけい)で生まれた五柱の神の一柱「天穂日命(あめのほひのみこと)」の14世の子孫です。出雲国造でした。
その野見宿禰は垂仁天皇の命により、向かう所敵なしと言われた当麻蹴速(たいまのけはや)と角力(相撲)を取ることになります。
勝敗は野見宿禰。当麻蹴速は腰と肋を折り亡くなってしました。
そして、蹴速が持っていた大和国当麻(現在奈良県葛城市當麻)を与えられ、それ以降垂仁天皇に仕えました。
(他にも功績がありますが、今回は割愛します。もし興味のある方は調べてみてくださいね)
そんな野見宿禰を祀る神社は、島根県・鳥取県・奈良県に見られます。
中でも、奈良県桜井市に鎮座する穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)は摂社として相撲神社があり(御祭神は野見宿禰)、ここが初の天覧試合
垂仁天皇の御前で野見宿禰と当麻蹴速が角力(相撲)を取った場所なんだそうです。
この時の相撲は、どちらかが命を落とすことで勝敗がついていたようです。
(なんだか古代ローマのコロッセオのようですね)
奈良時代から平安時代に相撲節会という宮中行事へ、今のような相撲の形態になったのは、江戸時代後半位からのようです。
ちなみに、奈良県の葛城市には同じく相撲の始祖として当麻蹴速の墓があり、現在は五輪塔が残っています。
当時の人々から親しまれていたそうです。
話は、野見宿禰神社に戻りましょう。
社名は野見宿禰神社(すくねさん)
御祭神は野見宿禰(相撲の始祖)です。
御神徳は、技芸向上、勝利祈願
境内社には、稲荷神社が社殿に向かって右手に建っています。
日本相撲協会が管理しています。
創建は1884(明治17)年。この地の東側にあった高砂部屋の当時の親方
高砂浦五郎が尽力し、当時親交のあった出雲国造81代千家尊福によって
元津軽家の上屋敷を譲り受け創建されたそうです。
(野見宿禰は出雲国造の13代と伝わる)
境内には、歴代横綱之碑が二基立っています。
1952年11月に日本相撲協会により建立されました。
一基目には、初代明石志賀之助から46代朝潮太郎まで。
そして二基目には、47代柏戸剛以降の名前が刻まれています。
奉納の土俵入りを行う神社はいくつかありますが、この野見宿禰神社では新横綱が誕生した際に、奉納土俵入りが行われています。
きっと創建に携わった初代高砂親方は、相撲界の発展・維持を願っていたのでは無いでしょうか?
そして14時になるので、両国国技館に向かうことに。
国技館には、すでに長い列が伸びていて、中に入るまで時間がかかるのではないかな?などと思っていましたが、意外と時間になると列はスムーズに国技館の中に吸い込まれていきます。私達も続きます。
通路を歩いていると、中から「猪木さーん!」と叫ぶ声が。その悲しそうな声に胸が苦しくなります。
いよいよ会場の中に入ると、笑顔の猪木さんの写真とその下にはリングが設えてありました。リングの上には献花が山と捧げられています。
花を捧げ、感謝を伝え手を合わせました。少し写真も撮らせていただいて会場を後にしました。
今回は猪木さんのおかげで、思いがけない神社さんとの出会いを頂きました。
振り返って感じたことがありました。
プロレスの祖も相撲の祖も、その分野だけに留まらず国のために尽力したのだと。
とても不思議なご縁を感じながら、3月の初旬の青空を見上げ深呼吸をしました。