今年も10月に入り、暦もあと3ヶ月となりました。

ここ数日雨模様で、急に冬が来たような寒さに体がついていきませんね💦

今日は流石にコートを引っ張り出しました。

皆さんも、寒暖差に振り回されることなく気をつけてお過ごし下さい。

 

この夏以降、国内外での大きな訃報や有事。地震や台風などの災害etc…。

直接関係なかったとしても、気持ちの面でもなんだかザワザワしてしまいがち。

そんな時は、誰かとたわいの無いお話をしてみたり、流れる雲や川の流れ、寄せては返す波を眺めるのも良いかもしれませんね。

私も上手な心の整え方、いつも模索しています。

 

今回ご紹介しますのは、前回同様川越シリーズでございます。

埼玉県川越市にあります「川越大師 喜多院」です。

喜多院さんにお伺いするのは、この川越旅の目的の一つでもありました。

と言いますのも、以前何かのテレビ番組で喜多院さんについて放送していたのがきっかけです。

 

歴史好きな私、この喜多院の第27世の放蕩を継がれた天海僧正がいらしたと聞いただけで「いつか参りたい!」と思っていたのです。

皆さん、「天海僧正=明智光秀」と言う都市伝説をご存知ですか?

真実は永遠の謎とわかっていても、ワクワクしてしまいます。

そんな天海さんが過ごした同じ場所に、時を超えてたたずんでみたいと言う願いが叶いました。

 

「川越熊野神社」を参拝した後、時の鐘や蔵造りの街並みを観光しつつ、「川越氷川神社」に参拝。その後「川越大師 喜多院」へと向かいました。

 

幼い時から父に連れられ色々歩いていたので、長時間歩くことには全く問題ないのですが、なんと言っても、まだ9月半ばの残暑…いや酷暑の中。かなり体力は奪われます。

氷川神社さんから喜多院さんまで、少々距離がありましたので、水分と休憩を取りながら歩を進めました。

 

本来であれば、表側の山門からお参りしたかったのですが、喜多院公園側から入らせていただきました。

 



入る橋で、もう気になりポイントが!橋の名前が「どろぼうばし」説明を読んでみると、

「昔、一人の盗賊が捕り方に追われ神領地である喜多院の境内にこの橋から逃げ込みます。

しかし寺男たちに捕らえられ、寺僧に諭され元三大師に心から罪を許してもらえるよう祈りました。ようやく真人間に立ち直ることが出来たその盗賊は、喜多院が処置を願い出て奉行所から無罪放免の許しが出ます。

その後、その男は真面目な一生を過ごしたと言います。

そこから「どろぼうばし」と呼ばれるようになったんだそうです。

 

そんな気になる橋を渡って公園の中を通ると、視界がぱっと広がります。

左手に本堂である「慈恵堂」が目に飛び込んできました。

正直な感想としまして、思っていたよりの大きさにびっくり!です。

 

ここで「川越大師 喜多院」について少しお話ししますね。

創建は奈良時代まで遡るようです。

仙芳仙人の故事によると、仙波辺りの漫々たる海水を法力により除き

そこに尊像を安置したと言いますが、平安時代淳和天皇の勅により

天長7年(830)慈覚大師円仁により創建された勅願所で、

本尊の阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天等をお祀りし、

無量寿寺と名付けました。

 

兵火の炎上により焼失。その後永仁4年(1296)に再興された時

慈恵大師(元三大師)をお祀りし、関東天台の中心になりました。

 

慶長4年(1599)天海僧正(慈眼大師)が第27世の法灯を継ぎます。

この天海僧正の時に、仏蔵院北院を喜多院と改めます。

 

寛永15年(1638)1月の川越の大火で山門以外全て焼失します。

そこで、三代将軍徳川家光公が復興するよう命じます。再建した際に

江戸城紅葉山の別殿を喜多院に移築、客殿、署員に当てました。

家光誕生の間や春日局化粧の間がこの地にあるのは、そう言う経緯

だったんですね。

 



では本堂へ。

お参りにこられた感謝をお伝えします。神社とは違う緊張感をいつも感じます。

怖さというより畏怖と言う感覚でしょう。身が引き締まります。

寺院は神社と異なり、本堂内に御朱印やお札などをお受け出来る場所があります。

仄暗い本堂でお参りした後、御朱印を授かりました。

 

本堂を出ると、向かって右手に「苦ぬき地蔵尊」が見えます。

苦ぬき地蔵尊は「釘抜き地蔵尊」とも呼ばれ、全ての苦しみを抜き取ってくれるとして多くの人達に親しまれているそうです。

 



その奥に小高い丘があります。そこに天海僧正をまつる「慈眼堂」が立てられています。

天保2年(1645)徳川家光公の命により建てられ、厨子に入った天海僧正に木造が安置されています。

 

本堂の方に戻り右手に進んでいくと、小江戸川越七福神の大黒天が祀られています。

今度改めて、小江戸川越七福神巡りをしたいと思います。その時はまたここでお伝えしますね。

 



大黒天様の右奥には書院と客殿。

江戸城紅葉山の別殿を移築したものだそうで、家光公誕生の間や春日局の化粧の間など

いにしえの人々の息遣いを感じられる、不思議な空間に身を置いてみませんか?

 




建物近くには、天海僧正御手植えの御神木があります。樹齢はなんと!350年!!

時の証人とでも言いましょうか。自然と頭が下がります。

 



山門に向かって歩いていくと、多宝塔が建っています。



その先には、お土産とお食事が出来る売店が。こう言う売店って必ず飲み物を買って座ってしまいます。一休みするのに本当に助かります。

(ちなみに、自販機で何か飲み物でも買おうと思ったら、なんと、徳川印のコーラが売っていたので思わず買ってしまいました。)

 





太子堂や木遣塚、その奥に五百羅漢像が。今回は時間に余裕がなかったので門の前からお写真のみで失礼しました。





反対側には鐘楼門や番所など。見所がたくさん!でも、山門を出ても見所が…。




天海僧正像と白山権現さんが祀られています。

白山権現は、慈覚大師円仁が喜多院を創建された時に天台宗の修験道である白山より守護神として分霊を祀ったと伝わっているそうです。

 








道路の向かいには、日枝神社が同じく創建時に比叡山のふもとの日吉大社の神様の分霊を祀っています。(比叡山は天台宗の本山です。)

天台宗は神様と仏様の習合の地が本山なので、ご分霊でお祭りするのは自然な事なのだと感じました。

 




天海僧正や徳川家ゆかりの地という事で、境内内には「仙波東照宮」があります。

実は、こちら。少し前にYouTubeで佐々木優太さんの「神社ソムリエのあやかりチャンネル」で拝見していました。

「な〜んかどこかでみた事あるのよね。」と思いながら近づいていくと確信に変わります。

「あ!YouTubeで見た神社さんだ!」と思わず口から出ていました。

家康公が亡くなって、まず久能山東照宮(静岡県)に埋葬。その後日光東照宮(栃木県)に移される時に、途中にあるこの仙波の地で一晩過ごされたんだそうです。

その後に天海僧正が東照宮を建立したそうです。

 




概要を載せますので、ぜひ佐々木優太さんのYouTubeご覧ください。

さすがソムリエ!とても参考になりますよ。

 

はるか昔、今いるこの場所のすぐそばに海があったなんて…。想像がつきません。

でも、何億年もかけて地球自身が息をし絶えず動いているならば、意外と簡単に想像が出来るのかも知れません。

知らずに毎日通り過ぎている通りにもしかすると太古の歴史がまだ埋もれているかも知れないですね。

 

さぁ!たまには、「スマホを捨て、町に出よう!」

 

 

※こちらが、ご紹介しました佐々木優太さんのYouTubeです。

「こんな人にはこんな神社をお勧めします。」と、その人に合った神社を紹介してくださいます。

お話もわかりやすくて、楽しいですよ。