2011年3月11日午後2時46分。東日本大震災。

私自身、生まれて初めての天災を体験しました。

 

あの日私は、栃木の山奥に旅行に来ていました。

駅で被災した私は、数時間併設の温泉施設に足止めをされ、刻々とTVから流れてくる状況を観ることしか出来ませんでした。

 

自宅にたどり着いたのは翌日の昼過ぎ。

幸いにも自宅は大した被害もなく、当時23区内に住んでいた私は、停電などの影響もなく本当に恵まれていました。

その後は日々被害の状況がわかるにつれ、自然の前での人間の小ささを感じざるを得ませんでした。

 

振り返れば私の生きている時間の中で、印象的だった有珠山や普賢岳そして三宅島の噴火、各地の台風被害、阪神淡路大震災などたくさん自然に打ちのめされました。

でも、その度人は力強く再生してきました。

 

取材で誰かが応えていました。

「忘れてはいけないと人は言うけれど、忘れたいと思うのも本音」だと。

人は記憶を蓄積できる生き物です。

いい思い出はもちろん、辛くて嫌な思い出も。どちらも強烈であればあるほど忘れることは出来ません。

そこにとどまり、住み続けるならなおさらです。

そして、止まった時計を動かすことは出来ないかもしれません。

 

私には何が出来るのか?改めて考えます。

直接的な当事者ではないので、何を言っても綺麗事になってしまいます。

なので積極的には何も言えません。

 

ただどんな境遇で傷ついた人にも、そっと寄り添うことが出来れば。

それだけを思っています。

いつか、どこかで、誰かにつながる…そう願いながら。

 

恐らくそれが、過去も現在(いま)も未来もずっと私に出来ることなんだと。

寿命をまっとうするまで、答えの出ない問いに思い悩みながら。

きっと私の生まれてきた使命なんだなと。