寒い日が続いていますね。

昨晩はトンガで起きた火山の噴火の影響で、スマホの緊急速報がやり止まず

少々寝不足気味です。

TV画面にずっと日本地図が出ていた光景は、2011年の東日本大地震を思い出させ、ちょっとした不安感に支配された半日でした。

まだ現地や他の国の状況は不明ですし、日本への影響もどうだったのか…。

何が起きるかわからない時代、しっかり準備しなくてはいけませんね。

 

今日は、今年初の神社のご紹介です。

今回お伺いしたのは、東京都目黒区にあります、八雲氷川神社です。

 



私は普段、あまり「何か呼ばれている気がする」なんて思うことはないのですが、今回ばかりは何故か「氷川神社に行かなきゃ」と思ったのです。不思議です。

コロナでまた感染者が増えてきているので、なかなか遠くには行けません。

自宅から見て一番近い氷川神社となる八雲氷川神社にさせていただきました。

 

八雲氷川神社は、東急東横線都立大学駅から約10分のところに鎮座しています。

改札を抜けて左に曲がり目黒通りを渡ると、住宅街になります。

都内ってこういうギャップが、私は好きです。

八雲通りの商店街をを歩いていくと右手に神社の鳥居が見えてきます。

 



御祭神は、素盞嗚尊、櫛稲田姫命、大国主命です。

素戔嗚尊と櫛稲田姫命は夫婦神様ですね。そして大国主命はお二人の子供です。

 

御神徳は、癪封じ、夫婦円満、道を切り開く力、チャレンジする力、農業商業のご利益です。

 

こちらの御由緒は、旧衾村(今の柿の木坂・東が丘・八雲・自由が丘・大岡山)

の鎮守で、創建の年代の詳細は不明ですが内陣に文化14年(1817)奉納の記載があり、社殿の安政2年(1855)に行われているので、かなり古いことがわかりますね。

 

今の八雲という地名ですが、こちらの御祭神に由来するそうです。

素戔嗚尊が出雲国で櫛稲田姫との新居を構える際、「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」と詠んだ和歌からと言われています。

 

御祭礼が年に3回あり、特に9月の祭礼では神楽殿で素戔嗚尊の八岐大蛇退治の物語を表現している「剣の舞」が奉納されます。




200年ほど前から伝わる舞だそうで、楽の音に合わせて1人が舞うそうです。

どうりで立派な神楽殿の隣には木の板に描かれた剣が奉納されていました。

他にも当時の参拝の様子などが描かれたものが飾られているので、遠い昔に思いを馳せることもできます。

 




右手の手水舎で手を清めて(今はこんなご時世なので、柄杓ではなく直接竹筒から

水が出ています)社殿に向かいます。この手水舎は安政の奉納ととても古く下でがまん様が支えてくださっています。

 



社殿につきお詣りしようとした時、ちょうど何かの御祈祷が始まるところでした。

御祈祷が始まるところに居合わせると、神様に歓迎されているということなんだとか。嬉しい限りです。

 




いつも通り伺ったことの感謝をお伝えしてから、奥ノ宮にお詣りさせていただくことに。



こちらには、足名槌命・手名槌命・倉稲魂命が祀られています。

創建年代はやはり不明で、昭和57年(1982)に放火により消失。同年再建されています。

 

奥ノ宮に続く参道途中の左手に枯れたアカガシの大きな株が置いてありました。



このアカガシ、御神木で古くから癪封じのご利益があると信じられていました。

皮を煎じて薬にしようと皮を剥ぐ参詣者が後をたたず、それで枯れてしまったと伝えられています。


そんな枯れてしまった御神木アカガシ。大正時代にこんな話が新聞に載ったそう。

「毎晩0時になると、当社の御神木から呻るような叫び声が発せられるようになる。

その声は明け方3時まで続き、近隣住民からは氷川様の呻り樫と呼ばれたそう。

過去にも同じことがあり、当時の宮司が怪音中止の祈祷をしたら、音は止んだがその晩から宮司は大病を患ったと言う。

伐採の話もだたが、祟りを畏れて賛成者もいなかったそうだ。」

この記事のおかげで、アカガシ目当ての参詣者も増え参道に露店も増えて賑わったと言われています。

今は社殿の裏手に根本が静かに祀られています。

昔から怖いもの見たさってあるんですね。でも、それで周りが賑わうのはいいことですよね。

これも一つの恩恵と言えるのでしょうか。

 

参道がとても長く三ノ鳥居まであり、途中に橋の跡も残っていました。とても趣のある参道で

静けさも手伝い、大正時代あたりにタイムスリップしたような気持ちになりました。



そして、一ノ鳥居の左手にお地蔵様が。

このお地蔵様ですが、かなり形が崩れていてとても不思議な感じがしました。



帰宅してから調べてみると、体の痛みが出た時お地蔵様の同じ所を撫でると痛みが治ると信じられていたそうです。

いつ作られたのかは不明ですが、相当長い間ここを訪れる参詣者や、この近所に住む人々に撫でられていたのでしょう。

今でもお花などが供えられ大切に祀られているんだと感じられました。

 

氷川神社を後にするとき、なぜ私はこちらに導かれたのかな?と改めて考えてみました。

素戔嗚尊は荒々しさもある反面、和歌も詠まれる文才もある神様です。

もっと皆さんに読んでいただける文章を書きたいと切望していた私を見兼ねて

呼んでくださったのかもしれませんね。

今年は色々勉強もしたいと考えていたので、ご縁としか思えませんでした。

 




今年からは、アメブロに留まらず自身でブログも開設しました。

よかったら、遊びにいらしてください。

https://ladybug358.qc-plus.jp   です。

 

今年も少しずつ、ご紹介できますように。