10年以上前に、私のことを可愛がってくれた堀田さんが天国へ行ってしまったお話です。
※人の死に関することなので、苦手な方は読まないで下さい。
私の勤める会社で掃除婦さんをしていたのが堀田さんだ。堀田さんはお喋りが大好きで、人当たりがよく、典型的な大阪のオバチャンで、会社でよく話しかけてくれた。少々お節介なところは大阪のオバチャンだけど、話し方がゆっくりなので、一緒にいてホッとできた。
会社でよく会う掃除婦さん、くらいにしか思ってなかったけど、入社して2年後に一気に距離が近くなった。
というのも、堀田さんが私のアパートの、めちゃくちゃ近くに住んでいたのだ。徒歩5分位のところだ。堀田さんが、近所の人達と犬の散歩をしている所にバッタリ会って「ええええ!なにしてるのん!?」ってなったのだ。
聞くと、堀田さんは犬が大好きだけど、自分は犬が飼えないから近所の人の犬を散歩させているという。
ちょうどその時、私は「ガルニ」というダックスフントを飼っていた。だから、そんなに犬好きなら「今度ガルニを連れてお家に行くよ!」といって堀田さんの家に行くことが多くなった。私が東京で仕事があるときは、堀田さんにガルニを預けたことが何度もある。
堀田さんの作ったカレーライスを食べた、魚の捌き方を教えてもらった、一緒にガルニの散歩に行った。
年齢的に、お婆ちゃんと孫の歳で、親戚とあまり深く付き合っていなかった私にとっては、これがお婆ちゃんなんだと、いつもホッとした。行ったらお茶をだしてくれて、お菓子が出てくる。チョコとかじゃなく、せんべえ。何も聞かず、ただ優しくしてくれる。お勉強はどうなの?どこの学校に入るの?とかはない。全国大会行くんだって?頑張ってるじゃんとかの、成績に関する話しはない。ただ、一緒にいて、テレビを見る。聞かれるのは、食べているのか?とか、昔こんなことあったんやとか、ガルニの話。私の成績をみるのではなく、ただ、一緒にいてくれる。従兄弟と比べてどうなのかではない、ただ、おもろい話をしてくれる。初めてだった。
家の鍵を渡して、犬のお世話を頼んだ時は何週間も溜め込んでいた食器を洗ってくれた。ありがたかった。
それから1年くらいして、私は転職し、石川県で働くことになった。
堀田さんは寂しそうにしていた。というのも、今思えば、娘さんは病気でずっと病院に入院していて、旦那様もお亡くなりになって一人で寂しかったのかなと思う。そして、また心配してくれた。「生活は大丈夫なんか?辛くないんか?」とか。会ったらいつも「元気にしてるのん?」と言ってくれた。
そのあとも、何回かお茶にいったりしていた。電話もかかってくることもあった。
堀田さんは、私に毎回奢ってくれた。だけど、私は、堀田さんが生活に余裕があるとはいえないことを知っていた。なんだか、なんともいえない気持ちになった。家族よりも、家族だった。なんだか、悪い気がして、素直に喜べなかった。堀田さんは、もうお婆ちゃんだし、私のために使うんじゃなくて、自分のために使った方がいいんじゃないか?といつも思っていた。
本当に、堀田さんは、ただ、心配してくれるのだ。堀田さんの前では、何も頑張らなくていいのだ。仕事して、自分のお金でご飯をかって、健康なら良いのだ。なーんにも、考えないでいいのだ。
堀田さんは、人情の人だった。堀田さんの友達で、名前は覚えていないから、、うーんAさんという人がいた。Aさんは、パチンコ依存性で、堀田さんによくお金を借りていた。借りるだけならまだしも、財布から抜いていることもあった。私はそれを聞いたときに、「堀田さん、付き合いやめーや!」と言った。そしたら堀田さんは「可愛そうな人やねん。誰からも相手にされてないからな。」と言っていた。「あほやん!堀田さん、またお金取られるで!」と言ったら「財布は隠すから大丈夫や」と笑っていた。
堀田さんは、そういう優しいところがあった。人のことを、ほっておけないのだ。まぁ、だから、私なんかと付き合ってくれて、気にかけてくれたのかもしれない。
そのあと、私の職場が関東に変わってから、全く連絡を取らなくなってしまった。というのも、私の携帯のデータが消えてしまったのだ。「元気かな?」と思いつつも、電話番号が分からないから連絡が取れなかった。
それから何年かして、ふと、私の古い携帯が出てきた。そしたら、堀田さんの電話番号が出てきた。
かけてみると、「はい、どなたですか?」と言っていた。忘れちゃったのかな?と思って「ガルニの飼い主、矢田部明子です!●●会社で働いていた子です!」というと、「あぁ!あんた元気にしとったんかいな?」と話してくれた。
なんでも、堀田さんも携帯のデータが消えて電話をかけられなかったという。他愛もない話をして、元気にやっているよと伝えると「あんたが前に住んでた家の前を通るたび、元気にやってんのやろか?と思ってたんや。しっかり働けているなら安心した」と言っていた。
私が堀田さんは元気にしてた?と聞くと「もうヨボヨボや。杖ついてフラフラ歩いとるで。」と話していた。
私は、え?と思った。私の想像していた堀田さんと違ったからだ。私の想像していた堀田さんは杖なんてついていなかった。ニコニコしながら犬の散歩をしている堀田さんだ。そうか、あれから何十年もたっているから80歳くらいなのか……と、ハッとした。
戸惑いながらも「またかけるからね」と言った。堀田さんは「待っとうで、私は電話番号の登録の仕方が分からんから」と言った。「大丈夫、私からかけるから」と言った。
だけど、私は忙しくて2年間も連絡をしなかった。ふと堀田さんのことを思い出しても「大丈夫、今度神戸に行ったときに家に直接よろう」と思っていた。
だけど、何度も仕事で神戸に行っていたのに、仕事で疲れたということもあって「まぁ、またくる時によろう」と思ってズルズル2年が過ぎていた。
2年後、ふと堀田さんに電話をかけた。何してるかな?連絡が遠のいたなと思いながら。というより、なんか悪い予感がした。猛烈に寂しく、胸が締め付けられるように堀田さんを思い出した。
急いで電話をしたら、「この電話番号は現在使われていません」と言われた。
悪い予感がした。ちょうど1ヶ月後に神戸で取材があったので、絶対に堀田さんの家によろうと心に決めた。
1ヶ月後、取材が終わって堀田さんの家に行くと、堀田さんの表札がなかった。市営住宅に住んでいて、一階に住んでいた。だから、一階を見て回ったけど、表札がなかった。あれ?私の記憶違いだったかなと、同じ住宅に住んでいらっしゃる方に聞いて回った。
そしたら、104に住んでいることが分かった。
ポストの前にもう一回いった。よく見ると、上から、緑色の養生テープが貼られていた。恐る恐るはがしたら「堀田」と書かれていた。
遅かった。
と思った。向かいの人に堀田さんのことを聞いた。すると「6ヶ月前に引っ越したで」と言われた。引っ越したって、どこによ?と思いながら、腰が抜けた。
堀田さん、引っ越したんやろな?亡くなったんと違うよな?と思いながら、「どこに引っ越したか分かりますか?」と聞いたら、「さぁ?」と言われた。
どないしようか。どないしようか。と思っているときに、上の階から犬の声がした。
「犬の声や。そうや!堀田さんは犬が好きで、近所の人の犬を散歩させていたから、何か知ってるかもしれん!」
と思って、一か八か聞きに行った。「一階に住んでいた堀田さんって、どこに行ったか知っていますか?」
「堀田さんはね、なんや入院してるって言ってたで。一回家で倒れてたみたいでね、コープの配達の人が気付いたんよ。それから、リハビリとか通ったけど、なんや、調子が良くなくて入院するとか…。ただ、堀田さんって身内がいないから。区役所の方が来て、堀田さんの荷物を撤去して6ヶ月前に出ていったんよ。あっ、山下さんが詳しく知ってるから、その人に聞いてみて」
と言われた。この時、よかった!入院してるんだとしたら、お見舞いに行けるかも!と思っていた。入院するから、携帯は不必要と判断されて、解約させられたんかも!と思った。早く山下さんから詳しく話が聞きたいと、同じ市営住宅の山下さんの所へ走った。
「あの、堀田さんのことでお話が聞きたいんですけど」
というと、「あぁ、私が知ってる限りなら」と言って話してくれた。もろもろのことは聞いていたから、今どこに入院しているのか聞いた。
「知らないんよ。リハビリ頑張ってたみたいなんやけど、途中から、一気にガタッときてね。どこも病院は一杯やから、転々としてたとは聞いたけど。身内が娘さんだけなんやけど、娘さんも堀田さんのことをどうこうできる状態じゃないから、区役所の人がお世話しててね。なんか、そんなこと言うてたわ。それで、意志疎通が難しいからとか言って、携帯を解約したらしいわ。私がその事を知っているのは、堀田さんの携帯を見たときに、私の電話履歴が多かったかららしいで。たまに、様子を見に行ってたからな。
入院する前に、最後に会ったときは、なんというか、ボケてるとかじゃなくて、なんというか。」
と言葉を濁していた。あぁ、会いに行けばよかった。10分でも、会いに行けばよかった。たった一人で、なかなかいうことを効かない体に恐怖を感じながら、毎日を過ごしたんだろうか。身寄りがないから、誰も助けてくれないという怖さはあったんじゃないだろうか?そんなときに、私が電話したら、気持ちが少しは軽くなっただろうか?
歩くことができなくなっていたなら、ご飯はちゃんと食べられていたのだろうか?
そういえば2年前に電話したときに「杖ついてフラフラ歩いとるで。」と言っていた。私はその時「ええ!大丈夫?でも堀田さん、声は元気そうやけどね」的なことを言ったけど、本当は私に、あかんねん。助けてと言いたかったんではないだろうか、と思った。
汲み取ってあげられなかったというのと、電話をしなかった。堀田さんは私に安心を与えてくれたけど、私はほっといた。ほっといた。
話を聞くと、堀田さんは、よく友達とパチンコに行っていたと言っていた。
その話をきいて、堀田さんは、パチンコに行くだろうか?と疑問に思った。
そして、堀田さんのお金を盗んでいたAさんが頭に浮かんだ。あの人と、まだ付き合っていたのかと思った。堀田さんらしいなと。ほっとけなくて、きっとずっと関係を続けてきたんだろう。
Aさんは、お見舞いに行ってあげていたのだろうか?住宅の人は、病院すら知らないと言っているということは、おそらく、誰も行っていない。知らない場所でポツンと一人になっていなかっただろうかと思った。それとも、堀田さんらしく、入院先の誰かと仲良くなっていたかな?
と思った。山下さんが、もしかしたら●●病院に入院しているかもと、最後に教えてくれた。
入院していたとしたら、今日会いに行こうと思って電話した。
「はい、●●病院です。」
私は、堀田さんとの関係を話して、そこに堀田さんが入院しているか聞いた。だけど私はその時に気付いた。堀田さんの下の名前を知らないのだ。
あれだけ、お世話になっていて、下の名前を知らなかった。というか、そんな私が、どの面下げてお見舞いに行くんだよと思いながら「下の名前をしりません。あと、身寄りがなくて区役所の人が手続きしたと思います。とにかく、堀田さんで探して下さい」と言った。
しばらくして、看護婦さんが「堀田りん子さんのことだと思います。10日に亡くなりました」と言われた。
私が神戸に行く、10日前だ。もう会えなかった。
「そうですか。」と返事をして、看護婦さんが、遺骨のことは、区の後見人の方に聞いてくださいと言われた。
遺骨は、どうなるんだろうか。供養されるのだろうか。そう思って、区の後見人の方に電話した。そしたら、5年間ほど墓苑に保管されそのあとは手順にそって…何やら話していたけど、頭に入ってこなかった。
でも、私が血縁者ではないので、私がどうこうすることは出来ないということは分かった。
そして、娘さんは、遺骨をどうこうできる状態じゃないと言っていた。
墓苑のある場所をメモって、「堀田さんはどんな感じだったのでしょうか?」と聞くと「僕は一度もお会いしていないんです。最後は意志疎通も出来ていなかったので。ただ、穏やかな最後だったと聞いています。」と話してくれた。
本当にそうだろうか?いわば、知り合いがひとりも1人もいないなかで、穏やかに最後を迎えられるのだろうか。そう思っていると、後見人の方が
「お墓参りをすることは、堀田さんも嬉しいのではないでしょうか?今まで、そういう人はいなかったそうだから」
と言った。そうか。そうだよなぁ。ということは、Aさんはお見舞いに行ってなかったのか。あんだけお世話になっていて。いや、Aさんよりも、私だ。連絡しなきゃと2年も連絡を取ってないんだ。人のことを言えた義理じゃない。
堀田さん、ちょっと遅かったけど、私で良かったら手を合わせにいかせてよ。と思っているけど、堀田さんは嬉しいだろうか?
体が悪くなり始めた、2年前に、私が会いに行った方が良かったのではないだろうか。仕事で何度か神戸に行ったのに。
いや、そもそも娘でもないのに、こんなこと思うなんて身の程知らずか。
でも、何にせよ後の祭りだ。
手を合わせに行くといっても、死後の世界があるかも分からないのに。生前に行った方が、よっぽど良かっただろうに。
そうすると、ふと怖くなった。大切な人が、いつ死ぬか分からない。それは私も一緒だけど。
どうしたらいいんだろうと、悩んでいたけど、ありきたりだけど、これしかない。
●1日1日を精一杯生きる
●周りの人を大切にする
ありきたりだけど、本当にこれしかない。考えたけど、これしかない。
堀田さん、最近の私は、これが出来ていなかった気がするよ。最後まで教えてくれてありがとう。堀田さんのことを、堀田さんが亡くなる10日前に思い出させてくれたのは、私にお別れをいいに来てくれたのかな?と勝手に思っているよ。
余生を腐らず、楽しく、辛いことも笑いに変えて精一杯生きるよ。
ありがとうね。ほんまに、私なんかであれやけど、手土産を持って行くからね。なんやろ、お洒落なお菓子?いや、せんべえ持っていくわ。それか、米やな(笑)
ブログに書いたのは、私の自己満足かもしれないです。でも、読んでくれた人のなかに、私のような人がいるのであれば、連絡を取った方がいいということが言いたかったです。
人が老いていくのは、思っている以上に早く、私のようになってしまうと、取り返しがつかなくなります。
それは自分も同じです。
老いていくスピードはとてつもなく早いです。後悔のないように。出来れば、人に喜ばれることをするように。出来れば沢山笑うように。
頑張ろう。
根性や根性。
締め切り間近の原稿かくわ!私!