鎌倉へお墓参りに行きました。
お彼岸ということでお墓まいりに行きたいと思っていたのですが、昨日やっと行くことができました。
何日か前は雨の予報が出ていたのですが、木曜日は良いお天気になるという風に予報も変わりましたので、早めの時間に鎌倉へ出発いたしました。
お供えの花はオレンジ色の鶏頭の花が入っている小さい菊とのコンビの花にしました。ちょっと秋の雰囲気のするものです。
墓苑の同じ区画の、1つ手前の列にある暮石の正面には「道」と書いてあるのですが、前回にこちらに来た時、草に埋もれておりましたので草むしりをしたのです。
一度このお墓の件はブログに書いたように思いますが………。
NHKの通称 朝ドラ の「エール」で、古関裕而 がモデルになったドラマがあったようですが、(私はまだその頃勤務をしておりましたので、見る余裕がない時でした)
その中で主人公と結婚され奥様になった方が、声楽を学ばれていて、歌のレッスンを受けていたそうですが、その方にレッスンをしていた先生が、この ベルトラメリ能子先生だったのだそうです。
この朝ドラの放送があった時も、この方のお墓はこちらにあったと思うのですが、その頃もお参りの方はいらっしゃっていなかったように思います。お花が飾ってあった記憶もありませんでした。
日本にベルカントでの歌い方を伝えたかたとのことですが。
本日は、草むしりと墓石を洗ってあげたいなあと思っていました。
草むしりを大掛かりにするようになったのは、前回からです。
日本のクラシックの声楽の初期の時代に、三浦環の妹弟子としてイタリアに留学し、そちらで、イタリア人の詩人であったベルトラメリさんと恋に落ち、結婚されとのこと。
結婚3年後にベルトラメリ氏がお亡くなりになり、その後日本に帰り、リサイタルをされ再びイタリアに帰ったようですが、その後また日本に帰り国立音楽大学の先生となったようです。
「三浦環」というお名前は、日本のクラシック界の黎明期が語られる時に必ず出てくるのですが、この「ベルトラメリ能子」というお名前はあまり出てまいりません。
私もかすかに変わったお名前だったので何かで読んだように思う程度だったのですが、何かその経歴をお読みする都度に、何だか身近に感じるようになってきたように思います。
自分もだんだんと年齢を重ねてくると、この方の晩年が気になるようになりました。
2回目に日本に戻られ、戦後は鎌倉にお住まいになっていたようです。
お生まれは茨城県だったようですが………
私の大学時代の先生のレッスンに通っていたのも、鎌倉の中でもこの墓地の近くだったのです。
昨年先生の奥様もお亡くなりになりました。
奥様も歌手として大学の先生として活躍なさっていらっしゃいました。
そんな土地柄のせいか、なんだか自分がそういった方に感謝の気持ちを表していきたいと思うようになったのかもしれません。
まず自分の父と母のお墓を、草むしりをして、木の枝を切り、暮石を洗いました。
お花を供えて、横から出た枝を切って形を整えたのですが、その枝をとっておきました。
ほんの少しですが、その菊の小さな枝ですが、「道」のお墓にお供えしました。
もう少しふさわしいお花を持って来ればよかったと思いました。
今回初めて、備え付けの花瓶も洗ったのですが、なんと1つの花瓶に穴が空いておりました。お水を入れるとその穴から水が流れていってしまうのです。
花瓶も1つしか使えませんので、今度は、お花を1本持ってくることにしようと思いました。
暮石に刻まれた、「道」の文字。
この方が歩んでいらっしゃった人生を尊敬致したいと思いました。
実際にこの方を知っているわけでもないのですが、お墓まいりに来た時に草むしりをして、お墓が草に埋もれてしまわないように気をつけたいなあと思ったのです。
声楽の道を歩んでいる者の1人として………