私の今月最大のイベントと申しますか、楽しみにしていたオペラです。
しかも、今月色々取り混ぜて3回目の《リゴレット》となりました。
今月1回目はオペラ講座で、今回と同じ演出での公演を部分ですが、拝見しました。
2回目は先週、レオ・ヌッチがタイトルロールを歌った音楽映画を見ました。
そして、今回。本当に会場で鳴る響きを聴くのは今回が初めてですが、こうやって畳み掛けて同じ演目を聴くというのは、どのような形であれ、色々感じるものも違ってきているのだと思います。
この神奈川県民ホールの最後の引っ越し公演となる2日目。
次回の28日の公演はNHKホールに移るわけです。
そんなこともあるのか、カーテンコールは結構あっさりした感じで、突然終わらされたという感じでしたが………
客席は満員のようでしたけれども………
休憩中にラインで「この公演に来ていますか?」というお尋ねがきました。どこかですれ違ったのかな?と思いましたら、その方はきっとここにきている人がいるとしたらあなたぐらいだろうと思ったから………とのこと。
ヒエーッ すごい直感力。
公演の後に久しぶりでお目にかかったのでお茶することにいたしました。
近頃、どんなコンサートに行っても知り合いと会うことがなくなってきました。
体力とか年齢のことでしょうか。
今回お会いした方もちょっと前は、新国立劇場でも偶然お会いしていたりしていたのですが、近頃お会いしていませんでした。
さて演奏のことです。少々演出が好きではないということが、オペラ講座で見せていただいた映像でわかっていましたので、おかげ様で、私はあまり驚くこともなく拝見することができましたが、公演後にお話しした方は、開口一番、「この演出は品がないと思うわ」とおっしゃいました。なるほど………
もちろん様々な女性と関係を持ち辱しめるマントヴァ公爵なのですから、そう言った表現が出てくることもあるかとは思うのですが、チェプラーノ伯爵夫人がマントヴァ公爵に公衆の面前でまたがったりすることは必要なのでしょうか?
レオ・ヌッチのタイトルロールのパルマの演出のものも、最初の幕では乱痴気さわぎの表現では、胸がリアルに見えてしまったりしていましたし、モンテローネ伯爵の娘も確か布一枚の洋服で、それが取れたときには、身体にボディースーツのようなものを着ていましたが、全裸という設定だったと思います。
どちらかというとドン・ジョヴァンニ風な悪者を想像していました。まがりなりにも貴族なのですから、ちょっと取り繕う部分があったり、街の与太者とはちょっと違ったところがあるはずとは思いますが、モンテローネ伯爵には直接、拷問のよう目を潰す、直ぐに夫の前でその妻と関係を結ぼうとする。そんな野卑なだけの男なのでしょうか。
今回は、絵画コレクターの側面もある存在とのことらしい演出のようですが、宮殿であるはずの舞台がまるで倉庫のようで、そこにいる廷臣たちもおよそ貴族とは言えません。
その中で、リゴレット役を歌った、エティエンヌ・デュビュイさんは、道化役にかかわらず、公爵よりも誰よりもノーブルな印象で、見た目がマントヴァ公爵のカマレナさんより、貴族っぽいように思いました。
カマレナさんを最初にお聴きしたのはMet.のライブビューイングの《セミラーミデ》を見たときだったと思います。
フローレスが世の中には出てきて以来、テノールのフルヴォイスで歌う方が増えたように思います。そのあと《連隊の娘》でも拝聴したように思います。
お声は輝かしく、充分なのですが、どうも見た目が貴族には見えず、どう見てもヤクザのしかも下っ端に見えてしまうのです。
(それにちょっと今回、お声に疲れが見えるような気がいたしました)
何しろ今回はジルダ役のネイディーン・シエラさんでしょう。
オペラ好きな知人は、「彼女はジルダには向いていないと思うわ。それなのでわたしは《トゥーランドット》にしたのよ」と言っていましたが、今が旬の歌手の歌はもうそれだけで価値があります。
ある種「声」というものは消耗品ですから、旬を聴くタイミングはなかなかあるものではありません。
今回はそれが1番だったでしょうか。ネイディーン・シエラを聴くことができてよかった。