6月のオペラ講座のテーマは《リゴレット》でした。
今月は何故か《リゴレット》と、縁がある月です。
パッパーノ指揮の英国ロイヤル・オペラのものが1番でしょう。
私がこの公演をみるのは初日ではなく、25日のものです。
平日の昼間、しかも神奈川県民ホールなの少し東京より遠いということだと思うのですが、少々他の日より、チケットの値段を抑えてあったので……
それでも新国立劇場のチケット、私が購入するランクだったら、3演目分かな……などと、ぐずぐず考えて最初は諦めていたのですが、文化会館での演奏会の時にチケットを売っていて、つい購入してしまいました。
ずーっと迷っていて、とっくに発売だったのは知っていたのですが、半分諦めていたのです。
もうろくな座席はないだろうと思っていたのです。
その時、なんとか1階席でポツンと小島のようになっていた座席ですが、そんな座席があったので「これも何かのお導きか」と思いまして購入してしまったのです。
ネイディーン・シエラのジルダを聴いてみたかったのです。
オペラ好きな知人は、その高額チケットに恐れをなして、「今回は行かないわ」という方が多いので、まあそんな時期でも座席があったのだと思いますが………
《トゥーランドット》は、いつでしたか、トゥーランドット姫が、女性しか愛せない方で、リュウが死んでしまったので、結局自分も死を選ぶという演出のものを見てから、もうグッと心に重い印象になってしまって、以前ほど聴きたい見たいという気持ちが薄れてしまった気がするのです。プッチーニが書いたところまでで、トスカニーニがそこで指揮棒を置いてしまったという中途半端な終わり方のものも見ましたが、なんだかあんまりすっきりとした印象はありませんでした。
このロイヤル・オペラの前の22日に、音楽映画ですが、レオ ヌッチがタイトルロールを歌っているものの上映があり、見にまいります。パレルモ王立歌劇場のライブビューイングです。
この映画を見ておきたいと思った主な原因は、以前同じ《リゴレット》の音楽映画で、マントヴァ公をパバロッティが、ジルダをグルベローヴァが歌っていたものを見ました。オーソドックスな演出であったのですが、この映画はかなり心に残ったものでした.
実はこの映画は、実際にある建物や場所で撮影されたものなので、その頃のマントヴァの町の感じや、立地条件がよくわかって、こういうところを想定してこのオペラは考えられたのだなあと初めて納得がいったのです。
どこかの歴史的な建物の中で開かれていた最初の宴会の場面で、そのドーム型の屋根の下の回廊を歩きながら、モンテローネ伯爵が、呪いの言葉を言う場面。
ジルダの部屋の窓に遠くの空からフォーカスを絞っていく場面。
スパラフチーレの家が運河というか小川のほとりに建っていて、その川に浮かんでいる船で公爵だと思っていた死体が入った袋を捨てに行く場面。
もう直ぐ朝になる薄明るくなってきたぼんやりした画面で、瀕死の娘を抱くリゴレットが無条件で悲しいと思いました。
目隠しをされて自分の娘がさらわれて行くのを手伝う場面もリアルな感じが、胸を打つのです。
〈リゴレット〉はこの映画を見てから割合根本にこの映像が浮かんできてスパラフチレと出会う街の暗がりもあんな運河ぞいの道なのだろうなと想像できるようになったのです。
それまで、何度か《リゴレット》の公演を経験していたのですが、どちらかといえばあまり好きなオペラではありませんでした。
暗いし、男性の側から見た話のオペラといいますか、ジルダを踏み付けにし、最後に命を犠牲にするのです、
その世間知らずの娘の心をもて遊ぶという話があまりにも悲しすぎるのです。
今度来るものと同じ演出の映像をオペラ講座で今回拝見したのですが、なんだかモンテローネ伯爵の扱いやマントヴァ公爵の描かれ方がちょっひどいなあと思ったのです。
実際、目にした時、耳にした時どう言う風に感じるのでしょうか。
そういった興味はありますが、この演出自体は好きではありませんでした。
時代背景が古いとか、モダンだとかでなく、たしかにマントヴァ公はひどい男ですが、自らモンテローネ伯爵に手を下したりする残虐性は、今まで感じたことはなかったのです。
この人間解釈では、後味が今までよりももっと悪くなってしまうように感じましたが………