明るい気持ちで、大先生のレッスンへ。
昨日のレッスンは8月のためのマーラーの曲を聴いていただきたいと思って出かけました。
今回のレッスンがこの夏のコンサートの鍵を握っていると思うのです。
今回必ず聴いていただきたいと思った曲は、8月のコンサートのマーラープログラムの最後の曲にしようと思っている曲で、明るい持ち味の曲なのです。
短い曲の〈セレナーデ〉を1曲めに。〈トランペットが美しく鳴り響くところ〉を2曲めに。〈だれがこの歌を作ったのか〉を3曲めにして、さらっと終わりたいと思っていたのです。
〈セレナーデ〉は同じメロディーが、少しずつ変わりながら、3回出てくるのですが、それをどのように変えていったら良いかという大先生のお考えを聞かせていただきました。
なるほど、そういう考え方で、この歌の持っている映像を展開していくのか………、
〈だれがこの歌を作ったのか〉は今回の解釈は、とても興味ある内容でした。
ずいぶん昔にこの曲を持っていって、一回でスルーされてしまったことがあるのですが、大先生は「この曲をレッスンするのは初めてかなあ?」とお訊きになりました。
だいぶ昔に一回聴いていただいたことがあることをお伝えしました。
「そうだろうね。前回のことは覚えていないけれども、その時にこうは歌えなかったと思うよ」
とおっしゃいました。
「どうして初めてではないと感じたかというと、普通この箇所は、こうやって歌ってしまうと思うのだけれども、今回のあなたは違った形で歌ったので、一回レッスンしたのではないかなあと思ったのです」
とのこと。
「こうやって歌えるようになったということは以前より進歩したということだよね」「よかったよね……」とのこと。
そういえば、その頃は、レッスンに持っていった曲を最後まで歌わせてくださらなかったのでした。
近頃は最後までまず聴いてくださるようになったということだけでも、それは進歩しているということなのでしょう。
そういえば今回は、持っていった3曲全部レッスンしていただくことができました。
つまり一つのところで一つのことをできるまでいろいろな角度でより良い道を探していくというパターンが減って、くり返すことが減ったことで、3曲を聴いていただく時間の余裕ができたように思います。
考えてみれば、これもお弟子先生の厳しいレッスンのおかげかもしれません。
お弟子先生のレッスンは、1小節、2小節とできない部分は何度でも色々なやり方でアプローチしていくことの繰り返しで、曲の最後までいつもたどり着くことができないで終わってしまうことが近頃かなり多いのです。
その嫌になるほどの繰り返しで、自分でもその部分を繰り返し練習することを要求されているので、少しずつ身についているのかもしれません。
お弟子先生は、曲全体を見なくても自分で(私自身が)やっていくだろうと信頼してくださっているのだろうとは思うのですが……
自分では、こういう歌い方で良いのか心配になってしまうことがあるのです。
大先生のレッスンの途中でお弟子先生が帰って来られて、レッスンを聴講されていらっしゃいました。
お弟子先生は「近頃発声の部分でひっかっかってしまうのですけれど……」とおっしゃったのですが、大先生は今回声は悪くないから (この人は、悪い時にはもっと重い声になるけれど、今日は悪くないよ……) 「せっかくそこまで歌えるなら、今日はもっと言葉に集中して歌ってみましょう」とのことでした。
先月1時間かけて見てくださった、〈トランペットが美しく鳴り響くところ〉をより詳しく今回も聴いていただけました。
先月理解できなかったところの意味を、もう一度お尋ねして理解できました。
先月の録音を聴きながら頭の中の映像を作りましたが、ぼんやりしたところが、より鮮明になってきました。だからこういう音の必然があるのだ……ともう一度映像を描くことができました。
〈だれがこの歌を作ったのか〉は以前、訳詞だけで茫洋としていた解釈が今回はっきりとしてきました。この歌のコロラトゥーアの部分はどうしてこんな音型を使っているのか……この途中に出てくるガチョウとこの少女との関係は?ということで大先生の解釈を興味深く拝聴することができました。そしてこの歌の題名である〈だれがこの歌を作ったのか〉ということが初めて理解できました。
ドイツ語も「この詩のこの言い方はシュトッツガルトなまりだねえ」というようなお話は、本当に面白く楽しいレッスンでした。
最後にお尋ねになりました。「歌うことが楽しい?」
今回は文句なく「はい、楽しいです」と答えることができたのでした。