MET. ライブビューイングの8曲めのオペラでした。
プッチーニの《つばめ》の〈ドレッタの夢〉は昔から知っていたアリアでした。
このアリアを初めて聴いた時から印象に残る曲でした。
しかしこの歌がどんな時にどうやって歌われるのか、全曲を見聞きしたことがないので知りませんでした。
やはり、このオペラは見ておきたかったのです。
「高級娼婦ということで、「椿姫」と共通点がありますね……」とインタヴューで言っていましたが、こちらは誰も死ぬことはなく、ふんわりと心の痛みを伴って終わりを迎えるといった話になっていました。
結局は別れることになるのですが、言葉の中ではそう行った事情をはっきり説明するということがなく、なんとなく終わってしまう形でした。
〜クリムトの絵を思わせるゴージャスな舞台で、とろける美声のエンジェル・ブルーと情熱ほとばしるジョナサン・テテルマンのドリームカップルが魅せる。〜
という文章が説明の中にありました。舞台転換の時に、建物の床の模様から丁寧に張り替えている様子などをみることができ、ここまで手を抜かずにいることが、さすがにすごいなあと思っていました。
ああ言った床のタイルの模様は、ヨーロッパの古い建物、美術館や、劇場などで特徴的に見られるものです。こういったところがその時代背景を語る上で大きく役立っているように思います。
冒頭の部分から、あの〈ドレッタの夢〉が出てきてしまうのですね。
パーティーの中で詩人プルニエ役の方のベグゾッド・タブロノフが、その歌を作ったという設定で歌った後に、マグダがピアノに合わせて歌うという流れなのですね。
やはりこの歌が1番記憶に残りました。
たしかに他にも美しいメロディーの歌がたくさん入っているのですが、同じ感じの曲が多いように思いました。全体的にメリハリといいますか、変化があまりなく流れているようで、単調に聴こえてしまったように感じました。
それに、舞台装置はとても凝っているのですが、エンジェルブルーの見た目がやはり高級娼婦には見えず、彼女のパトロン役の方もやはり見た目が金持ちの銀行家には見えないのです。聴く要素とともに、目から入る要素も影響が大きいのです。
一目見て恋に落ちるとか、自分の妻として考えるというのには、何かかなり無理があるように思いました。
演奏の前にピーター・ゲルプ総裁が出てこられて、この公演がMETデビューである、ルッジェーロ役のテテルセンがアレルギーがひどく、この日歌うことが危ぶまれたそうで、彼自身の強い希望で歌うことになったとのこと。
少しも不安を感じさせることなく歌われ、もしかすると集中力はいつも以上なのではないかと感じさせる歌でした。さすがです。
あの大舞台で演じるのはどなたも大変なことなのですね。特にこれがMETデビューなのですから。
この方は次回の《蝶々夫人》でも歌われるのですね。今が大きく花開く時なのです。
次回の予告で《蝶々夫人》でタイトルロールを歌うアスミック・グリゴリアンが練習をしている場面が出てきました。
この方のほとばしるような強さは、自分が役を演じるのではなく、その役が自分そのものになるのだと話されていました、
Met.で《蝶々夫人》を歌われた後に5月に日本に来てリサイタルだったわけですね。
巻きスカートは,きっと着物を意識したものだと思いましたが………
マグダ役のエンジェルは、歌唱力の点ではもちろんもんくなく美しい声だったのですが、この方を存分に活かすことができる役柄が他にあるように感じてしまいました。
全体がアールヌーボー? アールデコ?風の舞台であったのも視覚的に影響していたようにも思いますが。(クリムトの絵や雰囲気はアールヌーボーと思いましたが、建物などの雰囲気はアールデコ風に思いました)
オペレッタを作曲するために、プッチーニが作り始めた作品だったそうなので、美しいメロディーが溢れているのに、話の内容があまり劇的ではないので、それが上演の回数に影響しているのですかね………